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Ry0TAの日記

2010-01-31

手ざわりと、色と、ノイズ

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『Pe=Po』がやってきた。

  

Pe=Po vol.01

http://www.pepomagazine.com/home/pepo01

  

といっても、自分で取り寄せたんじゃなくて、

友人が東京中野の「タコシェ」で僕の分もゲットして、送ってくれたのだ。

(Uちゃん、ほんとうにありがとう!!)

すぐ売り切れるんじゃないかと心配したそうだが、

どうなんだろう?

  

封筒から取り出して手にとって、まず軽く驚いた。

キレイなのだ。

表紙の写真がキレイなことは、ウェブ上でも見ていたし、分かっていた。

でも、いざ「雑誌」の形で手にすると、雰囲気が全然違う。

まず、表紙の紙の手ざわりが、気持ちいい。

なんていう紙なんだろう、とてもなめらか。

そしてなめらかなその感触が、写真の色合いによく似合っている。

すごい印刷技術を使っているというわけでもないだろうけど、しっくり調和している。

手ざわりと色、どちらを抜きにしても伝えにくいキレイさだ。

(だから僕のヘタな言葉ではうまく説明できない)

  

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僕のケータイ写真でも全然伝わらない。

  

紙というモノでしか表現できないタイプのなにか。

雑誌を手に取る気持ちよさがある。

ウェブの時代に、あえて紙の雑誌を出すことにこだわったというけれど、

ここまで狙っていたのだとしたら、おもしろい。

  

特集「カムアウト」にふさわしく、MILKカラーになっている。

f:id:Ry0TA:20100131204900j:image

あー僕の写真はヒドすぎる。

  

ハーヴェイ・ミルクのシンボルカラーはもっと濃いブルー、これはビル・コンドンの映画『MILK』で使われていた色だろう。

映画『ミルク』オフィシャルサイト

http://milk-movie.jp/

  

特集の内容を、言外に色で表わしている。これも、紙の雑誌だからできる表現?

  

  

で、いま、『Pe=Po』を手にとって読んでいる。

なんというか、不思議なおもしろさを感じている。

最初の1ページ目に、『Pe=Po』が「レズビアン雑誌ではない」理由が説明してある。

どんな理由か、ということは実際に雑誌を読んでもらうとして、レズビアン雑誌ではない『Pe=Po』が作りあげている「場」が、おもしろい。

第1号の特集は「カムアウト」。

僕はゲイであるという自分の経験を通じて、「カムアウト」という言葉を知ったし、生きてきた。

けれど、「カムアウト」は実際のところ、性的少数者にだけ起こる経験じゃない。

社会の中で何かが「隠す」ことを強いられるとき、その存在がないかのように扱われ、無視されるとき、

クローゼットとカムアウトは、ひとりひとりが生きる生になる。

200人ちかい人が、自分にとってのカムアウトを語っているアンケートが、とてもおもしろい。

いい感じにノイジーなのだ。

カムアウトについての語りは、すぐに「べき」論や理想論、過大評価や過小評価に滑り落ちるという印象があって、僕は好きじゃなかった。

けれど、ここではいろんな人が、いろんな言葉で、自分のカムアウトを語っている。

ひとつひとつの言葉は、けして新しかったり珍しかったりするものではないかもしれない。

けれど量が集まると、いわゆるカムアウトの言説に回収されない、ノイズになるような気がしてくる。マスの力とかいうものかもしれない。

それらのノイズの中で、僕らがそれぞれに直面する「カムアウト」というものが、決まった解答も方法もない「生きることの一部」だという実感が戻ってくる。

そして、さまざまなものを隠そうとする社会の中で、僕らはサバイバルしているのだということが見えてくる。

カムアウトをアイデンティティの括りから解放して、アイデンティティを問わないすべての人のものにすることで、

ずばっと核心を突く鋭い分析や気の利いた表現ではなく、ぶんぶん唸るような大量のノイズで表現することで、

逆にカムアウトの姿が見えてくる。

そんな体験ができる「場」がある。

ふしぎなおもしろさだった。

  

さて、これからエッセイを読んでいくところ。

『Pe=Po』サイトで見ることのできる目次には、執筆者名が入っていなくて、「お、あのひとが」と思いながら読むことができるのも、雑誌ならではの楽しみだ。

逆に、この人、ほかにどんな文章を書いているんだろう?と、新しいブログを発見する楽しみも。

ブロゴスフィアスピンオフ作品とでもいうような、おもしろさがある。

『Pe=Po』は紙媒体の雑誌だが、ネットが作るつながりを活かして作られた雑誌だ。

ネットと雑誌は別物だったり、ネットの便利さが雑誌の存在を喰ってしまうというわけじゃないんだなと思わされた。

  

『Pe=Po』01号が「カムアウト」を語るというテーマを通して作った「場」は、カムアウトについて語った「よりよい場」というわけではないだろう。

(というか、「より正しい認識」とか「より正確な描写」とか「よりリアルな語り」といったものははじめから考えてはいないだろうところに、この「場」のよさがありそうだ。)

別のつながりかた、別の語りかた、別の場も、もちろんありえると思う。

そもそも、『Pe=Po』がやろうとしているような、アイデンティティのくくりにとらわれないつながりが可能な場を作るということは、けっして易しくはないことだろう。

フラットに開かれた場にしようとするほど、より多数で多弁な声が少数で言葉を持たない声を押しつぶすという力関係も、生じやすいかもしれない。

ピンポイントで関心や好みの対象にたどり着くことができるネットが可能にするつながりというのは、独善的に偏ることもありがちだ。

けれど、易しくないからこそ、『Pe=Po』には期待したいと思う。

これからもいろんな形のつながりを、「場」を、試みていってほしい。

ゲスト



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