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Ry0TAの日記

2010-03-10

フロスト警部「狙われた天使」のレズビアン・カップル

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英国ミステリドラマ『フロスト警部』「狙われた天使(原題House Calls)」(1997)で、レズビアン・カップルが登場していた。

  

A Touch of Frost - en.Wikipedia

http://en.wikipedia.org/wiki/A_Touch_of_Frost_(TV_series)

  

ここで有料視聴できる。

http://www.showtime.jp/app/detail/contents/g00cnm120000131710758/

  

どのように登場するのか説明してしまうとネタバレになるので詳細は書かないが、物語のテーマは、「犯罪者への人間としての共感」であったと思う。

罪を犯した人間も、苦しんだゆえの、やむにやまれぬ行動だったかも知れないーなんて書いてしまうと、そんなドラマはいくらでもありそうだし、なんだかつまらない話のような気がしてくる。が、罪を犯した人間を、「犯罪者」として端から疑いの目で見るのではなく、一人の人間として見、その人間が味わった苦しみに同情もする。児童虐待で服役し刑務所で虐待された引きこもりの男シドニーに同情したことで、児童殺人事件を引き起こしたと追いつめられ苦しむが、自分の直感を信じて捜査を続けるフロストの姿を通し、その「つまらない」ことの難しさと重さを描いていた、そういうストーリーであったように思う。

  

それぞれの人物たちが、それぞれのやむにやまれぬ事情で望まない犯罪に巻き込まれてゆくなかで、レズビアン・カップルが殺人事件に巻き込まれる事情は、「クロゼット」である。

  

田舎の村で、

「ただ何も言われずに、静かに暮らしたかっただけ」

その望みは、だがほぼ必然的に、レズビアンであり恋人同士であることを隠すクロゼットにつながる。

そしてその状態を守ろうとすると、レズビアンであることにつけ込まれ危険にさらされても、正当防衛を主張できない。それを言えば、恋人同士だということも、明らかにしなければならないから。

性的少数者が遭遇する犯罪では、同性愛者やトランスジェンダーホモフォーブ(同性愛嫌悪者)やトランス嫌悪者に暴力を振るわれる、殺されるなどの悲惨な、そのぶん可視化しやすい憎悪犯罪事件が注目されるし、そういうものとして想像される。

だが、そうした大きな犯罪の背後には、小さな窃盗、詐欺、恐喝、いやがらせなど、届け出ることができず、泣き寝入りする犯罪が数知れずある、という論説を、以前読んだことがあった。被害を被っても、それを届け出るために性的少数者だと明かさねばならない、あるいは明らかになる恐れがあるなら、往々にして人は黙っていることを選んでしまう。事件そのものが、その人が性的少数者であることと関わりなくても、そうなってしまうのだ。届け出るとき、なにかプライバシーが関わるようなことを説明せねばならなくなれば、「ばれる」可能性は常につきまとう。事件が公になり、それが周囲にも知られるかも知れないと思うと、黙って被害を受け入れるほうを選択する人は、恐らく少なくないだろうと思う。

性的少数者に限らない。民族的マイノリティ、受刑者、通院などを知られては困る人・・・身や生活を守るために、泣き寝入りを選ばされる人たちが、それぞれの社会が持つ構造によって存在する。少数者が遭遇する犯罪被害のありようは、「明瞭な憎悪犯罪」だけではなく、このような構造まで考えに入れなければ、分からないのではないか。

  

フロスト警部』のエピソードが良かったのは、レズビアン・カップルを共感的に描いていただけではなく、「隠さねばならない」状態が招くこのような犯罪被害のありようを、切実なこととして捉えていたからだと思う。それがこのストーリーを、美しくけなげなレズビアン・カップルを「かわいそう」と(上から目線で)描く鼻持ちならない話に墜ちるところから救っている。

フロスト警部は時々かなり鬱陶しいマッチョオヤジ警部なのだが、彼が女性同性愛についてうざいリアクションを見せなかったのも良かった。

(かつての彼の頼もしい仲間、モーリーン・ローソン巡査部長がレズビアンだから、当然だが。)

2009-08-03

中国の女性同性愛者献血差別について(作成中)

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先月末に報道された、中国の女性同性愛献血差別に対する抗議活動について、メモ(未完成)

  

日本語での報道

中国で女性同性愛者が抗議活動―「法により献血禁止」-サーチナhttp://news.searchina.ne.jp/disp.cgi?y=2009&d=0728&f=national_0728_017.shtml

  

中国レズビアンたちが請願、「わたしたちにも献血させて」-AFP BBニュース

http://www.afpbb.com/article/life-culture/health/2625878/4406309

  

「法により禁止」とは

中国では、1998年に「中华人民共和国献血法」が制定された。

http://www.china.com.cn/chinese/zhuanti/feiyan/320134.htm

  

これと同時に制定された「献血者健康检查标准」で、献血者の条件が具体的に定められている。

http://www.brcbc.org/xxzn/cs_show.asp?Id=68

  

この中で、「有下列情况之一者不能献血」として以下の19項目が上げられ、その第18に「同性恋者、多个性伴侣者」とある。

同性愛者」というカテゴリを一括してハイリスク・グループと見なすことで、HIV感染率が高いと見なされているMSM(男性と性交渉を持つ男性)のみならず、女性同性愛者までが謂れのない差別・排除を受けている。

  

1.性病、麻疯病和艾滋病患者及艾滋病病毒感染者。

2.肝炎病患者,乙型肝炎表面抗原阳性者,丙型肝炎抗体阳性者。

3.过敏性疾病及反复发作过敏患者,如经常性荨麻疹、支气管哮喘、药物过敏(单纯性荨麻疹不在急性发作期间可献血)。

4.各种结核病患者,如如肺结核、肾结核、淋巴结核及骨结核等。

5.心血管疾病患者,如各种心脏病、高血压、低血压、心肌炎以及血栓性静脉炎等。

6.呼吸系统疾病患者,如慢性支气管炎、肺气肿以及支气管扩张肺功能不全。

7.消化系统和泌尿系统疾病患者,如较重的胃及十二指肠溃疡、慢性胃肠炎、急慢性肾炎以及慢性泌尿道感染、肾病综合症、慢性胰腺炎。

8.血液病患者,如贫血、白血病、真性红细胞增多症及各种出、凝血性疾病。

9.内分泌疾病或代谢障碍性疾病患者,如脑垂体及肾上腺病症、甲亢、肢端肥大症、尿崩症糖尿病

10.器质性神经系统疾病或精神病患者,如脑炎、脑外伤后遗症、癫痫、精神分裂症、癔病、严重神经衰弱等。

11.寄生虫病及地方病患者,如黑热病、血吸虫病、丝虫病、钓虫病、囊虫病及肺吸虫病、克山病和大骨节病等。

12.各种恶性肿瘤及影响健康的良性肿瘤患者。

13.做过切除胃、肾、脾等重要内脏器官手术者。

14.慢性皮肤病患者,特别是传染性、过敏性及炎症性全身皮肤病,如黄癣、广泛性湿疹及全身性牛皮癣等。

15.眼科疾病患者,如角膜炎、虹膜炎、视神经炎和眼底有变化的高度近视。

16.自身免疫性疾病及胶原性病,如系统性红斑狼疮、皮肌炎、硬皮病等。

17.有吸毒史者。

18.同性恋者、多个性伴侣者。

19.体检医生认为不能献血的其它疾病患者。

  

抗議活動

献血差別に対する抗議活動は、これ以前にも行われている。

  

遠山日出也さんのサイトによると、今年の国際半ホモフォビアの日(IDAHO)、広西省南寧では、広西蕾糸聯合社(Guangxi Les Coalition)のレズビアンたちが、集団で献血を行った。

  

中国各地で反ホモフォビアトランスフォビア・デーの活動-中国女性・ジェンダーニュース+

http://genchi.blog52.fc2.com/blog-entry-244.html

  

広西蕾糸聯合社のサイトの、集団献血アクションのレポート。

http://www.tongyulala.org/newsview.php?id=114

  

「問診票」の写真があり、「不能献血情況」の第2項に、「有吸毒史、多个性伴侣、同性恋」とある。

  

日本における女性同性愛献血差別

日本でも、1990年代まで「同性と性交渉を持った」人間がひとしなみに献血から排除され、HIV感染リスクが低いことがデータから分かっている女性同性愛者までが不当な差別を受けていた。

1990年代後半にこれに対する抗議活動が行われた。「セクシュアリティのカテゴリではなく、コンドームを使用しないリスクのある性行為によって区別するべき」という抗議側の主張は残念ながら通らなかったが、女性同性愛者に対する差別は少なくとも撤廃された。

  

献血差別への抗議活動についての記録(すべてではないが)は、こちらにある。

http://plaza.harmonix.ne.jp/~y-paolo/advocacy-1.htm

    

1999年まで使われていた日赤の問診票

14.この1年間に次のいずれかに該当することがありましたか。

(1)不特定多数の異性と性的接触をもった。

(2)同性と性的接触をもった。

(3)エイズ検査(HIV検査)で陽性といわれた。

(4)麻薬・覚醒剤を注射した。

(5)(1)~(4)に該当する者と性的接触をもった。

  

現在の問診票(2000年3月25日から施行)

14.この1年間に次のいずれかに該当することがありましたか。(該当する項目を選ぶ必要はありません)

(1)不特定多数の異性と性的接触をもった。

(2)男性の方:男性と性的接触をもった。

(3)エイズ検査(HIV検査)で陽性といわれた。

(4)麻薬・覚醒剤を注射した。

(5)(1)~(4)に該当する者と性的接触をもった。

  

世界の献血政策と(男性)同性愛差別

献血液へのHIV感染血液の混入の危険を防ぐ手段として、MSMを「HIV感染ハイリスクグループ」としてひとしなみに排除する政策を取っている国は少なくない、むしろ多い。

  

あまり詳しくはないが、オーストラリアの男性同性愛献血差別に抗議を続けているMichael Cainのサイトgay blood donation

http://www.gayblooddonation.org/globalreform.html

および

MSM blood donor controversy - Wikipedia.en

http://en.wikipedia.org/wiki/MSM_blood_donor_controversy#European_Union

によると、

  

危険な性行為を行った人間に献血を禁じている国:スペインイタリア

男性と性関係を持った男性に1年間献血を禁じている国:アルゼンチンオーストラリア、日本、ハンガリー

男性と性関係を持った男性に5年間献血を禁じている国:南アフリカニュージーランド

男性と性関係を持った男性に30年間献血を禁じている国:イスラエル

男性と性関係を持った男性に生涯献血を禁じている国:アルジェリアブラジルカナダチェコデンマークエストニアフィンランドフランスアイスランドアイルランド香港マルタオランダノルウェイポルトガルフィリピンスロヴェニアスウェーデンスイス英国合衆国

  

アメリカ食品医薬品局(FDA)は、「1977年(合衆国におけるHIV感染拡大)以降男性と性交渉を持った男性」の献血を禁じている。

Blood Donations from Men Who Have Sex with Other Men Questions and Answers

http://www.fda.gov/BiologicsBloodVaccines/BloodBloodProducts/QuestionsaboutBlood/ucm108186.htm

  

これに基づいて、アメリカ赤十字は、「HIV」に関する献血不可能な条件として、以下の項目を立てている:

http://www.redcross.org/en/eligibility#hiv

HIV, AIDS

You should not give blood if you have AIDS or have ever had a positive HIV test, or if you have done something that puts you at risk for becoming infected with HIV.

You are at risk for getting infected if you:

  

have ever used needles to take drugs, steroids, or anything not prescribed by your doctor

are a male who has had sexual contact with another male, even once, since 1977

have ever taken money, drugs or other payment for sex since 1977

have had sexual contact in the past 12 months with anyone described above

received clotting factor concentrates for a bleeding disorder such as hemophilia

were born in, or lived in, Cameroon, Central African Republic, Chad, Congo, Equatorial Guinea,Gabon, Niger, or Nigeria, since 1977.

since 1977, received a blood transfusion or medical treatment with a blood product in any of these countries, or

had sex with anyone who, since 1977, was born in or lived in any of these countries. Learn more about HIV Group O, and the specific African countries where it is found.

  

You should not give blood if you have any of the following conditions that can be signs or symptoms of HIV/AIDS

  

unexplained weight loss (10 pounds or more in less than 2 months)

night sweats

blue or purple spots in your mouth or skin

white spots or unusual sores in your mouth

lumps in your neck, armpits, or groin, lasting longer than one month

diarrhea that won’t go away

cough that won’t go away and shortness of breath, or

fever higher than 100.5 F lasting more than 10 days.

  

カナダのCanadian Blood Serviceは、2007年6月21日付のステートメントで以下のように発表している。

http://www.bloodservices.ca/centreapps/internet/uw_v502_mainengine.nsf/page/MSM_Statement?OpenDocument

Today, Canadian Blood Services announced its decision on the policy of indefinitely deferring any male from donating blood if he has had sex with another male, even once, since 1977 (MSM).

  

合衆国とほぼ同じ条件だ。

  

EUは、委員会Commission Directive 2004/33/EC(2004年22日3月)で、「血液感染する重大な感染症に罹る危険のある性行為をする人(persons whose sexual behaviour puts them at high risk of acquiring severe infectious diseases that can be transmitted by blood)」は永続的に献血から除外されねばならない、という指令を出した。

http://iospress.metapress.com/content/c1r9rx5fc499m1rm/fulltext.pdf

  

この決定は、「MSM=危険のある人」とは断定していないが、ヨーロッパのほとんどの国がMSMの献血を禁止している。

http://www.blood.co.uk/pdfdocs/msm_summary_of_policies.pdf

  

英国でのMSM排除規定については、

http://queeringme.g.hatena.ne.jp/Ry0TA/20090521/p1

男性と性交渉を持った男性は、たとえセイファーセックスをしていても献血を禁じられている。だが、なぜそうするのか、それが男性同性愛差別に当たらないのかという問いに、かなり詳しく応答している。

  

香港赤十字献血センター、香港紅十字会輸血服務中心のサイトには、次のようにある。

http://www5.ha.org.hk/rcbts/template?series=32&article=60

但帶菌者未發病時,他們是健康的,沒有病徵;如不驗血,也無從確定他們身上潛伏著病毒。且帶菌者在感染病毒初期的三個月內,愛滋病毒抗體測試可能仍呈陰性反應,因此受傳染的危險群如性濫交者、有男性同性性行為者和靜脈注射毒品的吸毒者都不應捐血

  

(続く)

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遠山日出也遠山日出也2012/07/10 22:38まとめをありがとうございます。
2012年7月から女性同性愛者の献血は可能になりましたので、この件について、まとめてみました。

中国、女性同性愛者の献血禁止を撤廃
http://genchi.blog52.fc2.com/blog-entry-396.html

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2009-07-22

丁乃非/劉人鵬「「同性愛嫌悪」と含蓄・寛容の美学」

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随分前にたまたま読んだ

に収録された論文

  

丁乃非/劉人鵬「「同性愛嫌悪」 と含蓄・寛容の美学

丁乃非、劉人鵬「罔兩問景:含蓄美學與酷兒政略」『性卅別研究第三、四期合刊〈酷兒:理論與政治〉專號』 中壢:中央大學, 1998, pp.109-55.

再録:劉人鵬、白瑞梅、丁乃非『罔兩問景:含蓄美學與酷兒政略 Penumbrae Query Shadow: Queer Reading Tactics』2007

isbn:9789860099393

http://sex.ncu.edu.tw/publication/2007/penumbrae_index.htm

  

のノートを取りたいと、ずっと思っているのだが。

  

著者は台湾の文学・クィア批評の研究者

  

劉人鵬(Jen-Peng Liu)  國立清華大學中文系教授

http://sex.ncu.edu.tw/members/jenpeng/index.htm

サイト「罔兩問景」http://sex.ncu.edu.tw/course/liou/

  

丁乃非(Fifi Naifei Ding) 中央大學英美文學系教授

http://sex.ncu.edu.tw/members/Ding/index.htm

  

台湾LGBTムーヴメントクィアについては何も知るところがない僕だが、たまたま読んだこの論文がずっと気になっていたのは、一読してギクッとするような「既視感」のせいだ。既視感が大げさなら「あるある感」と言ったほうがいいか。

アジア的な同性愛嫌悪」のシッポがつかまれている、という気がした。

  

しかし、文体のせいか翻訳の硬さのせいか僕の読解力と頭の悪さのせいか、なんだか咀嚼し切れず、感想を言葉にできない。

取りあえず、後のために「ギクッとした」箇所を引用しておく。

  

冒頭、問題提起ー

台湾では孤児しかカミングアウトできないのだろうか?家庭は幸福で暖かい場所だと言うが、孤児にならない限りカミングアウトできない。それは家庭のポリティックスが強大だからだ。( 家珍)

 現在台湾同性愛についての表象論(リプレゼンテーション)やレズビアンゲイムーヴメントの議論の中で再三言われている事は、アメリカ式のカミングアウト台湾同性愛者にとって難題であり、その原因は家庭にあるということである。この問題について、カミングアウトの代替案やカミングアウトという行動・ロジックを越える方法などが議論されてきた。それでは、家庭の日常生活、家庭のポリティックスの何が同性愛カミングアウトを不可能にしているのだろうか?

  

 結局、何の力が、我々に己の本文を守らせ,性別違和や性同一[性?]障害の同性愛*1を社会や家庭とは相容れない魑魅魍魎の世界に閉じ込め、折り合いをつけて生きていくという任務を負わせているのだろうか?もし我々が規定の秩序内で「同性愛者はどのようにカミングアウトするか」と問い続けるならば、「技術的にあらゆる思考をこらし」ても、結局カミングアウト(現身)はカムアウトしない(隠身)とイコールになるのではないだろうか。

  

 ここではカミングアウトの方法についてはしばし不問にし、分析の焦点を他に移す。カミングアウトをとりまく無名の圧力とは結局どのような力なのか。どのようなコンテクストによって、この圧力が寛容、愛、優しさ等の名の下で、現代の民主的・多元的秩序を完成させ、同時にカミングアウトを依然として困難なものにしているのか?

  

pp.281-282.

  

そして著者は、現代香港台湾の時空間、あるいは中国語圏の文化時空間に作用している「「含蓄」というポリティックス」に着目する。

  

本論分が論じるのは、「寛容」とは思考停止状態の、含蓄というレトリックの策略であるということである。「寛容」は日常用語レベルでも含蓄に富んでいる。「寛容」の二文字は人間関係において言語化されたとき、容認できないこと、あるいは容認の限度であることを伝える。たとえば「この問題に対し、私は常に最大の許容度を示してきた」というとき、話し手が真に寛容であった場合には使われない。本論文が分析するのは、「寛容」という修養が要求するもの(以下の清清の家族の例のように)、あるいは「沈黙の寛容」という文化伝説(同性愛論)が内包しているだろう含蓄の同性愛嫌悪の力である。

  

pp.282-283.

「含蓄」とは一般的には漢文学の伝統的美学の1つであるそうで、詩の引用などで意を伝える婉曲で間接的な表現を指すらしい(よく分からないのだが)。

「含蓄」が通じるためには、「必ず「群体和同(ある集団が一つの心である)」の状況下でなければなら」ない。直接な明言を必要とせず、皆が分かり合っているという暗黙の了解のもと振る舞うことを善とする規範。ここで、「含蓄」という倫理的美学規範は、文学に留まらず社会的ポリティックスにつながってくる。

  

含蓄のある,婉曲で間接的な表現形式が、もし抑制力になり、またある空間を共有する人々は心を一にしていると仮定するなら、秩序は明言する必要のない含蓄の力を利用して、秩序の中心外の個体の生存、活躍の可能性を失わせる事になるだろう。

  

p.284.

  

著者は、大衆小説賞を受賞したレズビアン小説『逆女』のあるエピソード、主人公・天使との関係から娘の清清を「正常な生活」に引き戻そうとし、清清を自殺に追いやってしまう家族に、どのように「寛容」と「含蓄の精緻な力」がはたらいているのかを分析する。

  

 精緻な含蓄は一種の力であり、屈辱感をもたらす。無言のうちに、あるいは間接的に、言語ではなく行為で、含蓄は是非・善悪を判別する。沈黙の寛容の中に、性とジェンダーの階級的美学の標準を伝達し、クローゼットの中に戻ることを要求するのだ。そして屈辱感は含蓄という影の外のうっすらとした罔兩(影)になる。含蓄のある、優美な[ヂャン]家で、娘は絶対的な含蓄をもって正常に戻るしかなかった。

(略)  

 もし[ヂャン]家の理想的で「含蓄」のある教養モデルが強烈な同性愛嫌悪という力を構成したなら、小説の語りそのもの、および内包される読者・批評も同様に同性愛に対する直接的なタブーを逃れている。そして、ともに含蓄をもって、暗示的に抹殺し、譴責し、抑圧しているのである。これは一種のおだやかで温和な同性愛嫌悪に相当する。

  

以上、小説の語りと批評の中に、含蓄,寛容という倫理的美学規範は、認識されにくい同性愛嫌悪という作用を引き起こし促進する、あるいは同性愛嫌悪の連鎖反応を引き起こすことを我々は見てきた。このような価値観を背負った「理解寛容」等の観念と語彙を使用し、伝達し,流通させるとき、結局誰が、あるいは何が、その内部で完全な面目を保つのだろうか。

  

pp.288-289.

  

 近年、台湾中国文学研究で、特に流行しているのが漢学のジェンダー研究である。伝統中国の女性と同性愛を論じ、おおむね「西洋とは違う」「中国的」歴史経験や思考形式を挙げ、セクシュアリティジェンダー研究における西洋の覇権性を阻もうとする。

(略)

実際、セクシュアリティジェンダー研究の領域で、中国と西洋の差異という伝説は容易に援用されている。フェミニズムゲイレズビアンムーヴメントセクシュアリティ研究は「西洋」を起源とするものとみなされ、「中国」は「西洋」の放縦さとは対極にあると断じ、あるいは「中国」は西洋の衝撃の下に努力し進歩した学生であると論じるのである。この二種の言説と運動領域が結びついたとき、一定の作用をもたらすことを証明しよう。前者は、我々は異なる温和な伝統があるので方法を変える必要はない、という。後者は、ある特殊な成長過程は我々のものである、という。後者も他の方式への改変や闘争を拒絶する方向性を示している。二種の言説は、両方とも言外に,マイノリティの主体の存在と闘争に正面から向き合うことを否定し拒絶している。そして常に特定の資源をもつマイノリティの個別の主体は、権力の間隙に入り込み、容認されまた対抗することができる。彼女が成功し,現有の権力,利益の階層秩序をおびやかさず、現在の状況に多元的な繁栄を添えるなら、このマイノリティの個別の主体は「寛容」されるのである。多元、民主、開放的な「寛容」のもとに、同性愛を描きつつ同性愛を再びおとしめたり無意識のうちに抹殺している者は枚挙にいとまがない。

  

pp.289-291.

  

 現在の同性愛論の多くは、多元、開放、健康的で同性愛嫌悪のない伝統的中国の性の楽土を意識的に構築する。その問題点は、一、同性愛および同性愛嫌悪の歴史記述を単純化した二元方法で処理し、中国と西洋,現代と過去を本質的な総体としている。これは常に新しい文化、勢力の衝撃を受け続け、すでに雑種化、多元化した時空間が併存する香港台湾とは相容れない。二、「寛容」を理想化することで,実際は想像上の「含蓄寛容」の伝統を強大化している。そして,慈愛にみちた寛容なレトリックを用いて性別違和や性同一障害の人は必ずこの文化を尊重し,回帰しなければならないと説く。そして文化内の同性愛嫌悪と多元的寛容を堅持することによって、マイノリティや性同一障害の個人に個人的「不正常」の問題を負担させることになる。三、「寛容」という含蓄の力は、確かに日常生活の公/私的領域や行動・言語活動で観察できる規範である。だから「寛容」は一種のレトリック上の含蓄の力として、更に分析されるべきで、自明の理想的価値観としてとどめておくことはできない。われわれは少なくとも台湾では「寛容」と「含蓄」というレトリックとポリティックスが依然として力を持っていると考える。その外見は、たとえば「民主化」などに変化しながら、特に家庭内の性愛をとりまいている。

  

p.292.

 含蓄という言行の美の力と感知構造が一日でも続くならば、同性愛の欲望やセックスはこの特殊な民主形式の下に細々と生き延びるしかなく、さらに抑圧されていくだろう。なぜなら彼らは同性愛嫌悪ではなく、沈黙の寛容を持って対するからである。

  

p.293.

*1:この箇所は、著者が同性愛者=トランスジェンダーと考えているのか、訳に問題があるのか、不明。

2009-07-03

日本の女性同性愛表象・言説の近現代史にかかわる研究について、メモ

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現在の日本社会の男性同性愛イメージがどのように成立してきたのか、多々知らないこと・疑問に思うことがあるのだが。

さらに知るところの少ない女性同性愛・レズビアニズム表象・言説について、どんな研究があるのか。

まだいろいろあると思うけれど、取りあえず知ったところからメモしていく。

  

1910-20年代 明治末期〜大正期 西洋性科学「同性愛」言説輸入の時代  

肥留間由紀子「近代日本における女性同性愛の「発見」」『解放社会学研究』17(2003)

  

赤枝香奈子氏の研究

http://queeringme.g.hatena.ne.jp/Ry0TA/20090629/p1

  

1930-40年代 昭和初期・第二次大戦

??

  

戦後-1960年代

杉浦郁子「一般雑誌における『レズビアン』の表象—戦後から1971年まで」『現代風俗学研究』11(2005), pp.1-12.

  

1970-80年代 ウーマン・リブ期から90年代ゲイ・ブーム期前まで

杉浦郁子「1970、80年代の一般雑誌における「レズビアン表象レズビアンフェミニスト言説の登場まで」

矢島正見(編著)『戦後日本女装・同性愛研究』中央大学出版部, 2006, pp.491-518.

参考

杉浦郁子「日本におけるレズビアンフェミニズムの活動--1970年代後半の黎明期における」『ジェンダー研究』11(2008), pp.143-170.

  

そのほか:研究者など

黄綿 史 さん

http://www.soc.hit-u.ac.jp/research/wakate/detail.cgi?ID=4

研究テーマ:近代日本における女性同性愛言説の誕生

2009-06-29

「受容する者」と「受容される者」の非対称性(堀江有里)

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このエントリで触れた、

この

本に収録された、

  

堀江有里「排除/抵抗のレトリック : 「差別事件」に向き合う「主体」の問題をめぐって」 pp. 157-187.

  

いま、「差別」という言葉を使用することは「<政治的正しさ>を強調し過ぎる振る舞いとして嫌悪される」。しかし一方で「<差別事件>と呼ばれる現象が頻発」し、「ある現象が<差別事件>として名指しされ、社会問題化されるプロセスがこの瞬間にも継続している」。そういう社会に私たちは生きている。

このような状況において、「反差別論」は構築しうるか、そのために踏まえねばならない作業はなにか、という、なんというか"根性のいる"(この著者らしい、と僕が勝手に感じる)問題提起を持つ論文で、ちゃんとノートを取りたいと思うのだが。

  

今は取りあえず、本論の最後にあたる第3節「抵抗運動のポリティクス」(2)「抵抗運動の陥穽」の一部を、書き写しておきたい。

キリスト教会の同性愛差別問題に留まらず、「<差別問題>への抵抗運動」にしばしば呈される、「受け入れられないようなことは言う/するものではない」「穏やかに受け入れられるようにすべき」という主張に、ある返答をしていると思う。

 

著者は、「同性愛者の信者や聖職者を教会は受け入れるか」という議論を進めてきたカナダの教会の事例を紹介する。

1988年、カナダ合同教会は「壮絶な議論の末」、同性愛者を排除せず「すべての人々を受け入れる」決議を出した。

そして、その総会会場で、同性愛者の聖職者に絶対反対していたある女性が、同性愛者と支援者の団体「アファーム」のコーナーを見、「ロビーで最も親切なグループ」と感じられるメンバーの様子に、その認識を改めた—つまり、その女性の中で、「同性愛者は「排除されるべきもの」という漠然としたイメージから、受容可能な具体的な存在というイメージへ」と変わった、というエピソードを取り上げる。 

  

 このようなエピソードは、一見、「良い」話のようにとらえられる。しかし、一歩、踏みとどまって考えてみたい。これら双方—受容する側と受容される側—にある関係性は、果たして「対等」であり得るのだろうか。ここで次のように仮定してみよう。もし「アファーム」のメンバーである同性愛者たちが、ロビーで議員たちにレモネードを配るのではなく、周囲に不愉快と解釈されるような態度を示していたらどうだったのであろうか。もし、彼ら/彼女らが、総会の議論の行方を案じ、終始、笑顔を振りまくこともなく、不機嫌にただ座っているだけであったら、どうなっていたのであろうか。「アファーム」のメンバーたちは、当然、議場で議論されている事柄を意識していたであろう。であれば、多くの人びとに対して、とりわけ同性愛者を排除する人々に対して、受容可能な印象操作を行っていたと思われる。たとえば、受付の女性が受容可能なイメージへと認識を変化させたのは、そのような印象操作の結果であるとも考えられる。そして、ロビーという場で起こった相互作用は、印象操作を行うことによって、「正しい」もしくは「普通の」—少なくとも異性愛者と何ら変わりのない—同性愛者のイメージを創出し、再生産するものであったとも考えられる。それは一方で、「正しい」、「普通の」という規範から外れた同性愛者への排除は継続することをも意味する。すなわち、そのような相互作用は、受容可能な存在と受容不可能な存在を峻別する装置を発動させるものでもあるのだ。ここで注意しておかなければならないのは、受容する側が、その立ち位置を移動することはなく、イメージの変遷を辿っていることである。受容する側の立ち位置、アイデンティティは揺るがされることなく、「正しい」、「普通の」同性愛者が受容されることは、排除される同性愛者のみが烙印を付され、排除する側の異性愛主義については不問のまま、維持されるということでもある。ここには「対等」ではない関係性—非対称性—が存在する

  

前掲論文, pp. 177-178.(強調、引用者)

  

著者は、日本基督教団の「同性愛差別事件」への抵抗運動が、表に出ることができない当事者(同性愛者)ではなく、非当事者だが差別に同化することを拒否した「共働者」によって担われたことを重視し、そこに「従来の<差別>をめぐる問題規制[「差別者」と「被差別者」のあいだの権力関係]を脱構築する可能性」を模索する。

  

たしかに、「共働者」(いわゆる「アライ」だ)が<差別問題>を戦うことは、差別する側、マジョリティが自ら「立ち位置を移動」する、マジョリティの在りかたを問うことであり、そこには「被差別者」当事者が「受け入れ」られるために相手の土俵(価値観)に上がることを強いられるのとは決定的に違う、パラダイム・シフトの可能性がある。「共働者」、アライにしかできないことは、もの凄く大きいと僕は思っている。

  

でも、著者は、それにも疑義を投げかける。なぜなら、「被差別者」と「共働者」のあいだにも、権力関係、非対称性が存在するからだ。「共働者」は「被差別者」の側に立って「排除されていることを告発する者」だが、同時に「被差別者」を「受け入れる存在」でもある。そして「共働者」も、<差別問題>を生み出す社会構造から自由ではない。

  

これは、ほかの「<差別問題>への抵抗運動」にも(それぞれの状況は大きく複雑に異なるが)共通する問題だろう。

僕らが非・当事者として<差別>を告発するとき、そこには「可能性」もあり、「ねじれ」もある。

パラダイム・シフトを引き起こす「可能性」を守りたいなら、僕らは(それを「内ゲバ」とか「コップの中の嵐」と言われることがあっても、)「ねじれ」と真剣に向き合うことを止めてはいけないのだろう。

  

「アライ」や非当事者の共働者の持つ危うさ、自戒すべき問題については、マサキチトセさんが書いていることが参考になるかもしれない。

「アライ」が生み出す三重構造—C plus M

http://d.hatena.ne.jp/cmasak/20081226/1236954044

お前は去れるじゃん—C plus M

http://d.hatena.ne.jp/cmasak/20090612/1244742141

赤枝香奈子「女同士の親密な関係と二つの<同性愛>──明治末から大正期における女性のセクシュアリティの問題化」/その他の研究

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赤枝香奈子

京都大学大学院文学研究科社会学教室研修員

http://www.socio.kyoto-u.ac.jp/index.php?%C0%D6%BB%DE%B9%E1%C6%E0%BB%D2

  

近代日本における女性のジェンダーセクシュアリティ規範の問題を、とくに「女同士の親密な関係」という視点から研究している。

  

論文

「『青鞜』における「女」カテゴリーの生成──日本フェミニズムの歴史社会学的考察に向けて」

『ソシオロジ』第144号、2002年

  

「近代日本の女同士の親密な関係をめぐる一考察──『番紅花』をいとぐちに」

京都社会学年報』10(2002), pp. 83-100.

http://ci.nii.ac.jp/Detail/detail.do?LOCALID=ART0007494792&lang=ja

↑PDFでダウンロード

  

「女同士の親密な関係と二つの<同性愛>──明治末から大正期における女性のセクシュアリティの問題化」

仲正昌樹編『差異化する正義』御茶の水書房、2004年

  

「女同士の親密な関係にみるロマンティック・ラブの実践――「女の友情」の歴史社会学に向けて」

社会学評論』第56巻1号(2005)、p.129-146.

http://sociodb.jp/search/details.php?ID=105000189

  

「女同士の親密な関係と二つの<同性愛>──明治末から大正期における女性のセクシュアリティの問題化」仲正昌樹編『差異化する正義』御茶の水書房、2004年 pp.117-156.

収録

http://bookweb.kinokuniya.co.jp/guest/cgi-bin/wshoseaohb.cgi?W-NIPS=9978560971&AREA=05&LANG=E

  

目次

仲正昌樹「共同体と「心」」

権安理「コモンの現前と間隔化 : 共同体におけるパロールの功罪」

小森謙一郎「父権制脱構築 : エンゲルスデリダコーネル

村田泰子「抵抗する母性 : 子ども一時預かり施設「ばぁばサービスピノキオ」の実践から」

高原幸子「森崎和江の言論の喚起するもの : 詩的言語と媒介者」

赤枝香奈子「女同士の親密な関係と二つの「同性愛」 : 明治末から大正期における女性のセクシュアリティの問題化」

堀江有里「排除/抵抗のレトリック : 「差別事件」に向き合う「主体」の問題をめぐって」

菊地夏野「沈黙と女性 : G・C・スピヴァクの視座」

レイ・チョウ(周蕾)/仲正昌樹訳「ポストコロニアルな差異 : 文化的正当化における教訓」

稲葉奈々子「フランスにおける都市底辺層の生き抜き戦略 : 「対抗」 -- 労働市場からの離脱」

ヨアヒム・ボルン, ビルギート・ハーゼ, ヴァルター・シュルツ著/仲正昌樹訳「カギとしての言語 : 文化・アイデンティティ・空間」

  

ややいいかげんにまとめると、明治末期~大正期の日本で、女同士の「親密な関係」が、当事者の女性たちの実践、「女性」のセクシュアリティを管理しようとする社会のまなざし、西洋性科学の「変態性欲」としての「同性愛」概念の流入などの中で、どのように問題化され、定義づけられていったのか、近代日本における女性のセクシュアリティの問題を、「女性同性愛」概念の形成という視点から追った論文

  

構成

はじめに

1.女同士の親密な関係の問題化

若い女性同士の親密な関係

1910年代という時代

「同性情死」と女性のセクシュアリティ

  

2.女同士の親密な関係の分類

「通常の友愛/病的友愛/病的肉欲」

お目とオメ

  

3.女同士の親密な関係と性科学的知

女同士の心中の問題化

性科学における女性の<同性愛>とその日本的受容

同性愛>の温床としての女学校

  

4.女性作家の描いた女同士の親密な関係

「友愛」と「肉欲」の線引き

「姉妹」というメタファーの両義性

  

5.「真の同性愛」の不可視化

  

おわりに

  

時間ができたらきちんとノートを取りたいが、とりあえず、第5節「「真の同性愛」の不可視化」から一部引用。

現在の日本のレズビアニズムに対するまなざしが、どのように形成されてきたかを、見て取ることが出来るかもしれない。

  

近代日本の女性同士の<同性愛>をめぐる言説は、ヨーロッパの性科学を通し女同士の親密な関係に「一時的で比較的安全なもの」「永続的で危険なもの」という2種類のカテゴリを設定し、ロマンティックな友情(のように見えるもの)と「変態性欲」としての<同性愛>が概念上、同時期に存在し続けていた(p.124)。

  

 「真の同性愛」(病的肉欲)は「仮の同性愛」(病的友愛)の対立概念として持ち出され、こちらの方が重度の<同性愛>であったにもかかわらず、論議の俎上にあげられたのは後者の方であった。一方が男性化して男女カップルのように暮らす例はすでに、新潟の心中事件を巡って登場していたにもかかわらず、注意を払われたのは女学生同士の親密な関係の方だった。性科学的知が導入された当初は、「獲得性の者に対しては、社会衛生を健全にして、大に其の習染を困難ならしめるといふ方法もあるが、先天性の者に対しては全く手の着けやうがない」(桑谷1911:41)というように、「先天性」の最たる者に分類される「男性化した」女性は、もはや矯正できない人間と見なされていた。そのため、彼女たちはすでに「女」という範疇を超えてしまった存在、つまり、女性がこなすべき妻・母親役割を果たせない存在として認識されていたと考えられる。女性の<同性愛>が、「女らしさ」というジェンダー規範化と密接につながっている以上、そのような女性たちはもはやこの規範を当てはめることのできない存在として等閑視されたのであろう。そして関心は矯正可能な女学校における「仮の同性愛」の方に向けられた。

  

 だが後に安田徳太郎が、女学生間の同性愛という「思春期における一つの恋愛遊戯、将来の異性恋愛への前段階的現象」には、「いつも男形と女形が成立し、この男形を演ずる女性には変態的な性特徴があるといはれる」が、「どこまでが状態であり、どこ迄が変態であるかは、科学的にもむづかしい問題である」(安田1935:150)と述べたように、男性化した女性でも「先天性」とは呼べないという事態も起こってくる。

  

 この時点ではもはや、カップルのうち一方しか「変態」扱いされていないのだが、この「変態」のレッテルすら、「結婚」という既成事実によっていとも簡単に剥がされるのである。このことは多くの女性を「正常」の側に位置付けもするが、その反面、「変態」の側にカテゴライズされ続けた女性たちを、より不可視な存在にすることにもなる。彼女たちはその存在が明るみに出されることはなくとも、「いる」ことにされている存在である。それは多くの女性同士の親密な関係を「異常」として認識させつつも、それを限りなく「正常」に近づけるために、それとは差異化される「絶対的異常」として構築されたカテゴリーなのである。

  

前掲論文, pp. 148-149.