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Ry0TAの日記

2009-06-29

「受容する者」と「受容される者」の非対称性(堀江有里)

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このエントリで触れた、

この

本に収録された、

  

堀江有里「排除/抵抗のレトリック : 「差別事件」に向き合う「主体」の問題をめぐって」 pp. 157-187.

  

いま、「差別」という言葉を使用することは「<政治的正しさ>を強調し過ぎる振る舞いとして嫌悪される」。しかし一方で「<差別事件>と呼ばれる現象が頻発」し、「ある現象が<差別事件>として名指しされ、社会問題化されるプロセスがこの瞬間にも継続している」。そういう社会に私たちは生きている。

このような状況において、「反差別論」は構築しうるか、そのために踏まえねばならない作業はなにか、という、なんというか"根性のいる"(この著者らしい、と僕が勝手に感じる)問題提起を持つ論文で、ちゃんとノートを取りたいと思うのだが。

  

今は取りあえず、本論の最後にあたる第3節「抵抗運動のポリティクス」(2)「抵抗運動の陥穽」の一部を、書き写しておきたい。

キリスト教会の同性愛者差別問題に留まらず、「<差別問題>への抵抗運動」にしばしば呈される、「受け入れられないようなことは言う/するものではない」「穏やかに受け入れられるようにすべき」という主張に、ある返答をしていると思う。

 

著者は、「同性愛者の信者や聖職者を教会は受け入れるか」という議論を進めてきたカナダの教会の事例を紹介する。

1988年、カナダ合同教会は「壮絶な議論の末」、同性愛者を排除せず「すべての人々を受け入れる」決議を出した。

そして、その総会会場で、同性愛者の聖職者に絶対反対していたある女性が、同性愛者と支援者の団体「アファーム」のコーナーを見、「ロビーで最も親切なグループ」と感じられるメンバーの様子に、その認識を改めた—つまり、その女性の中で、「同性愛者は「排除されるべきもの」という漠然としたイメージから、受容可能な具体的な存在というイメージへ」と変わった、というエピソードを取り上げる。 

  

 このようなエピソードは、一見、「良い」話のようにとらえられる。しかし、一歩、踏みとどまって考えてみたい。これら双方—受容する側と受容される側—にある関係性は、果たして「対等」であり得るのだろうか。ここで次のように仮定してみよう。もし「アファーム」のメンバーである同性愛者たちが、ロビーで議員たちにレモネードを配るのではなく、周囲に不愉快と解釈されるような態度を示していたらどうだったのであろうか。もし、彼ら/彼女らが、総会の議論の行方を案じ、終始、笑顔を振りまくこともなく、不機嫌にただ座っているだけであったら、どうなっていたのであろうか。「アファーム」のメンバーたちは、当然、議場で議論されている事柄を意識していたであろう。であれば、多くの人びとに対して、とりわけ同性愛者を排除する人々に対して、受容可能な印象操作を行っていたと思われる。たとえば、受付の女性が受容可能なイメージへと認識を変化させたのは、そのような印象操作の結果であるとも考えられる。そして、ロビーという場で起こった相互作用は、印象操作を行うことによって、「正しい」もしくは「普通の」—少なくとも異性愛者と何ら変わりのない—同性愛者のイメージを創出し、再生産するものであったとも考えられる。それは一方で、「正しい」、「普通の」という規範から外れた同性愛者への排除は継続することをも意味する。すなわち、そのような相互作用は、受容可能な存在と受容不可能な存在を峻別する装置を発動させるものでもあるのだ。ここで注意しておかなければならないのは、受容する側が、その立ち位置を移動することはなく、イメージの変遷を辿っていることである。受容する側の立ち位置、アイデンティティは揺るがされることなく、「正しい」、「普通の」同性愛者が受容されることは、排除される同性愛者のみが烙印を付され、排除する側の異性愛主義については不問のまま、維持されるということでもある。ここには「対等」ではない関係性—非対称性—が存在する

  

前掲論文, pp. 177-178.(強調、引用者)

  

著者は、日本基督教団の「同性愛者差別事件」への抵抗運動が、表に出ることができない当事者(同性愛者)ではなく、非当事者だが差別に同化することを拒否した「共働者」によって担われたことを重視し、そこに「従来の<差別>をめぐる問題規制[「差別者」と「被差別者」のあいだの権力関係]を脱構築する可能性」を模索する。

  

たしかに、「共働者」(いわゆる「アライ」だ)が<差別問題>を戦うことは、差別する側、マジョリティが自ら「立ち位置を移動」する、マジョリティの在りかたを問うことであり、そこには「被差別者」当事者が「受け入れ」られるために相手の土俵(価値観)に上がることを強いられるのとは決定的に違う、パラダイム・シフトの可能性がある。「共働者」、アライにしかできないことは、もの凄く大きいと僕は思っている。

  

でも、著者は、それにも疑義を投げかける。なぜなら、「被差別者」と「共働者」のあいだにも、権力関係、非対称性が存在するからだ。「共働者」は「被差別者」の側に立って「排除されていることを告発する者」だが、同時に「被差別者」を「受け入れる存在」でもある。そして「共働者」も、<差別問題>を生み出す社会構造から自由ではない。

  

これは、ほかの「<差別問題>への抵抗運動」にも(それぞれの状況は大きく複雑に異なるが)共通する問題だろう。

僕らが非・当事者として<差別>を告発するとき、そこには「可能性」もあり、「ねじれ」もある。

パラダイム・シフトを引き起こす「可能性」を守りたいなら、僕らは(それを「内ゲバ」とか「コップの中の嵐」と言われることがあっても、)「ねじれ」と真剣に向き合うことを止めてはいけないのだろう。

  

「アライ」や非当事者の共働者の持つ危うさ、自戒すべき問題については、マサキチトセさんが書いていることが参考になるかもしれない。

「アライ」が生み出す三重構造—C plus M

http://d.hatena.ne.jp/cmasak/20081226/1236954044

お前は去れるじゃん—C plus M

http://d.hatena.ne.jp/cmasak/20090612/1244742141

2009-06-15

堀江有里「キリスト教における「性的指向」概念援用の陥穽―「承認」を求める運動戦略への批判的考察―」(学会発表)

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「宗教と社会」学会第17回学術大会(2009年6月6日(土)、7日(日)@創価大学)で、堀江有里さんが発表されたと、「群青 Blog版」で知る。

堀江有里「キリスト教における「性的指向」概念援用の陥穽―「承認」を求める運動戦略への批判的考察―」

  

学会大会のブログでダウンロードできる要旨集で、要旨を読むことができる。

大会プログラム配布-「宗教と社会」学会第17回学術大会

http://jasrs.seesaa.net/article/118794581.html

  

興味深い部分を、一部引用させていただく(いいのか分からないが)。

とくに1980年代以降、キリスト教においては、一方では北米を中心に同性愛者排除の言説が強くなるとともに、他方では、同性愛者たちによる対抗手段として「承認」や「受容」を生み出すための当事者運動が広がってきた。後者は、同性愛者当事者のみならず、同性愛者の子どもをもつ親や友人たちなど、いわゆる「支援者」たちを巻き込んでの運動を展開している。

  

ここで注目したいのは、対抗手段として用いられる「承認」や「受容」を生み出すための振る舞いとその言説である。一例を挙げれば、「性的指向(sexual orientation)」という概念の使用がある。同性愛者は、性的な「趣味・嗜好」や「選好」(sexual preference)として認識されることによって、スティグマが付与され、「治療」の対象とされた時期があった。そのような認識に対し、「同性愛者であること」を変更不可能もしくは困難なものであると主張するために、「性的指向」という概念が援用されることとなった。たとえば、いわゆる一般社会におけるゲイ解放運動では、「性的指向」概念は、同性愛/異性愛とも社会構築的な要素を強調するために「発明」された概念であったが、それがキリスト教において援用されるときに、“神に与えられたもの”として解釈され、変更不可能性もしくは困難が強調されていく傾向を生み出すこととなった。

  

言葉やその定義は、文脈によって変化しうるものである。しかし、このような変化が生み出されたがために、「アイデンティティ」を軸とした政治/運動は、さらに限界を露呈することとなったとも解釈することができる。このような事例の文脈を丁寧に読み解くことにより、あらたな「アイデンティティ」を軸とした政治/運動の可能性を模索したい。

2009-06-10

スウェーデン教会の女性聖職者按手・女性同性愛者聖職者按手

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みやきちさんのLGBTニュースから。

  

カムアウト済みのレズビアン、スウェーデン教会監督に選出さる-みやきち日記

http://d.hatena.ne.jp/miyakichi/20090609/1244522164

  

スウェーデン教会ストックホルム教区監督に5月26日、公然同性愛者のエヴァ・ブルンネ氏(55)が選出された。

  

彼女は世界最初のカムアウトしたレズビアンのbishopとなる。

Church of Sweden Elects World's First Lesbian Bishop

http://www.shewired.com/Article.cfm?ID=22990

  

ルーテル派最大の教会であるスウェーデン教会は、ルーテル派のなかでも最も早く、1958年に女性牧師を按手した。

2008年には、女性聖職者按手50周年を祝っている。

Church of Sweden Celebrates 50 Years of Women’s Ordination - The Lutheran World Federation

http://www.lutheranworld.org/News/LWI/EN/2343.EN.html

  

女性聖職者按手は1960年から増加し、2000年の時点で31%の聖職者が女性である。

  

が、Wikipediaによると、女性聖職者の正当性については未だ議論があるという。

http://en.wikipedia.org/wiki/Ordination_of_women#Examples_within_specific_churches

However, while the Church of Sweden was the first Lutheran church to ordain female pastors in 1958, there is still considerable debate in this church as to the legitimacy of the ordination of women into the pastoral office. In fact, in 2003 the Missionsprovinsen (Mission Province) was formed within the Church of Sweden to support those who oppose the ordination of women and other developments seen as theologically problematic.

  

最初の女性監督(bishop)の按手は1996年。Lund教区のChristina Odenberg師(2007年引退)。

http://en.wikipedia.org/wiki/Christina_Odenberg

  

ゆんゆんゆんゆん2009/06/11 11:40こんにちは。
蛇足ですが、ルター派の教会で最初の女性bishopはドイツ北エルベ教区のMaria Jepsenさんだそうです(1992年就任)。
http://en.wikipedia.org/wiki/Maria_Jepsen
英語の記事なので少々情報量が少ないですが。
ルター派教会はカトリックより地域色が強く、教区ごとに微妙に方針が違ったりするそうです。
また、歴史的な成り立ちからして、アングリカンとルター派は全く別物として考えたほうがいいと思います(むしろカトリックに近いかもしれない)。

Ry0TARy0TA2009/06/12 18:05>ゆんゆんさん
ご教示ありがとうございます。スウェーデン教会は女性聖職者按手は早かったといえ、高位聖職の差別撤廃は遅かったということですね。
アングリカン・コミュニオンはカトリックのような教導権と統一の教会法がないため管区単位の自立性が高く、だからこそ女性聖職の実現も可能だったわけですが、メンバー管区には(ヘテロ)セクシズム的社会の伝統が強い管区が少なくないため、近年のコミュニオン分裂問題が起きているようです。あまり詳しく分かりませんが。

2009-04-12

英国国教会の同性愛者の聖職者

| 21:36 | 英国国教会の同性愛者の聖職者 - Ry0TAの日記 を含むブックマーク はてなブックマーク - 英国国教会の同性愛者の聖職者 - Ry0TAの日記

  

女性司祭をようやく承認したのが1994年という英国国教会は、米聖公会と比べるとかなり改革が遅い。

  

英国国教会のLGBT団体、Changing Attitudeは、1995年に結成。

  

英国国教会総会は、2002年、独身であることを条件に、同性愛者の聖職者を認めた。

Decline, ordination of women, homosexuality - Religion & Ethics: Chiristianity - BBC

  

しかし、カムアウトした同性愛者の高位聖職への按手は可能かどうかはあやしい。

2003年、オープンリー・ゲイのJeffrey John師がレディング主教に推薦されたが、反対にあい辞退している。

  

そしてまた、celibacyを条件とする同性愛者聖職者按手は、現実には同性愛者聖職者のセクシュアリティの存在を認めず、黙殺の領域に追いやるという結果を招くのではないか。

そのひとつが、ゲイの聖職者のHIV感染だ。

2006年、はじめて英国国教会の一教区で、HIV陽性であることを明らかにしたゲイの司祭が按手された。

Church of England appoints first HIV-positive, gay priest - 13-Sep-2006 - News Medical Net

Bishop appoints priest with HIV - September 10, 2006 - Times Online

この司祭の按手は別に大きな問題ともならず、所轄の信徒団にも受け入れられているそうだ。

Timesによると、過去15年に、20-30人の聖職者がエイズ合併症で亡くなっている(異性間感染・同性間感染の比率は不明だが)。

英国版Gene RobinsonになったJeffrey John師は、ゲイが信仰ある永続的なパートナーシップを結んで暮らすべきだという持論を語る論文を書いている。

「同性愛者は認めるが同性愛行為は認めない」という矛盾した妥協策は、結局のところ、同性愛者の生きたセクシュアリティから目を背けているだけであると感じさせる。

  

2005年、英国国教会は、レズビアン・ゲイの聖職者がパートナーとシビル・ユニオンを結び、英国の法律が定める権利を享受しうることを認めた。

Civil partnerships and the clergy - 29 May 2005 - Thinking Anglicans

これは、2003年のThe Employment Equality (Sexual Orientation) Regulations 2003に対応した処置である。

ただし、性行為は行わないことを教区の主教に約束することが条件。

Jeffrey John師も、2006年に同じく聖職者のパートナーとシビル・ユニオンを結んでいる。

  

Archbishop of Canterbury's meeting with LGBT clergy - November 30, 2007 - PinkNews.co.uk

2007年11月、カンタベリー大主教ローワン・ウィリアムズ師が、Changing AttitudeLGBT聖職者とそのパートナーたちと会見した。

Changing Attitudeの会長 Colin Coward師は、英国国教会には1000人以上のLGBT聖職者がいると語っている。

  

  

オーストラリア聖公会の同性愛者の聖職者按手

| 10:13 | オーストラリア聖公会の同性愛者の聖職者按手 - Ry0TAの日記 を含むブックマーク はてなブックマーク - オーストラリア聖公会の同性愛者の聖職者按手 - Ry0TAの日記

  

オーストラリア聖公会の同性愛者の聖職者按手に対する方針も、よく分かっていないのだが。

  

Anglican Church of Australia

2004年、オーストラリア聖公会総会(general Synod)は、同性愛(者)に関連するいくつかの決議を出している。

聖職者按手に関する決議は、以下。

  

63/04 Sexuality & Gender Relationships – 3

Recognising that this is a matter of ongoing debate and conversation in this church and that we all have an obligation to listen to each other with respect, this General Synod does not condone the ordination of people in open committed same sex relationships.

  

オーストラリア聖公会も、「同性愛関係を持っていることを明らかにしている」人物の按手は認めない、が方針のようだ。

「同性愛者は認めるが、同性愛行為・関係は認めない」

「ゆえに、同性愛者が聖職者に按手されるかは、celibateであるか否かにかかっている」

という路線だ。

しかし、celibacyをどこで判断するのか。

同性婚またはシビル・ユニオンを結んでいないということか。

シビル・ユニオンを結んでいないオープンリー・レズビアン/ゲイの聖職者が無条件に承認されているか?というと、そうではない。

同性愛者だとカムアウトした聖職志願者が「問題化」するレベルは、個々の事例により様々である印象を受ける。

この点を、もう少し考えないと。

  

  

カナダ聖公会の同性愛者の聖職者按手

| 09:50 | カナダ聖公会の同性愛者の聖職者按手 - Ry0TAの日記 を含むブックマーク はてなブックマーク - カナダ聖公会の同性愛者の聖職者按手 - Ry0TAの日記

  

カナダ聖公会の同性愛者の聖職者按手に対する方針が、よく分かっていない。

  

Anglican Church in Toronto Defrocks Priest Who Is Gay - March 22, 1992 - The New York Times

1992年、トロント教区が、男性との関係を絶つことを拒んだJames Ferry師を聖職剥奪した。

11年間司祭職にあったFerry師(当時39歳)は、これより1年前、ゲイであることを教会にカムアウトし、またその後、自分が担当する信徒団のメンバーたちが、自分がある男性と持っている関係に気づいており、公にしようしていると打ち明けていた。

同性愛者の聖職者を認めるが、独身(celibate)でなければならないという、1979年のthe Anglican House of Bishops in Canadaの決定が根拠である。

  

カナダ聖公会は、1997年、「人間のセクシュアリティに関する声明」を発表している。これは基本的に上記の1979年の声明の再確認である。

HUMAN SEXUALITY : A STATEMENT BY THE ANGLICAN BISHOPS OF CANADA - 1997 - Anglican Church of Canada

  1. カナダ聖公会は、同性愛を、広く人間のせくシュアリティの中で考えてゆく。
  2. すべての人間は性的指向にかかわりなく紙の前で平等であることを認める。同性愛指向を持つ人間は受け入れるが、同性愛行為は受け入れない。
  3. 同性婚の祝福はしない。
  4. 同性愛者であることをカムアウトした人物の聖職者按手は、その人物が性的行為を慎むことを約束していれば、問題にされない。

We will not call into question the ordination of a person who has shared with the bishop his/her homosexual orientation if there has been a commitment to the Bishop to abstain from sexual acts with persons of the same sex as part of the requirement for ordination.

  

この内容は、1998年のランベス会議の声明とほぼ同じ方向性だ。

(ランベス会議の声明は、「同性愛者の聖職按手を奨励しない」としているが、カナダ聖公会はcelibacyを条件に認めている点が異なる)

  

この声明に対するカナダ聖公会LGBT団体Integrity/Torontoの批判は、

Gay Clergy Respond to Anglican Bishops' Statement on Homosexuality - March 1998 - Greenbelt Interfaith News - Greenbelt, Maryland, U.S.A.

2009-04-11

米聖公会のオープンリー・レズビアン/ゲイの聖職者と、Carter Heyward師(フェミニスト神学者、オープンリー・レズビアン聖職者)について

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米聖公会のニューヨーク市主教Paul Moore師は、1977年、同派のLGBT組織・Integrityの副会長でありレズビアンであることを公言していたEllen Barrett師を司祭に按手した。→参照

これが米聖公会の最初のカムアウトした同性愛者の聖職者按手であり、Barrett師の任命は、1980年代にカムアウトしたレズビアン・ゲイの聖職者の登場につながったという。

  

しかし、2003年のGene Robinson主教任命が「問題化」されるまで、同性愛者聖職者按手に対する聖公会の姿勢は、はっきりしていなかったらしい。

Anglicanism / Episcopal Church - glbtq

  

In 1996, a church trial was held of the Right Reverend Walter Righter for having ordained an openly gay man while Righter was an assistant bishop in the Diocese of New Jersey. The court dismissed the charges, finding that the Episcopal Church had no clear doctrine on this issue. The contentious issue came to a head with the consecration of Bishop Robinson in 2003, a move that exposed the deep rift in the denomination over glbtq issues.

  

glbtqは、カムアウトした上で按手された聖職者の事例を挙げていない。

が、現職としてカムアウトした2人の聖職者の事例を紹介している。

  

the Reverend Malcolm Boyd

1986年、著作『Gay Priest』の中で自分をゲイとして自認していったことを語る。

1996年から、ロサンジェルスのCathedral Centerに所属する作家・詩人。

  

the Reverend Carter Heyward

かの「The Philadelphia 11」の1人。

フェミニスト神学者。

1975年からthe faculty of the Episcopal Divinity School in Cambridge, Massachusettsに所属。

1979年、Barrett師を支持するために、レズビアンであることをカムアウト。

Carter Heyward - Feminist Theory Website

Feminist Theory Website - Center for Digital Discourse and Cultureの、Carter Heyward師のバイオグラフィと著作一覧。

Rev. Dr. Carter Heyward - LGBTRAN

LGBTRAN: Lesbian, Gay, Bisexual and Transgender Religious Archive Network収録のバイオグラフィー。

A Conversation with Carter Heyward, Pioneer Episcopal Priest - Birgit's Place

米聖公会女性聖職者任命25周年記念のときのインタビュー。女性聖職者のための活動や、カムアウトについて語っている。