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Ry0TAの日記

2009-06-22

排除のためにその名が使われるなら

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かなり恥ずかしい話かもしれないが、僕が同和という言葉を初めて聞いたのは、大学1年、19歳のときだ。

差別部落問題のことは漠然とした知識としては知っていたが(たとえば島崎藤村を読んで)、現代の被差別部落問題について考える機会もなければ、問題関心を抱くような感性もなく、じつに成人近くになるまで同和という言葉を知らずにきた。もちろんどこかで触れていたかもしれないが、意識したことがなかった。僕の認識はその程度のものだった。

  

僕が初めて、まともにその言葉を聞いたのは、なにかというと、母のおしゃべりを通してだった。

  

話の細部は、それほど詳しく憶えているわけじゃない。母は、その頃参加していた工芸教室で聞いた噂話を、僕に再現して聞かせていた。

ある家に大学生の息子がいて、まあ、勉強もせずチャラチャラ遊んでいるとかいう、ろくでもない奴らしかった(母は僕のことを考えていたのかもしれないが)。

ある朝、その家のお祖母さんが孫の部屋の前を通りかかると、畳の上に(日本家屋らしかった)女性のパンツが落ちている。

驚いたお祖母さんが、孫が寝ている部屋の襖を開けると、

  

「布団の中に、頭が2つあったんだって!」

  

母は笑った。

ようするに、息子は自室で女の子と一緒に寝ていたところを、お祖母さんに見つかってしまったのであった。

お祖母さんのショックは並大抵じゃなかっただろうし、孫らの所業は極めつけに「ふしだら」な行為に映ったことは、想像に難くない。

と、母は、友人から聞いた話を続けた。

  

「でね、その女は、『どうわ』なんじゃないか、って言うのよ」

  

これが、僕が「同和」という言葉に接した、最初の経験だ。

  

  

  

いろいろな偏見や嫌悪が複雑に重なり、絡み合った話だ。

  

セックスに対する偏見と嫌悪。

女性に対する偏見と嫌悪。

そして、被差別部落出身の人に対する偏見と嫌悪。

  

そのお祖母さんや親御さんには悪いが、自宅で親と同居している息子が、親に内緒でコッソリ彼女を部屋に連れ込むなんてことは、決して珍しいことではないんだろう。

1,2年後、僕は大学の先輩の似たような体験談を(他の先輩から)聞かされた。

自宅通学の先輩は、彼女をときどきコッソリ自室に連れ込んで(、まあたぶん、いちゃいちゃして)いたそうだ。がある日、彼女がそうやって部屋で先輩を待っていたとき、家族が部屋のドアを開けてしまった。

見知らぬ若い女性がベッドに腰掛けていたのだから、まあ、ご家族は驚いただろう。しかし彼女が礼儀正しく振舞ったこともあり、その場は切り抜けたそうだ。いまでは2人は結婚して2児の親である。

  

母が語った話は、

「息子が親としては認めがたいセックス行為をやっていた」

というだけの話でしかない。親としては不愉快だろうが、それ以上でも以下でもない。

だが、その話は、その「ふしだら」行為の「理由」を求めた。

息子の親の視点で、そういう「ふしだら」行為は、まず当然のように女性の方のせいにされた。

そして、そういう行動をとる女性は、当然のように「普通の」女性ではないとされた。

そんな常軌を逸した(教室にいた母と同世代の人たちには、たぶんそう思えたのだろう)行動をするだけの、納得のいく説明のつく事情をその女性は持っているはずだ。

それを説明するものとして、「どうわ」という言葉、名前が、人にスティグマを与える道具として使われた。

(同和は部落差別をなくし部落出身者と非部落出身者の差異を融和するという言葉だが、この話のなかでは、被差別部落出身者を指す名前として使われていた)

  

  

この話が持つ残酷さのそういう仕組みが理解できたのは、ずいぶん時間が経ってからだ。

それから被差別部落問題、同和問題について真面目に考える、知ろうとする努力もろくにしてこなかったが(その当時よりは、さすがに少しは知るようになったが)、この話のことは、心にこびりついたように、忘れられなかった。絶えず思い出していた。

  

たとえ住居の改善や就業差別の撤廃を保障する制度があっても、こんな言葉を発するような意識があるかぎり、たとえばそこに被差別部落出身の人や友人がいるかもしれないとは想像もせずに、その人たちのことを「われわれとは違う人間」として「われわれ」の外へ押しやる、そんな意識を当然のように受け容れる場が生まれうるかぎり、そしてそのときの僕のように、その排除の構造に気づくことすらできない人間がいるかぎり、「もう差別はない」とは決して考えられないのだろうと思った。

  

差別の問題は、さまざまな制度や救済措置を整えるだけでは済まないこと、どこかで「差別心を抱いていると意識せずにすむほどの人間の差別心」を問題にしなければ、その危険は消えないのだと、僕に初めて考えさせたのは、被差別部落問題と本当に直接関係があるわけではない、こんな下ネタまがいの噂話だったのである。

  

  

最近、母もあのとき、自分が聞いた噂話にしこりを感じていたのかもしれない、と思うようになった。

母も、その息子と寝ていた女性の行為を非難するのに「差別」のレッテルが利用されることに、抵抗を感じていたのかもしれない。それを伝えたくて、僕にあの話をしたのかもしれない。

しかし、肝心の息子はポカーンとしていて、下ネタじみた逸話がはらむ差別意識を、感知することもできなかったわけだ。

  

週末、実家に行ったおり、13年ぶりに僕は母にその話をした。

  

結論を言うと、母は自分がした話を忘れていた。思い出そうとしてくれたが、思い出せないという。

母は憶えていなかったが、とりあえず僕は、ずっと言いたかったことを言った。僕がずっとその話を忘れられなかったこと、その話が、僕が真面目に考えることがなかった差別について初めて考えるきっかけを与えたこと。母は頷いていたが、伝わっただろうか。

  

13年たって、僕はやっと返事をした。

けれど、まだこれからも、思い出し続け、考え続けなければならないのだろうと思う。