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Ry0TAの日記

2010-03-11

Housing Works「クリーヴ・ジョーンズへの8つの質問」(2009年9月)

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最近、HIVエイズに関する古い本を読み返していたが、そのなかで、おや?と思わされたことがある。

  

昨年、合衆国でカムアウトしたゲイとして初めて公職に就いたハーヴェイ・ミルクの生涯を描いた映画『ミルク』(2008)が公開された。それに伴って、ミルクを取り巻く人びと、彼とともに同性愛者などマイノリティの権利擁護のために動いた人びとのこともクローズアップされた。

クリーヴ・ジョーンズは、その一人だ。

青春時代にミルクの選挙事務所に入って以来、弟子のような立場で活動を共にし、ミルクが暗殺されたのちも政治活動に専心し、現在に至っている。

『ミルク』の脚本を書いたダスティン・ランス・ブラックを同時代の証人として助け、監督ガス・ヴァン・サントにつないだ人で、映画が話題になるなか、映画に関する彼のコメントにもあちこちで接することができた。

  

ゲイ政治家、ミルクと一緒に活動した実在の人物がショーン・ペンとミルクを語る—シネマトゥデイ

http://www.cinematoday.jp/page/N0017660?g_ref=twitter

  

僕個人は、製作開始から1週間は毎日泣き通し、ミルクを暗殺したダン・ホワイト役のジョシュ・ブローリンがそばを通ると怒りと恐怖で体が震えた、というコメント*1が印象的だった。映画が呼び戻した記憶の強烈さに、どれほどのめり込んでいたのかと胸を突かれる。

  

写真で見るとがっしりした体格の人だが、映画では華奢なエミール・ハーシュが、とてもチャーミングに演じていた。

  

『MILK—写真で見るハーヴィー・ミルクの生涯』(伏見憲明監修/安齋奈津子訳、AC Books、2009)から、彼の経歴を解説した箇所を引用しよう。

  

クリーヴ・ジョーンズは、ネイムズ・プロジェクト・エイズ・メモリアル・キルトの創始者。1954年、インディアナ州ウェストラファイエットに生まれた。

 激動の1970年代のサンフランシスコでハーヴィー・ミルクと仲良くなったころから活動家として歩み始め、ミルクの当選後はサンフランシスコ州立大学政治学を修めながら市庁舎で学生インターンを務めた。ミルク死後は退学し、カリフォルニア州下院議員議長レオ・マッカーシーウィリー・L・ブラウン・ジュニアの立法コンサルタントとしてサクラメントで働いた。

 1982年サンフランシスコに戻る。下院議員アート・アグノスの地区事務所を経て、サンフランシスコ民主党中央郡委員会に3回当選し、少年司法制度および非行防止のための地方、州委員会、ミッション・メンタルヘルスコミュニティ諮問委員会で活躍した。

 1983年、エイズの脅威を自覚してサンフランシスコエイズ財団を設立。1985年、ハーヴィー・ミルクのキャンドルライト追悼式の最中にエイズ・メモリアル・キルトを公安。1987年、親友マーヴィン・フェルドマンのためにキルト第1号を作製。この企画は世界最大規模を誇るアートプロジェクトに成長し、エイズで死亡したアメリカ人85,000人以上を追悼した。

 ハーバードエイズ研究所における国際諮問委員会、プロジェクトインフォーム全米理事会、エイズ及び免疫者調査財団取締役会のメンバーとしても活躍し,アメリカ国内や世界中の高校、カレッジ、大学で勢力的に講演活動を行っている。

 現在はカリフォルニア州パームスプリングスに住み、繊維業・ホテル業、飲食店業従事者の国際労働組合ホテルワーカーズ・ライジング・キャンペーン・ユナイト・ヒアのオーガナイザーを務める。

 2000年4月に上梓した回顧録『Stitching a Revolution』は、ベストセラーとなった。

  

『MILK—写真で見るハーヴィー・ミルクの生涯』pp.44-45.

  

クリーヴ・ジョーンズの最も有名な活動は、上の引用にもあるように、エイズ合併症で亡くなった人の名と思い出をキルトに縫い込んで形に残そうとする「The NAMES Project」(1985年サンフランシスコで開始)だ。

  

http://www.aidsquilt.org/

NAMES Project AIDS Memorial Quilt - en.Wikipedia

http://en.wikipedia.org/wiki/NAMES_Project_AIDS_Memorial_Quilt

  

NAMESプロジェクトにインスパイアされたエイズ・メモリアル・キルト運動は、日本でも早くから始まっていたから、ハーヴェイ・ミルクつながりでなくても、彼の名を知っていた人は大勢いたはず。

Memorial Quilt Japan

http://mqj.jp/

  

NAMESプロジェクトのサイトでは、データベースで5800以上のエイズ・メモリアル・キルトを見ることができる。

http://173.160.74.170:591/FMRes/FMPro?-db=search%20the%20quilt.fp5&-layID=4&-token=25&-format=Ztablevw.htm&-error=Zerr.htm&-mode=table&-sortfield=Block%20Number&-sortorder=ascend&-findall

  

NAMESプロジェクトでその名を知られ、映画『ミルク』でまた注目を集めたクリーヴ・ジョーンズだが、彼自身がHIV陽性者であることは、あまり語られないような気がする。

  

おや、と思ったというのは、このことだ。

  

HIVアクティヴィストであるから、言うまでもないということもあるのだろう。でも、HIVエイズの予防啓発・治療支援に携わっている人たちが、みなHIV陽性者なわけではない。

クリーヴ・ジョーンズ自身は、HIV陽性者であることを公にし、しばしばその体験を語っている。けれど、映画パンフレットや上記の『写真で見るハーヴィー・ミルクの生涯』でも、HIVアクティヴィズムにおける彼の献身的な活動は記していても、彼自身がHIVとともに生きている人であること、HIVエイズが死の病だった時期から、1990年代前半治療法の確立により長く共存する病になった劇的な変化の時代をサバイバルしてきた生き証人の1人であることに、触れていない。

  

なぜだろう、と思う。印象だが、日本のHIVエイズ啓発・支援活動は、陽性者・患者のプライバシーを守るということを大切にしてきたのではないかと思う。クリーヴ・ジョーンズがPWA(HIVエイズとともに生きる人)であることにわざわざ触れないというのも、そのような配慮の、自然な表れかも知れない。陰性者はわざわざ陰性者だと言う必要もないのに、陽性者だけが「この人は陽性で・・・」と言われねばならないのもおかしい。語らないことに疑問を感じる僕が、浅はかかも知れない。

  

けれど、少し、残念にも思う。

彼は、HIVエイズの最も厳しい時代を生き抜き、社会を変えようと呼びかけてきた、そういう人なのだから。

  

と、このような、答えが見つけられないことを考えているうちに、クリーヴ・ジョーンズの健康状態のことが、少し気になってきた。

昨年メディアに登場した様子からも元気なことは間違いないだろうが、感染を自覚してから20年以上を経て、いま50代のジョーンズ、健康に問題はないのだろうか。

検索していて、昨年10月ワシントンDCで開催されたナショナル・イクオリティマーチNational Equality Marchの時の彼のインタビューを読んだ。

  

http://www.housingworks.org/blogs/detail/qa-with-cleve-jones/

8 Questions for Cleve Jones-Housing Works

  

ネットで読める彼のインタビューはいくつもあるが、最近の自身の健康状態を語っているので、目にとまったのだ。

それによると、HIV由来ではない健康の問題があるが、それ以外は元気らしい。良かった。

様々な批判もあったイクオリティマーチだが、クリーヴ・ジョーンズは主催者側の1人として、マーチの意義を主張している。ジョーンズの健康状態についてもだが、1980年代から現代までHIVエイズの時代を生きてきた彼が語る合衆国HIVエイズの現状、世代観、運動観は、なにもかも納得できるかは別としても、興味深い。正確に訳せる自信がないが、メモ代わりに訳しておこう。

  

インタビューをしているHousing Worksは、PWAのホームレスに住居を確保する活動をしている団体だ。

  

クリーヴ・ジョーンズへの8つの質問

私たちがナショナル・イクオリティマーチの期間中に開催するHIVエイズに関する座り込み集会、10月10日の「エイズを終わらせるための平等Equality to End AIDS 」の準備を進めているとき、「アップデート」はイクオリティマーチオーガナイザーでありエイズ・メモリアル・キルトの創始者であるクリーヴ・ジョーンズ(54)に会った。「エイズを終わらせるための平等」のイベントが開催できないように思われていたとき、サンフランシスコでハーヴィー・ミルクとともにコミュニティの組織を始めたジョーンズは、仲裁に入ってイベントの日を救ってくれた人の1人だったのだ。

  

HIV陽性者であるジョーンズは、行進、平等の権利、エイズ・アクティヴィズム、彼を批判する人々の議論がなぜ「下らない」かということについて、このように語った。

  

エイズが今日の若い人々にとってはあなたの世代にとってそうだったものとは違うということについて、どう考えますか。

  

全体として新しい世代の感染は、多くが多剤耐性を伴っていますね。若い世代は、それについて語ったり、自分がどんな状態か明かすということは、あまりやりそうにありません。私の世代の人たちが経験した連帯は、過ぎ去ってしまいました。私は1985年検査が登場したとき、陽性だと知りました。いまの若い人たちは、もっと孤立しているのではないかと思います。

  

—あなたの世代のゲイ男性は、エイズとの戦いを放棄してしまったと思いますか?

  

私の世代にとって,部分的にはそうですね。昨夜の聴衆の目の中に、それを窺うことができました。エイズとの戦いは、単にあの恐ろしい記憶を呼び戻すだけのものですから。私は、治療が可能になるまえ、自分が体の中にウィルスがあるのだと知りながら、10年間を生きていました。ある人たちには、ただ対処することさえできないことなのです。

  

けれど、私たちは本当に、関わることの深刻さはそういうところにあるのではないと、知らねばなりません。エイズとの戦いは、過去に私たちが見てきたものではない。これを言わねばならないのは嫌なことですが、しかし私はこれは人種問題だと思っています。感染は非白人の社会でより広まっています。エイズの顔は絶えず変化し、メディアが示すよりもっと複雑なのです。多くが非白人の若い人で、かれらは貧しい傾向がある。痛ましい現実があるのに、社会からの連帯はない。これには憂鬱になります。

  

—イクオリティマーチで、健康問題改革は語られるでしょうか?

  

この問題こそ議論しなければならないことです。LGBTコミュニティが健康問題にあまり関心がないことに、私は動揺しています。私たちのリーダーたちがあまり熱心でないことには、当惑させられます。パートナーシップを持っている人は誰でも、パートナーのために保険を手に入れることが重大なことだと知っています。私たちはまだ、保険を手に入れることがいつでもできる状態ではない。HIVに限らず、乳がんについてもです。アルコール依存症や麻薬依存症治療費も同様です。私の考えでは、これはただ世論を喚起することで意味があるものになる、と思います。

  

—あなたの健康はどうですか?

  

私の健康は良いです。HIVとは関係のない健康上の問題がいくつかありますが。90年代初めは、本当に具合が悪かったのです。94年の秋に治療を始め、それは本当にうまく行きました。長い間病気だったということや、90年代初めに私が取った治療の一部から来ている問題が、いくらかありますね。

  

—なぜ「エイズを終わらせるための平等」は、週末に別のイベントとして行われるのでしょう?

  

過去の行進では、膨大なエネルギーが様々な要求を勝ち取るための戦いに費やされました。私たちは、この行進が、究極的に1つの問題に焦点を当てることを望んでいます。その1つの問題とは、法の下の平等な保護です。LGBTコミュニティに関して、もっと深く究明されることを必要としている問題はたくさんあるということも、認識しています。だから、週末に特別なプログラムを開催し、行進では発言者を招くことにしたのです。

  

—行進はリソースの無駄であると言う批判に対して、どう答えますか?

  

ああ、お願いですから、そちらには行かないでくれますか。それはつまらないことですよ。活字にして公表してもいいですが。私たちが行進に費やした額は、1回の週末のアルコール代と同じです。人は自分の蓄えを失うまいと清朝になりますが、お金を集めると言うことを分かっていない。限られた額の資金しかないのだ、と考えたようですが、それは怠慢です。運動は成長しなければならないし、そうしなければ死ぬのです。いつもより多くの人、より多くのリソースを獲得し続けなければいけません。

  

—あなたが『ミルク』で果たした役割は、あなたを若い世代に近づきやすくしたと思いますか?

  

まったくそうだと思います。映画が登場するまで、私は全国を旅して回っていました。くたくたになっていましたよ。私たちは歴史的な瞬間にいます。まさに今、私たちが非常に勇気を持ち,強くあることができたら、LGBTのための平等を勝ち取り、それから、私たちのエネルギーを[HIV問題に?再び向ける機会が持てるでしょう。これはHIVエイズに限ったことではありませんが。

  

—もしハーヴィー・ミルクが生きていたら、彼はエイズによる死をある程度予防することができただろうという人たちの考えを読んだことがありますが、あなたはどう思いますか?

  

私はそういう議論をしようと思ったことはないですね。彼のパートナーの多くが死んだことを考えれば、ハーヴィー自身が生き残ることができたか分かりませんし。あらゆる種類の仮説があり得ますが、私たちの多くが感じるのは、ハーヴィーが生きていたら、きっとサンフランシスコ市長になっただろうということだと思います。サンフランシスコ市長が性行為にそれほど潔癖すぎなかったらと想像するのは、おもしろいと思いませんか?[カリフォルニア上院議員の]ダイアン・ファイアステインじゃなくね。

  

クリーヴ・ジョーンズのオフィシャルサイト

http://www.clevejones.com/

*1:『MILK—写真で見るハーヴィー・ミルクの生涯』p.114.

2010-01-20

Ryan Richard Thoreson, "Queering Human Rights: The Yogyakarta Principles and the Norm That Dare Not Speak Its Name"

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http://www.informaworld.com/smpp/content~content=a916820784&db=all

  

Journal of Human Rights, Volume 8, Issue 4, October 2009 , pp. 323-339.


Abstract

Over the past twenty years, regional and international efforts to secure formal protections for sexual minorities in the human rights framework have met with limited success. The prospects of these campaigns changed significantly in November 2006, when a group of activists, intellectuals, and policymakers met in Yogyakarta, Indonesia to draft a document that would outline the rights that sexual minorities enjoy as human persons under the protection of international law. Since then, activists and policymakers in local, national, and international forums have consistently invoked the Yogyakarta Principles as an authoritative document on the rights of sexual minorities worldwide, despite the fact that the document itself is not legally binding for any state or governing body. In this paper, I explore the entrenchment of sexual minorities as an at-risk group protected by human rights and the importance of the Yogyakarta Principles in advancing this “norm that dare not speak its name” on the global stage. I identify three reasons why the Principles have been quickly assimilated into policymaking: the modesty of their demands, the stability of their foundations, and the strategic, inventive ways that activists have framed and deployed them from multiple points of entry in the global system. In doing so, they have fostered a growing consensus that sexual minorities deserve protection, without necessarily creating or promoting the rights or formal protections that typically accompany such claims.

zvuqsdvblxzvuqsdvblx2013/08/10 12:20djtqmrvffsjohnf, <a href="http://www.wsoheuxbfp.com/">ohtukulcry</a> , [url=http://www.inihhztojw.com/]gzasnufqch[/url], http://www.gjrqiuajxn.com/ ohtukulcry

tdomdeoqtutdomdeoqtu2013/11/24 00:48gewtdrvffsjohnf, <a href="http://www.roouydewew.com/">kgfnqecdmt</a> , [url=http://www.qhnnqtjuwg.com/]dhlrqcyuyg[/url], http://www.grapvrawwn.com/ kgfnqecdmt

2010-01-04

ミス・マープルと「クイーア」

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ミス・マープルは,費用のこと、遠すぎること、旅の途中のさまざまな困難、セント・メアリー・ミードの家を留守にしなければならないことなどを理由に、行き渋った。レイモンドがいっさいの問題を解決してしまった。本を執筆中の彼の友人が、田舎の静かな家を一軒借りたがっていた。「家のほうはその男がちゃんと面倒をみてくれますよ。彼は家事に関してたいそう几帳面な男なんです。実は、クイーアでしてね。つまりその—」

 彼はいささか当惑していいよどんだーだがいくらジェーンおばさんでも、同性愛(クイーア)のことくらい聞いているに違いない。

  

アガサ・クリスティー/永井淳訳『カリブ海の秘密』(ハヤカワ文庫), p.13.

  

  

アガサ・クリスティで、いきなりクィアに出会った。クリスティ作品に「クィア」という言葉が出てきたことって、他にもあるんだろうか。クリスティを全部読んでいるわけではないので、僕は知らない。

  

英語圏の「クィア」という言葉の使われかたの変遷について、いまさらだがウィキペディアで確認してみる。

  

1904年のシャーック・ホームズ「第二の汚点」では、この言葉はまだ完全に非性的な文脈で使われていた。(中略)・・・しかし、この作品が出版された時代には、この言葉はすでに性的倒錯者(特に同性愛者と/または男らしくない男性)の含意を持ち始めていた。それは19世紀末にはすでに知られていた。この意味でこの言葉が使われている初期の記録は、第9代クイーンズベリ伯爵ジョン・ショルトー・ダグラスの息子アルフレッド・ダグラス卿[オスカー・ワイルド同性愛裁判のきっかけを作った恋人]への手紙である。

その後、ほぼ20世紀を通して、「クィア」は男性とのアナルセックスやオーラルセックスで受け身または受動的になると信じられてきた男らしくないゲイ男性や、その他の非伝統的なジェンダー的振る舞いを見せる者に対する軽蔑的な言葉として盛んに用いられた。そのうえ、「挿入者」の役割を果たしていた男らしい男性は、しばしば「ストレート」と考えられた。近代アメリカで初めてこの言葉が出版物で用いられたのは、『Variety』誌である。

In the 1904 Sherlock Holmes story The Adventure of the Second Stain, the term is still used in a completely non-sexual context (Inspector Lestrade is threatening a misbehaving constable with "finding himself in Queer Street", i.e., in this context, being severely punished). By that time that story was published, however, the term was already starting to gain its implication of sexual deviance (especially that of homosexual and/or effeminate males), which is already known in the late 19th century; an early recorded usage of the word in this sense was in a letter by John Sholto Douglas, 9th Marquess of Queensberry to his son Lord Alfred Douglas.

Subsequently, for most of the 20th Century, "queer" was frequently used as a derogatory term for effeminate gay males who were believed to engage in receptive or passive anal/oral sex with men, and others exhibiting untraditional gender behavior. Furthermore, masculine males, who performed the role of the 'penetrator' were in some cases considered 'straights'. [3] The first time it was used in print in America in the modern era was in Variety magazine

  

http://en.wikipedia.org/wiki/Queer#Traditional_usage

  

クリスティのミス・マープル・シリーズが書かれたのは1930ー1971年、『カリブ海の秘密』は1964年の作品だ。まさに「クイーア」が「セックスで受け身になる男らしくない男性同性愛者」「伝統的ジェンダーを逸脱した者」に対する軽蔑的な呼称として用いられていた時代のただ中である。和訳するなら「おかま」とほぼ同じ、上の翻訳も「実は、おかまでしてね、つまりその—」にすればいいじゃないかとも思うが、「クイーア」としたのは、「ジェーンおばさんは聞いたことがないかもしれない言葉」のニュアンスを出したかったのだろうか。「おかま」を聞いたことのない日本語読者は少なそうだ。

  

上の引用に登場する「クイーア」には、あくまで日本語訳を読んだ感触としてだが、蔑称的なニュアンスは感じられない。レイモンドの友人の作家の話をしているのだから、まあ当たり前だが。

ミス・マープルの甥のレイモンド・ウェストは、ミス・マープルによれば「どうにも虫の好かない人間たちが、いかにも妙ちきりんなことばかりするような本」(前掲書, p.10)を書いている現代小説家である。クリスティはどんな作家をイメージしてたのか、僕はなんとなくビート世代っぽいのを想像していたが、1930年代からおまえの小説には不愉快な人間ばかり出てくるとミス・マープルに言われているので、たぶん違うだろう。

とにかく、規範に縛られない感性を持ち、「クイーア」であることをカムアウトしている同業者の友人もいたりして、ヘテロセクシストではないリベラルな思想の持ち主がレイモンドである。というか、その進歩的なリベラルさを示すために、「クイーア」がここで登場しているのかもしれない。

  

けれど、このレイモンドのリベラルさは、あらかじめミス・マープルの言葉に出さないぼやきに腐されているのだ。

カリブ海の秘密』のオープニングは、「クイーア」が登場するとともに、セクシュアリティについて随分饒舌な語りのある箇所である。

  

“セックス”などという言葉は、ミス・マープルの若いころは人の口の端にのぼらなかったものだ。しかしセックスそのものはふんだんにあったしーただ今ほど話題にならなかっただけだー当節よりもはるかに享楽されていた。あるいは少なくともミス・マープルにはそう思えた。ふつうセックスの享楽には罪悪のレッテルが貼られるが、それでも現代の様相—セックスが一種の義務になりはてている様相に比べれば、そのほうがずっとましだという感は否めなかった。

  

田園生活が牧歌的だと考えるのは見当違いもはなはだしかった。レイモンドのような人はその点についてたいそう無知だった。教区におけるお勤めの間に、ミス・マープルは田園生活なるものの現実を知りつくしていた。それについて書くことはいわずもがな、人前で話したいとも思わなかった。—がとにかくそれらを知ってはいた。自然なもの不自然なものとりまぜて、いたるところにあるセックス。婦女暴行近親相姦、あらゆる種類の性的倒錯(その中には、これまでに何冊も本を書いているオクスフォード出の聡明な青年たちでさえ、話に聞いたこともないと思われるような倒錯まである)。

  

前掲書, pp.10-11.

  

  

これは、クリスティ自身の考えだろうか、違うだろうか?

ミス・マープルはクリスティの祖母がモデルだというが、『カリブ海の秘密』のころにはクリスティは70代、ミス・マープルに近いスタンスで時代を眺めていたかも知れない。分からないことだが。

  

ミス・マープルの時代のセクシュアリティの文化のありように共感するわけではない。結婚以外のセクシュアリティが存在するとしても、それが沈黙によって性暴力と一緒にアンダーグラウンドに隠蔽されようとしている社会では、僕は生きて行くことができないから。だが、面白いな、と、このくだりが興味深く思われるのは、カリカチュアライズされたミス・マープルとレイモンドのセックスをめぐる世代的断絶が、伝統的な性の規範、対、解放という図式ではないことがはっきりと描かれているところだ。むしろ、飯野由里子さんが紹介している性の言説をめぐるフーコーの理論をなぞっているようにも見えるのだが、見当違いだろうか。

  

フーコーによると、近代に起こった「性についての、文字通りの言説の爆発」によって、性について「どのような時」に「どのような状況」のもと「どのような話し手の間で」語られるべきなのかに関する統制が行われるようになった(フーコー1986:25-26)。そして、こうした統制の結果,一方では「異性愛に基づく一夫一妻制」が「語られることのより少ない」「一つの基準として機能」するようになり、他方では、この基準から外れるものはみな「周縁的性現象」として「自分がいかなるものであるかという難しい告白をする番」(ibid:25-26)とされたのである。したがって、フーコーにとって「周縁的性現象」の出現とは、性に関する言説の抑圧が緩んだ徴候などではない。むしろ、それは性に対する「権力の形式」が「禁忌」から「管理」へと移ったことを意味している。

  

古風なミス・マープルを半ば憐れみながら、むしろミス・マープルと彼女が暮らす村の生活に性を忌避する規範を(あたかもそれがあって当然であるかのように)押しつけ、ミス・マープルの前で「クイーア」である友人のことをあたかも語ってはいけないことのように「いいよど」んでいるのは、じつはレイモンドの方なのである。一方、セックスについて何も語る気はないミス・マープルは、あらゆる種類のセクシュアリティが小さな村にも当たり前に存在していることを知っている。

  

僕が知る限り、クリスティは異性以外の性を愛する人間も、身体とは異なるジェンダーを生きる人間も描かなかった。クリスティ作品は、基本どこまでもヘテロノーマティヴだ。

けれど、クリスティの世界に、ヘテロノーマティヴなジェンダーセクシュアリティを問い直す契機がなかったとはいえないだろう。クリスティが1964年、74歳のときに「クイーア」という言葉をどんなイメージとともに使ったのか分からないけれど、なんだかその言葉は、構造を挑発する亀裂を起こす力を持っているような気がする。

2009-11-29

世界のHIVエイズ対策に対する資金援助の後退

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今年で21年目となる2009年の世界エイズデー(12月1日)のテーマは「普遍的アクセス人権」。

  

WAC(World AIDS Campaign)のページ

http://www.worldaidscampaign.org/en/Universal-Access-and-Human-Rights

2009世界エイズデーのテーマは「普遍的アクセス人権」-エイズ&ソサエティ研究会議・HATプロジェクト

http://asajp.at.webry.info/200906/article_6.html

  

このアクセスとは、HIVエイズのための医療へのアクセスのこと。世界のすべての人間が、HIVエイズ検査および陽性だった場合の抗レトロウィルス治療を受けることができる体制・環境を整えなければならない。HIVエイズ医療へのアクセスが妨げられる・奪われる(経済的に、また社会的文化的環境によって)ことは、すべての人間が健康に関して持っている基本的人権(世界人権宣言第25条)の侵害にほかならない、ということなのだろう。

  

3年前の2006年、「2010年までにすべての人がHIVエイズ予防プログラム、治療、ケア、支援にアクセスできるようになる」という目標が打ち出された。その2010年は、もう目の前、1ヵ月後である。

  

しかし、昨年2008年のキャンペーンテーマ「リーダーシップ」が単なる「目指すべき目標」ではなく、上記の公約を果たさない各国指導者に対する切迫した怒りをはらんでいたように、今年の「普遍的アクセス人権」も、瀬戸際といえる「現実の危機」を背景にしているようだ。

  

エイズデーを間近に、11月5日付で国境なき医師団が発表した報告は、世界不況によって始まった先進諸国の対HIVエイズ対策への資金援助の縮小が、最も多くのHIV陽性者・エイズ患者を擁しているアフリカ諸国などで進められてきた治療プログラムを停止させ、大勢の患者を死の瀬戸際に放り出そうとしていることを明らかにした。

  

抗レトロウィルス治療は、継続が必要だ。

HIV薬の服用は中絶してはいけない。薬の効かない耐性株が生まれ、生命の危険となる。

とても息の長いプロジェクトなのだ。

  

つまりHIVエイズ対策支援で、絶対やってはいけないことが、そのプログラムを「途中で途切れさせる」ということだ。

  

不況を理由にした資金援助の削減は、単に「(金がないから)他国まで構っていられない、仕方がない」という現実主義的自己中心主義の問題ではない。

HIVエイズと共存する世界の将来に対して、「最もやってはならないこと」をやろうとしている、ということなのではないか。

  

  

12月1日は世界エイズデー 資金減額で死者増加の恐れ-HIV/エイズ対策-国境なき医師団

http://www.msf.or.jp/news/2009/11/2138.php

  

エイズ対策のための国際的な資金援助公約の後退は、ここ数年、劇的に進展してエイズ関連の病気や死亡を減らしている取り組みを根底から覆す恐れがある―国境なき医師団(MSF) が2009年11月5日に発表した報告書はこう指摘している。

  

去る11月9日から11日にかけて、エチオピアアディスアベバで、第20回目の「世界エイズ結核マラリア対策基金」(世界基金)理事会が開催された際には、新規資金援助提案の一時凍結も危惧され、貧しい国々におけるエイズ対策は、金融危機による資金不足問題のしわ寄せを顕著に受けていることが明らかとなった。日本政府は、同基金の「生みの親」を自認しており、これまでに計10億ドル以上の援助を行ってきた。一方、米国のエイズ対策プログラムである「米国大統領エイズ救済緊急計画」(PEPFAR)は、今後2年間、資金援助額の増額を控えることを決定した。

  

現在、ウガンダでは、援助資金拠出機関による援助減額の影響がすでに出始めており、新規のHIV患者に対する治療中止を余儀なくされている医療施設もある。南アフリカ共和国フリーステート州では、昨年11月より数ヶ月間にわたって治療薬の供給不足が発生し、治療の中断や新患受け入れの延期の影響により、約3000人が死亡したとみられる。

  

2005年のG8サミットで首脳たちは、エイズ治療を2010年までにすべての人に行き渡らせることを公約し、この公約に勇気づけられて、多くのアフリカ諸国政府は意欲的なエイズ治療対策を打ち出した。

  

この結果、MSFが調べたところ、マラウイ南アフリカの抗レトロウイルス薬(ARV)治療が広く行われている地域では全死亡率が大きく低下し、また、マラウイのチョロ郡や南アフリカの西ケープ州では結核患者の数が大幅に減少している。世界基金からの援助資金凍結という当面の危機は回避されたものの、今後、国際的な資金拠出機関による援助資金の減額といった事態が生じれば、こうしたエイズ対策への投資が無駄に終わってしまうだけではなく、より重篤な症状に苦しむ患者が増加する一方で、治療に必要な援助資金額は増加の一途をたどるという悪循環に陥ってしまう危険性がある。

  

朝日新聞の記事-

HIVエイズ対策を後退させてはならない(国際支援の現場から)-朝日新聞(2009年11月13日)

http://www.asahi.com/international/shien/TKY200911120268.html

  

こちらも全文重要だが、要点だけ抜粋。

、「すべての患者にARV治療を」という国際合意の下に進められてきた取り組みと資金援助が、世界的な不況のなか、後退を始めている。12月1日の「世界エイズデー」を前に、国境なき医師団(MSF)は、途上国の多くの患者を死のふちに置き去りにしようとするこの動きに警鐘を鳴らし、支援の継続を訴える。

  

「世界エイズ結核マラリア対策基金」(以下、「世界基金」)は、2000年のG8九州・沖縄サミットを契機に翌年設立され、これまで各国の感染症対策に150億ドルを提供、350万人の命を救った、と推計されている。HIVエイズに関しては政府間援助の4分の1近くを担う最大の援助機関である。その「生みの親」を自認する日本政府も、理事国として積極的に「世界基金」を支援し、計10億ドル以上を拠出してきた。しかし、今年3月に「世界基金」は、2010年までの途上国政府の援助ニーズに対し、拠出金に40億ドル以上の不足が見込まれると報告。現在、援助の規模を急激に縮小している。積極的に拡大してきた援助予算に対し、拠出国からの資金が不足しはじめたためである。米国などの援助国政府も、援助規模の縮小や足踏みの傾向にある。

  

(中略)

  

 2005年のG8サミットで首脳たちは、2010年までにエイズ治療をすべての人に提供するため支援を行うことを公約した。この国際合意が多くのアフリカ政府を勇気づけ、積極的な挑戦を促してきた。

  

現時点での資金拠出の削減は、治療を期待する患者や、ARVで命をつなぐ患者の命を危険にさらす。すでに予算削減が始まったウガンダでは、一部の病院で新規患者の受け入れを停止している。南アフリカ共和国フリーステート州では、昨年11月からARVが不足し、治療の中止や新規受け入れの延期が数カ月間続いた結果、3000人の死につながったと見られている。

  

(後略)

2009-10-25

2008年12月国連「性的指向と性自認に関する声明」に対するシリアの反対声明

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2008年12月18日、「性的指向性自認に関する声明」が国連に提起された。

  

http://gayjapannews.com/news2008/news145.htm

  

世界人権宣言60周年を機に、性的指向性自認を理由とした差別・暴力の撤廃、同性愛トランスジェンダーを処罰する法の世界的な廃止を呼びかける声明で、日本を含む66ヶ国が賛同署名した。

  

しかしこれに対して、シリアが反対声明を提出、57ヶ国が賛同した。

  

http://queeringme.g.hatena.ne.jp/Ry0TA/20091007/p1

この↑日記では、この声明文がウェブ上では見つからないと書いたけれど、Ishr (International Service for Human Rights)のサイトのアーカイヴにあった(当たり前といえば当たり前だ)。

  

だいたいの内容は↑の日記に引用した要旨の通りだが、またあとでちゃんと読みたい。

とりあえずURLを貼っておく。

  

http://www.ishr.ch/component/option,com_docman/Itemid,/task,doc_download/gid,797/+syria+statement+sexual+orientation+gender+identity+family&hl=ja&pid=bl&srcid=ADGEEShCt-OMusaKXxAGGRQkSgGWkDdlpSQJ08Qd-LPreir92z8UwoD1LUg03OEm1bePrTVcmaKA2tfMYo99VGDeRRBSX4rmHG4EDdLGFjd8eO47C5UlFY6Ry1_QihNBe5Y36bA6Ry38&sig=AFQjCNF4LbibK0KNg2YQ7Cyi80Q6Saf3iA