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Ry0TAの日記

2009-12-31

寝正月

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2010年の正月休みは、ありがたいことに何も用事がない。

1月1日は相方と一緒に出かけるが、2日、3日は自堕落に寝正月で過ごす。勉強でもすればよいのだけれど、間違いなく録り貯めていた/貯める映画やドラマの鑑賞に明け暮れる。

できれば感想を書けたらと思うが・・・。

  

ヘアスプレー

日本公式サイト

http://hairspray.gaga.ne.jp/

2002年のミュージカル版の映画化。

2007年の東京プライドに行ったときも話題になっていたのを記憶しているけれど、今まで観る機会が、いや気力がなかった。

どうかな?

出演者は結構豪華だ。クイーン・ラティファの美声が楽しみ。

  

五線譜のラブレター

日本公式サイト

http://movies.foxjapan.com/delovely/top.html

作曲家コール・ポーターと妻リンダ・リー・トーマスの伝記映画。

女性と生涯のパートナーシップを結んだゲイの物語。

「Anything Goes」を聴くのと、ジョン・バロウマンのセクシーな顔を拝むのと、

エルヴィス・コステロの特別出演を観るのが楽しみ。

  

ジェラルディン・ マクイーワン版ミス・マープルシリーズ

グラナダテレビ制作の2004年の新ミス・マープル

これまでNHKなどで何度か観ていたが、AXN Misteryが年末年始に4作を放送するので、録画。

http://mystery.co.jp/program/agatha_marple/index.html

書斎の死体」

「牧師館の殺人」

パディントン発4時50分」

「予告殺人」

ジョーン・ヒクソンのマープルが素晴らしすぎる旧シリーズに如何ともしがたく見劣りする点や、独自の脚色・翻案が多い点が賛否分かれるシリーズだが、ドラマ独自のアイディアはそれはそれで面白く観ることができる僕には、あまり気にならない。

とくに、「書斎の死体」「パディントン発4時50分」「予告殺人」の3作の翻案は、レズビアンゲイが登場するクィアな脚色が評判になった。

  

エンジェルス・イン・アメリカ

AXN Channelが第67回ゴールデン・グローブ賞授賞式特集に合わせて1月2,3日に全6話一挙放送する。

http://axn.co.jp/goldenglobe/index.php

言わずと知れた、名作。

1980年代のエイズ危機の時代を舞台に、AZTの開発と、エイズと共存する「至福千年紀」の到来を告げる叙事詩は、しかしもはや歴史的作品だろう。

僕たちは天使が告げた至福とはほど遠いミレニアムを生きている。

家の形

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先々週末を最後に、実家の両親からもう手伝いに来る必要はないと言われた。

昨年末に病気で倒れた父の歩行は、日常生活に不自由がない程度には回復していた。もう四六時中母の助けを必要とすることもなく、母も父のために休んでいた仕事や教室に復帰できるようになった。年内最後の訪問で,めでたくお役ご免だ。

  

生きてさえいてくれれば何も言わない、と思っていた手術後の頃を思うと、人間の肉体ってここまで修復が利くものなんだなと、奇妙な感心のしかたをしてしまう。しかし、そうなるまでには丸1年近い時間を要したわけで、通院とリハビリと節制の生活の中で、遅々として進まない回復を待たなければならなかった父は、本当に辛かっただろうと思う。そんな父とずっと一緒に暮らしてきた母もそうだ。

  

この1年、父の介助を手伝うという名目で、だいたい隔週のペースで週末に実家へ通った。

しかし、大変なときは24時間体制だった介助を担ったのは介護サービスと母で、月に1,2度顔を出す奴が何の戦力になるわけでもない。

訪問の目的は、定期的に母を父の介助から離れさせることだった。

あまり頼りにならないがとにかく息子がいる、ということで、母にひとりで買い物や遊びに行って貰うことができ、同窓会とか妹の子に会いに行くというイベントで家を空けることもできた。

とりあえず今回は僕がその役をやったが(子どもがいない、というのが大きな理由だ)、僕が行けないときは兄ができる限り都合をつけた。子どもがまだ2歳の妹はこのシフトに加われなかったが、母を介助生活から引っ張り出す役割をやってくれた。

  

そんなふうにして、僕らがやりたかったのは、父が介助を必要としていても、母の時間がそれにすべて取られるわけではないという既成事実を作ることだったのだと思う。

誰かが病気になったら、家族だから誰もがある程度は被るが、誰もそのために犠牲になることはない、という了解が、僕らは必要だった。亡くなった祖母の介護でこの一家は惨憺たる失敗をしたという記憶が、僕らを余計に警戒させていたのだと思う。とくに父は、家事育児でも自分の親の介護でも、母のシャドウワークを当然のものとして生きてきた人間だ。その父が、ひとりで体も動かせないということになって、僕たちが何を(正直なところ父の回復それ自体よりも)一番気にしていたかということが分かる。

  

また僕にとっては、10年来の家族、とくに親との関係を組み立て直すことでもあった。

10年以上前、祖母に対する虐待で荒れに荒れていた実家から逃げるように飛び出して以来、可能な限り実家とは関わりを持たない、が僕の肉親関係への対処法になっていた。

家族に迷惑はかけず、親に対して「子の礼儀」と言えそうなものは果たす、が、それ以外、「家族であること」に由来する関係や感情からは一切自由だ、そう思っていたかった。

年末に1度帰省して大掃除を手伝い、誕生日や何かの記念日に儀礼的にプレゼントを送り、頼まれごとは引き受け、ボーナスの時期には兄と折半で実家の家具や家電の買い換え費用を出すという分かりやすい「親孝行」をする。だがそれ以上は実家と関わりを持たない。実際には社会保障の手続きや賃貸契約の連帯保証人や諸般の連絡先として親や兄の名を借りねばならない状況はいくらでもあったので、偉そうなことを言える立場ではないが、そうして生きていけることが僕の望みだったし、概ねそれで通してきた。

  

しかし、ものごとは、特に他の人間との関係に関することは、そう自分が勝手に思うようには運ばない。

自分の意志で関係を絶てないなら、自分か相手が死ぬまで何らかのかたちで関わらざるをえない、自分が属した家族とはそういうユニットらしい。僕がやってきたことはせいぜい問題を先送りにした逃避に過ぎず、本気でそれを捨てられないなら、「自分に家族はない親もいない兄妹もない」と大声で叫べないなら、前を向いてコミットする方法を自分で決めなければならない。父の手術を機に家族関係に引き戻されることで、僕はそう思わざるを得なくなった。

  

月に1度か2度実家へ通い、週末を怒りや恨みを抜きに見ることが難しかった父の顔と向き合って過ごし、体を支え、足をマッサージし、1日に1度は爆発する癇癪をやり過ごし、話題を見つけて話す。僕にとっては、それは一種のトレーニングだった。和解や家族の感傷といったものではない。むしろ距離を取り、他人としての節度や礼儀を忘れずに行動したほうが何事も円滑に行った。もちろん我慢していたのは僕だけではない。不和を引きずっている息子と顔をつきあわせねばならなかった父も、余程しんどかったことだろう。とにかく、そうしたことのすべてが、ポンコツ化した僕の「家族ユニット」としての回線をつなぎ直し、機能を回復する手探りだった。

  

そんな感じでやってきた僕の実家通いだが、父の回復が見えてきてからしばらく、僕の仕事は腕力仕事がメインになっていた。

力の弱い母と病気の父の家に僕がいて生じる唯一の意義は「重いものが持ち上がる」ことで、父が少しずつ人手を必要としなくなると、自然僕は収納の整理やらガレージの掃除やらの腕力が必要な仕事にかり出されることになった。これを運び出せ、あれを運び入れろ、これを上げろ、それを下ろせ、あれを抜け、ここを掘れ、という用事を言われるままにこなしてきたが、もう来なくて良い、と言われたその週末、最後の仕事として出たのが、2階の両親の寝室を片付けて空き部屋にしたいから、手伝え(もちろん、重いものが持ち上がるという意味で)という話だった。

  

建て売り住宅の僕の実家は、僕ら3人兄妹の成長や人の出入りに合わせ、限られた部屋数をやりくりしてきた。

2間ある2階の1間は妹の部屋だったが、妹が結婚してから片付けられ、今では兄夫婦が孫の顔を見せにやってきたとき泊まる場所になっている。

もう1間は両親の寝室だが、父は退院して以降、階下にある亡くなった祖母の部屋(介護用ベッドがある)に寝起きするようになり、母も同じ部屋に寝場所を移して、2階の寝室はこの1年使われじまいになっていた。

いっそのことこの寝室も片付けてしまえば、子どもたちが家族連れで泊まれるようになる、というのが両親のプランだった。お父さんの入院で親戚が来たときも泊められる部屋がなかったし、どうせいつかは階下に起居したほうが便利になるのだから、と母は言う。

  

いや、ちょっと待ってくれ、とさすがに僕は慌てた。

両親が決める計画に口を差し挟める立場ではない。が、術後の父の不自由な体のためにやむなく取っていたと思っていた処置を、一時的なことではなく、そのまま今後の生活スタイルにしようとしているのを、認めてしまっていいのだろうか。毎日のように階段を使う生活と、その必要のない生活は、脚力や筋力への影響が大きく違うだろう。

それに、ここで「子どもたち」と言っているのは、結婚して子どものいる兄と妹のことだ。家族を連れてはるばる両親の家に集まることを期待されていて、その要望に応じなければならなくなるのは、かれらであって子どもも「家族」もない僕ではない。そういう話が、兄妹当人への相談なしに進むのを見過ごすのは、僕には不安だった。

  

少し待ってくれ、と、兄と妹に電話した。

兄の返答は速かった。冗談じゃないだろう。まだそんな歳でもないのに、なんのために階段の手すりをつけた?病気の前より元気になるぐらいのつもりでいてくれないと、困るよ。

妹は言った。

やめさせて、泊まる場所がなければ、帰省しないですむんだから。

そして長兄の言うとおりだ、と同意する。

  

結局、兄の説得が通り、来年にはもとのように2階で寝起きできるように、と寝室を潰す計画はお流れになった。

その代わり、もと兄と僕の部屋で、兄も僕もいなくなってから半端に物置になっていたプレハブの離れ(祖母が同居するようになったときに建てたものだ)を、完全に物置にして、母屋の収納を整頓することに決まった。よく晴れていた土曜、日曜の2日をかけて、無用になった勉強机や本棚を運び出し、残っていた僕の荷物を処分し、新しい収納棚をネットで選んで注文し、母屋で使わなくなった物を運び込んだ。到着した収納棚は正月に兄が組み立ててくれる。大掃除には少し早かったが、ベランダと雨戸を洗い、年内の僕の仕事は終わる。1年イヤと言うほど顔を出したので、正月の帰省は免除となった。

  

  

帰宅後しばらくしてから、兄から連絡があった。

1年間お疲れ、と言い、寝室をどうする、と騒いだ週末のことに話が行く。

あれで良かった、とか言いつつも、何が良いのか、ということは、兄にも僕にも分かっているわけではない。

  

親にいつまでも健康でいて欲しいと望むのは、一見当然のことに思えるが、つまるところは子どものエゴなんだろう。

祖母のことを思い出す。少しでも、1日でも長く自分で歩き、自分で起き上がれるように、両親はそう望んでいた。だがそれができなかったために祖母は責められ、父に怒鳴られ折檻された。虐待を止めることができず混乱していた僕は、好きに老い自由に弱くなることも認めてやれないのかと、言葉にできない憤りを胸に溜めていた。

だが、自分は?老いに向かってゆく両親を見、あのときの父母の立場に立たされて、やはり僕は親が健康体を維持することを望み、弱ることを認めようとしていない。

  

いや、ばあちゃんのときと同じことを考えるのは、まだ20年先だろう。元気でいてくれってのは、別に本人たちにも悪いことじゃない。

兄は言う。

それに、この先どうなっても、俺たちにできることとできないことがある。できないことはできないし、できることをやればいい。

  

その通りだと思う。が、それも簡単ではない。

人間が相手なのだ、割り切れないことは絶えない。

「子どもと孫に囲まれて休暇を過ごす」のは、苦労して3人の子どもを育てた両親には「当然の願い」なのだろう。親が望んでデザインした家の形を、だが子どもは誰も望まない。

親を大切に思う感情が欠落したぶん、後ろめたさが募る。「家族」や「親子」の影から必死で逃げたがっていた僕の内面はその実「家族」や「親子」の規範でがんじがらめになっていて、絶えず足をすくわれそうになり目測を誤る。そんな規範もしがらみも一切捨てたほうが誰もが楽になれると予感しながら、まだ。

  

下手をすると一生に及ぶ緊密な関係に縛られているが、望んでそうなったわけでも、相手を選べたわけでもない、それが親子きょうだいという人間関係なのだろう。

異性愛家族を単位にしている今の社会は、家族のつながりを持つ人間に何事も有利に働く。人間はそうそう簡単に家族を離れることができない。制度的にも、経済的にも、倫理的にも、精神的にも。

憎しみさえも取り込んで複雑に入り組んだ家族の規範を、僕は一歩も出て行くことができていないと痛感する。

だが、巻き込まれているという事実を割り切って、そこから可能な限り自分の望む方向へと出発するしかない。

  

父の介助の問題で、兄が画した一線は、パートナー、つまり僕の義姉を関わらせない、ということだった。

彼女には仕事も彼女自身の親の問題もある、自分の親の問題は自分で引き受ける、そう言った。「嫁」が夫の親を介護することを当然視してきた家族を見てきた兄が、自分が作ろうとしている家族のために決めたことだ。

  

孫にはいい祖父母だよ。俺らにはああいう親だし、あの歳で、もう変わることもないだろうが・・・うちの子にとっては、また違う人間だ。

  

「妻子」を持ち、「孫の顔」を親に見せている「長男」の兄は、僕とは違う形で家族に巻き込まれている。正面から巻き込まれながら、しかし同時に自分のために突破口を開こうとしている。

僕が唯一カムアウトした家族でもある。

  

兄には、どんな家の形が見えているのだろう。