Hatena::Groupqueeringme

Ry0TAの日記

2010-03-11

Housing Works「クリーヴ・ジョーンズへの8つの質問」(2009年9月)

| Housing Works「クリーヴ・ジョーンズへの8つの質問」(2009年9月) - Ry0TAの日記 を含むブックマーク はてなブックマーク - Housing Works「クリーヴ・ジョーンズへの8つの質問」(2009年9月) - Ry0TAの日記

最近、HIVエイズに関する古い本を読み返していたが、そのなかで、おや?と思わされたことがある。

  

昨年、合衆国でカムアウトしたゲイとして初めて公職に就いたハーヴェイ・ミルクの生涯を描いた映画『ミルク』(2008)が公開された。それに伴って、ミルクを取り巻く人びと、彼とともに同性愛者などマイノリティの権利擁護のために動いた人びとのこともクローズアップされた。

クリーヴ・ジョーンズは、その一人だ。

青春時代にミルクの選挙事務所に入って以来、弟子のような立場で活動を共にし、ミルクが暗殺されたのちも政治活動に専心し、現在に至っている。

『ミルク』の脚本を書いたダスティン・ランス・ブラックを同時代の証人として助け、監督ガス・ヴァン・サントにつないだ人で、映画が話題になるなか、映画に関する彼のコメントにもあちこちで接することができた。

  

ゲイ政治家、ミルクと一緒に活動した実在の人物がショーン・ペンとミルクを語る—シネマトゥデイ

http://www.cinematoday.jp/page/N0017660?g_ref=twitter

  

僕個人は、製作開始から1週間は毎日泣き通し、ミルクを暗殺したダン・ホワイト役のジョシュ・ブローリンがそばを通ると怒りと恐怖で体が震えた、というコメント*1が印象的だった。映画が呼び戻した記憶の強烈さに、どれほどのめり込んでいたのかと胸を突かれる。

  

写真で見るとがっしりした体格の人だが、映画では華奢なエミール・ハーシュが、とてもチャーミングに演じていた。

  

『MILK—写真で見るハーヴィー・ミルクの生涯』(伏見憲明監修/安齋奈津子訳、AC Books、2009)から、彼の経歴を解説した箇所を引用しよう。

  

クリーヴ・ジョーンズは、ネイムズ・プロジェクト・エイズ・メモリアル・キルトの創始者。1954年、インディアナ州ウェストラファイエットに生まれた。

 激動の1970年代のサンフランシスコでハーヴィー・ミルクと仲良くなったころから活動家として歩み始め、ミルクの当選後はサンフランシスコ州立大学政治学を修めながら市庁舎で学生インターンを務めた。ミルク死後は退学し、カリフォルニア州下院議員議長レオ・マッカーシーウィリー・L・ブラウン・ジュニアの立法コンサルタントとしてサクラメントで働いた。

 1982年サンフランシスコに戻る。下院議員アート・アグノスの地区事務所を経て、サンフランシスコ民主党中央郡委員会に3回当選し、少年司法制度および非行防止のための地方、州委員会、ミッション・メンタルヘルスコミュニティ諮問委員会で活躍した。

 1983年、エイズの脅威を自覚してサンフランシスコエイズ財団を設立。1985年、ハーヴィー・ミルクのキャンドルライト追悼式の最中にエイズ・メモリアル・キルトを公安。1987年、親友マーヴィン・フェルドマンのためにキルト第1号を作製。この企画は世界最大規模を誇るアートプロジェクトに成長し、エイズで死亡したアメリカ人85,000人以上を追悼した。

 ハーバードエイズ研究所における国際諮問委員会、プロジェクトインフォーム全米理事会、エイズ及び免疫者調査財団取締役会のメンバーとしても活躍し,アメリカ国内や世界中の高校、カレッジ、大学で勢力的に講演活動を行っている。

 現在はカリフォルニア州パームスプリングスに住み、繊維業・ホテル業、飲食店業従事者の国際労働組合ホテルワーカーズ・ライジング・キャンペーン・ユナイト・ヒアのオーガナイザーを務める。

 2000年4月に上梓した回顧録『Stitching a Revolution』は、ベストセラーとなった。

  

『MILK—写真で見るハーヴィー・ミルクの生涯』pp.44-45.

  

クリーヴ・ジョーンズの最も有名な活動は、上の引用にもあるように、エイズ合併症で亡くなった人の名と思い出をキルトに縫い込んで形に残そうとする「The NAMES Project」(1985年サンフランシスコで開始)だ。

  

http://www.aidsquilt.org/

NAMES Project AIDS Memorial Quilt - en.Wikipedia

http://en.wikipedia.org/wiki/NAMES_Project_AIDS_Memorial_Quilt

  

NAMESプロジェクトにインスパイアされたエイズ・メモリアル・キルト運動は、日本でも早くから始まっていたから、ハーヴェイ・ミルクつながりでなくても、彼の名を知っていた人は大勢いたはず。

Memorial Quilt Japan

http://mqj.jp/

  

NAMESプロジェクトのサイトでは、データベースで5800以上のエイズ・メモリアル・キルトを見ることができる。

http://173.160.74.170:591/FMRes/FMPro?-db=search%20the%20quilt.fp5&-layID=4&-token=25&-format=Ztablevw.htm&-error=Zerr.htm&-mode=table&-sortfield=Block%20Number&-sortorder=ascend&-findall

  

NAMESプロジェクトでその名を知られ、映画『ミルク』でまた注目を集めたクリーヴ・ジョーンズだが、彼自身がHIV陽性者であることは、あまり語られないような気がする。

  

おや、と思ったというのは、このことだ。

  

HIVアクティヴィストであるから、言うまでもないということもあるのだろう。でも、HIVエイズの予防啓発・治療支援に携わっている人たちが、みなHIV陽性者なわけではない。

クリーヴ・ジョーンズ自身は、HIV陽性者であることを公にし、しばしばその体験を語っている。けれど、映画パンフレットや上記の『写真で見るハーヴィー・ミルクの生涯』でも、HIVアクティヴィズムにおける彼の献身的な活動は記していても、彼自身がHIVとともに生きている人であること、HIVエイズが死の病だった時期から、1990年代前半治療法の確立により長く共存する病になった劇的な変化の時代をサバイバルしてきた生き証人の1人であることに、触れていない。

  

なぜだろう、と思う。印象だが、日本のHIVエイズ啓発・支援活動は、陽性者・患者のプライバシーを守るということを大切にしてきたのではないかと思う。クリーヴ・ジョーンズがPWA(HIVエイズとともに生きる人)であることにわざわざ触れないというのも、そのような配慮の、自然な表れかも知れない。陰性者はわざわざ陰性者だと言う必要もないのに、陽性者だけが「この人は陽性で・・・」と言われねばならないのもおかしい。語らないことに疑問を感じる僕が、浅はかかも知れない。

  

けれど、少し、残念にも思う。

彼は、HIVエイズの最も厳しい時代を生き抜き、社会を変えようと呼びかけてきた、そういう人なのだから。

  

と、このような、答えが見つけられないことを考えているうちに、クリーヴ・ジョーンズの健康状態のことが、少し気になってきた。

昨年メディアに登場した様子からも元気なことは間違いないだろうが、感染を自覚してから20年以上を経て、いま50代のジョーンズ、健康に問題はないのだろうか。

検索していて、昨年10月ワシントンDCで開催されたナショナル・イクオリティマーチNational Equality Marchの時の彼のインタビューを読んだ。

  

http://www.housingworks.org/blogs/detail/qa-with-cleve-jones/

8 Questions for Cleve Jones-Housing Works

  

ネットで読める彼のインタビューはいくつもあるが、最近の自身の健康状態を語っているので、目にとまったのだ。

それによると、HIV由来ではない健康の問題があるが、それ以外は元気らしい。良かった。

様々な批判もあったイクオリティマーチだが、クリーヴ・ジョーンズは主催者側の1人として、マーチの意義を主張している。ジョーンズの健康状態についてもだが、1980年代から現代までHIVエイズの時代を生きてきた彼が語る合衆国HIVエイズの現状、世代観、運動観は、なにもかも納得できるかは別としても、興味深い。正確に訳せる自信がないが、メモ代わりに訳しておこう。

  

インタビューをしているHousing Worksは、PWAのホームレスに住居を確保する活動をしている団体だ。

  

クリーヴ・ジョーンズへの8つの質問

私たちがナショナル・イクオリティマーチの期間中に開催するHIVエイズに関する座り込み集会、10月10日の「エイズを終わらせるための平等Equality to End AIDS 」の準備を進めているとき、「アップデート」はイクオリティマーチオーガナイザーでありエイズ・メモリアル・キルトの創始者であるクリーヴ・ジョーンズ(54)に会った。「エイズを終わらせるための平等」のイベントが開催できないように思われていたとき、サンフランシスコでハーヴィー・ミルクとともにコミュニティの組織を始めたジョーンズは、仲裁に入ってイベントの日を救ってくれた人の1人だったのだ。

  

HIV陽性者であるジョーンズは、行進、平等の権利、エイズ・アクティヴィズム、彼を批判する人々の議論がなぜ「下らない」かということについて、このように語った。

  

エイズが今日の若い人々にとってはあなたの世代にとってそうだったものとは違うということについて、どう考えますか。

  

全体として新しい世代の感染は、多くが多剤耐性を伴っていますね。若い世代は、それについて語ったり、自分がどんな状態か明かすということは、あまりやりそうにありません。私の世代の人たちが経験した連帯は、過ぎ去ってしまいました。私は1985年検査が登場したとき、陽性だと知りました。いまの若い人たちは、もっと孤立しているのではないかと思います。

  

—あなたの世代のゲイ男性は、エイズとの戦いを放棄してしまったと思いますか?

  

私の世代にとって,部分的にはそうですね。昨夜の聴衆の目の中に、それを窺うことができました。エイズとの戦いは、単にあの恐ろしい記憶を呼び戻すだけのものですから。私は、治療が可能になるまえ、自分が体の中にウィルスがあるのだと知りながら、10年間を生きていました。ある人たちには、ただ対処することさえできないことなのです。

  

けれど、私たちは本当に、関わることの深刻さはそういうところにあるのではないと、知らねばなりません。エイズとの戦いは、過去に私たちが見てきたものではない。これを言わねばならないのは嫌なことですが、しかし私はこれは人種問題だと思っています。感染は非白人の社会でより広まっています。エイズの顔は絶えず変化し、メディアが示すよりもっと複雑なのです。多くが非白人の若い人で、かれらは貧しい傾向がある。痛ましい現実があるのに、社会からの連帯はない。これには憂鬱になります。

  

—イクオリティマーチで、健康問題改革は語られるでしょうか?

  

この問題こそ議論しなければならないことです。LGBTコミュニティが健康問題にあまり関心がないことに、私は動揺しています。私たちのリーダーたちがあまり熱心でないことには、当惑させられます。パートナーシップを持っている人は誰でも、パートナーのために保険を手に入れることが重大なことだと知っています。私たちはまだ、保険を手に入れることがいつでもできる状態ではない。HIVに限らず、乳がんについてもです。アルコール依存症や麻薬依存症治療費も同様です。私の考えでは、これはただ世論を喚起することで意味があるものになる、と思います。

  

—あなたの健康はどうですか?

  

私の健康は良いです。HIVとは関係のない健康上の問題がいくつかありますが。90年代初めは、本当に具合が悪かったのです。94年の秋に治療を始め、それは本当にうまく行きました。長い間病気だったということや、90年代初めに私が取った治療の一部から来ている問題が、いくらかありますね。

  

—なぜ「エイズを終わらせるための平等」は、週末に別のイベントとして行われるのでしょう?

  

過去の行進では、膨大なエネルギーが様々な要求を勝ち取るための戦いに費やされました。私たちは、この行進が、究極的に1つの問題に焦点を当てることを望んでいます。その1つの問題とは、法の下の平等な保護です。LGBTコミュニティに関して、もっと深く究明されることを必要としている問題はたくさんあるということも、認識しています。だから、週末に特別なプログラムを開催し、行進では発言者を招くことにしたのです。

  

—行進はリソースの無駄であると言う批判に対して、どう答えますか?

  

ああ、お願いですから、そちらには行かないでくれますか。それはつまらないことですよ。活字にして公表してもいいですが。私たちが行進に費やした額は、1回の週末のアルコール代と同じです。人は自分の蓄えを失うまいと清朝になりますが、お金を集めると言うことを分かっていない。限られた額の資金しかないのだ、と考えたようですが、それは怠慢です。運動は成長しなければならないし、そうしなければ死ぬのです。いつもより多くの人、より多くのリソースを獲得し続けなければいけません。

  

—あなたが『ミルク』で果たした役割は、あなたを若い世代に近づきやすくしたと思いますか?

  

まったくそうだと思います。映画が登場するまで、私は全国を旅して回っていました。くたくたになっていましたよ。私たちは歴史的な瞬間にいます。まさに今、私たちが非常に勇気を持ち,強くあることができたら、LGBTのための平等を勝ち取り、それから、私たちのエネルギーを[HIV問題に?再び向ける機会が持てるでしょう。これはHIVエイズに限ったことではありませんが。

  

—もしハーヴィー・ミルクが生きていたら、彼はエイズによる死をある程度予防することができただろうという人たちの考えを読んだことがありますが、あなたはどう思いますか?

  

私はそういう議論をしようと思ったことはないですね。彼のパートナーの多くが死んだことを考えれば、ハーヴィー自身が生き残ることができたか分かりませんし。あらゆる種類の仮説があり得ますが、私たちの多くが感じるのは、ハーヴィーが生きていたら、きっとサンフランシスコ市長になっただろうということだと思います。サンフランシスコ市長が性行為にそれほど潔癖すぎなかったらと想像するのは、おもしろいと思いませんか?[カリフォルニア上院議員の]ダイアン・ファイアステインじゃなくね。

  

クリーヴ・ジョーンズのオフィシャルサイト

http://www.clevejones.com/

*1:『MILK—写真で見るハーヴィー・ミルクの生涯』p.114.

ゲスト



トラックバック - http://queeringme.g.hatena.ne.jp/Ry0TA/20100311