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Ry0TAの日記

2009-06-29

赤枝香奈子「女同士の親密な関係と二つの<同性愛>──明治末から大正期における女性のセクシュアリティの問題化」/その他の研究

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赤枝香奈子

京都大学大学院文学研究科社会学教室研修員

http://www.socio.kyoto-u.ac.jp/index.php?%C0%D6%BB%DE%B9%E1%C6%E0%BB%D2

  

近代日本における女性のジェンダーセクシュアリティ規範の問題を、とくに「女同士の親密な関係」という視点から研究している。

  

論文

「『青鞜』における「女」カテゴリーの生成──日本フェミニズムの歴史社会学的考察に向けて」

『ソシオロジ』第144号、2002年

  

「近代日本の女同士の親密な関係をめぐる一考察──『番紅花』をいとぐちに」

京都社会学年報』10(2002), pp. 83-100.

http://ci.nii.ac.jp/Detail/detail.do?LOCALID=ART0007494792&lang=ja

↑PDFでダウンロード

  

「女同士の親密な関係と二つの<同性愛>──明治末から大正期における女性のセクシュアリティの問題化」

仲正昌樹編『差異化する正義』御茶の水書房、2004年

  

「女同士の親密な関係にみるロマンティック・ラブの実践――「女の友情」の歴史社会学に向けて」

社会学評論』第56巻1号(2005)、p.129-146.

http://sociodb.jp/search/details.php?ID=105000189

  

「女同士の親密な関係と二つの<同性愛>──明治末から大正期における女性のセクシュアリティの問題化」仲正昌樹編『差異化する正義』御茶の水書房、2004年 pp.117-156.

収録

http://bookweb.kinokuniya.co.jp/guest/cgi-bin/wshoseaohb.cgi?W-NIPS=9978560971&AREA=05&LANG=E

  

目次

仲正昌樹「共同体と「心」」

権安理「コモンの現前と間隔化 : 共同体におけるパロールの功罪」

小森謙一郎「父権制脱構築 : エンゲルスデリダコーネル

村田泰子「抵抗する母性 : 子ども一時預かり施設「ばぁばサービスピノキオ」の実践から」

高原幸子「森崎和江の言論の喚起するもの : 詩的言語と媒介者」

赤枝香奈子「女同士の親密な関係と二つの「同性愛」 : 明治末から大正期における女性のセクシュアリティの問題化」

堀江有里「排除/抵抗のレトリック : 「差別事件」に向き合う「主体」の問題をめぐって」

菊地夏野「沈黙と女性 : G・C・スピヴァクの視座」

レイ・チョウ(周蕾)/仲正昌樹訳「ポストコロニアルな差異 : 文化的正当化における教訓」

稲葉奈々子「フランスにおける都市底辺層の生き抜き戦略 : 「対抗」 -- 労働市場からの離脱」

ヨアヒム・ボルン, ビルギート・ハーゼ, ヴァルター・シュルツ著/仲正昌樹訳「カギとしての言語 : 文化・アイデンティティ・空間」

  

ややいいかげんにまとめると、明治末期~大正期の日本で、女同士の「親密な関係」が、当事者の女性たちの実践、「女性」のセクシュアリティを管理しようとする社会のまなざし、西洋性科学の「変態性欲」としての「同性愛」概念の流入などの中で、どのように問題化され、定義づけられていったのか、近代日本における女性のセクシュアリティの問題を、「女性同性愛」概念の形成という視点から追った論文

  

構成

はじめに

1.女同士の親密な関係の問題化

若い女性同士の親密な関係

1910年代という時代

「同性情死」と女性のセクシュアリティ

  

2.女同士の親密な関係の分類

「通常の友愛/病的友愛/病的肉欲」

お目とオメ

  

3.女同士の親密な関係と性科学的知

女同士の心中の問題化

性科学における女性の<同性愛>とその日本的受容

同性愛>の温床としての女学校

  

4.女性作家の描いた女同士の親密な関係

「友愛」と「肉欲」の線引き

「姉妹」というメタファーの両義性

  

5.「真の同性愛」の不可視化

  

おわりに

  

時間ができたらきちんとノートを取りたいが、とりあえず、第5節「「真の同性愛」の不可視化」から一部引用。

現在の日本のレズビアニズムに対するまなざしが、どのように形成されてきたかを、見て取ることが出来るかもしれない。

  

近代日本の女性同士の<同性愛>をめぐる言説は、ヨーロッパの性科学を通し女同士の親密な関係に「一時的で比較的安全なもの」「永続的で危険なもの」という2種類のカテゴリを設定し、ロマンティックな友情(のように見えるもの)と「変態性欲」としての<同性愛>が概念上、同時期に存在し続けていた(p.124)。

  

 「真の同性愛」(病的肉欲)は「仮の同性愛」(病的友愛)の対立概念として持ち出され、こちらの方が重度の<同性愛>であったにもかかわらず、論議の俎上にあげられたのは後者の方であった。一方が男性化して男女カップルのように暮らす例はすでに、新潟の心中事件を巡って登場していたにもかかわらず、注意を払われたのは女学生同士の親密な関係の方だった。性科学的知が導入された当初は、「獲得性の者に対しては、社会衛生を健全にして、大に其の習染を困難ならしめるといふ方法もあるが、先天性の者に対しては全く手の着けやうがない」(桑谷1911:41)というように、「先天性」の最たる者に分類される「男性化した」女性は、もはや矯正できない人間と見なされていた。そのため、彼女たちはすでに「女」という範疇を超えてしまった存在、つまり、女性がこなすべき妻・母親役割を果たせない存在として認識されていたと考えられる。女性の<同性愛>が、「女らしさ」というジェンダー規範化と密接につながっている以上、そのような女性たちはもはやこの規範を当てはめることのできない存在として等閑視されたのであろう。そして関心は矯正可能な女学校における「仮の同性愛」の方に向けられた。

  

 だが後に安田徳太郎が、女学生間の同性愛という「思春期における一つの恋愛遊戯、将来の異性恋愛への前段階的現象」には、「いつも男形と女形が成立し、この男形を演ずる女性には変態的な性特徴があるといはれる」が、「どこまでが状態であり、どこ迄が変態であるかは、科学的にもむづかしい問題である」(安田1935:150)と述べたように、男性化した女性でも「先天性」とは呼べないという事態も起こってくる。

  

 この時点ではもはや、カップルのうち一方しか「変態」扱いされていないのだが、この「変態」のレッテルすら、「結婚」という既成事実によっていとも簡単に剥がされるのである。このことは多くの女性を「正常」の側に位置付けもするが、その反面、「変態」の側にカテゴライズされ続けた女性たちを、より不可視な存在にすることにもなる。彼女たちはその存在が明るみに出されることはなくとも、「いる」ことにされている存在である。それは多くの女性同士の親密な関係を「異常」として認識させつつも、それを限りなく「正常」に近づけるために、それとは差異化される「絶対的異常」として構築されたカテゴリーなのである。

  

前掲論文, pp. 148-149.