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Ry0TAの日記

2009-06-15

はてなハイクのエントリを一括削除するには?(方法は見つからなかった)→タスク終了

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はてなハイクのログをいい加減削除したいと思っているが・・・アレは、はてなを退会しない限り全部手動で消さなきゃならないのか?

データエクスポートができないと知った時点で、データ管理機能はないんだと分からなきゃならなかったわけだが。どうしたもんか。

  

  

とりあえず。Followingのリンクを解除した。(これまでありがとうございました。)

「お気に入りアンテナ」からサクサク解除できるのかと思ったら、お気に入りアンテナでフォローを外してもはてなハイクに反映されないのであった。

お気に入りアンテナでフォローを外すと、はてなハイクで解除ができなくなるので、お気に入りアンテナを再フォローしなおし、はてなハイクのフォローを解除。なんという壮大な二度手間。

もし再フォローがその人にいちいちメールされていたら、えらいメイワクな話になる。ごめんなさい、とここで謝っても仕方がないのだった。

  

フォローを外しても、それまでフォローしていたログは消えないことを知る。

結局、僕がはてなを退会するまで、はいくアンテナに2009-06-15までのフォローのログが残るってことか。

  

エントリの削除をどうするか、思案中。

「このハイクに新規ポストはありません」というエントリを入れておくのがいいのだろうか。遅ればせ過ぎてマヌケだが。

アンテナもログが残るなら、あとをきれいにして止める、ということは最初から不可能なのかもしれない。

  

で、ごあいさつエントリをポストした

ほんとうにありがとうございました。

  

この先システムが変わって一括削除が可能になり、ログを削除しても構わない、というようになったら、削除しよう。

堀江有里「キリスト教における「性的指向」概念援用の陥穽―「承認」を求める運動戦略への批判的考察―」(学会発表)

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宗教と社会」学会第17回学術大会(2009年6月6日(土)、7日(日)@創価大学)で、堀江有里さんが発表されたと、「群青 Blog版」で知る。

堀江有里「キリスト教における「性的指向」概念援用の陥穽―「承認」を求める運動戦略への批判的考察―」

  

学会大会のブログダウンロードできる要旨集で、要旨を読むことができる。

大会プログラム配布-「宗教と社会」学会第17回学術大会

http://jasrs.seesaa.net/article/118794581.html

  

興味深い部分を、一部引用させていただく(いいのか分からないが)。

とくに1980年代以降、キリスト教においては、一方では北米を中心に同性愛者排除の言説が強くなるとともに、他方では、同性愛者たちによる対抗手段として「承認」や「受容」を生み出すための当事者運動が広がってきた。後者は、同性愛者当事者のみならず、同性愛者の子どもをもつ親や友人たちなど、いわゆる「支援者」たちを巻き込んでの運動を展開している。

  

ここで注目したいのは、対抗手段として用いられる「承認」や「受容」を生み出すための振る舞いとその言説である。一例を挙げれば、「性的指向(sexual orientation)」という概念の使用がある。同性愛者は、性的な「趣味・嗜好」や「選好」(sexual preference)として認識されることによって、スティグマが付与され、「治療」の対象とされた時期があった。そのような認識に対し、「同性愛者であること」を変更不可能もしくは困難なものであると主張するために、「性的指向」という概念が援用されることとなった。たとえば、いわゆる一般社会におけるゲイ解放運動では、「性的指向」概念は、同性愛異性愛とも社会構築的な要素を強調するために「発明」された概念であったが、それがキリスト教において援用されるときに、“神に与えられたもの”として解釈され、変更不可能性もしくは困難が強調されていく傾向を生み出すこととなった。

  

言葉やその定義は、文脈によって変化しうるものである。しかし、このような変化が生み出されたがために、「アイデンティティ」を軸とした政治/運動は、さらに限界を露呈することとなったとも解釈することができる。このような事例の文脈を丁寧に読み解くことにより、あらたな「アイデンティティ」を軸とした政治/運動の可能性を模索したい。

「ねたみ差別」とは

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差別部落解放問題の用語だが、金石範『「在日」の思想』で知った。

  

同和対策事業などの中で生じた具体的問題を説明する言葉だが、例の「在日特権」説やフェミニズムに対する男性側からの嫌悪など、あるマイノリティ・グループの状況改善が真面目に取り上げられることに対し、「過度な優遇がされている」「かれらのほうが強者である」と反発するマジョリティ・グループの類型的感情も、このような視点から説明できるところがあるかもしれない。

  

ねたみ差別意識-部落問題・人権事典

http://wiki.blhrri.org/jiten/index.php?%A1%F6%A4%CD%A4%BF%A4%DF%BA%B9%CA%CC%B0%D5%BC%B1

差別集団(*マイノリティ・グループ)は自分たちより下位であって当然だ,という*差別意識に基づいて,被差別集団が自分たちより生活条件が上にあるとみなすことで,反感をもつマジョリティ・グループ側の態度。ねたみ差別意識は古く、金銭的に成功した部落民を<○○の分際で、けしからん>と非難する事例は近世にも散見される。しかし近年、同和対策事業により部落の改善が進行するに伴って顕在化し、今日の部落差別意識の主要な発現形態となっている。たとえば、<部落にだけ、立派な住宅が建てられ、安い家賃で入居している><部落の学校の施設は至れり尽くせりのものだ、われわれの学校はみすぼらしいのに>といった声がそうである。これは、社会福祉政策・教育政策・住宅政策など社会政策の貧困により、同和事業と一般政策のアンバランスにより生じた側面があるとともに、部落差別の現実や同和事業の歴史的経過についての無知・無理解と、部落に対する差別意識とが結合した結果生まれた意識である。

  

<羨望差別>という言い方もあるが、羨望・うらやみはその性質上、差別意識とはならない。すなわち、<ねたみ>と<うらやみ>とは、次の点で区別される。両者はともに他者の充足した状態と自己の状態とを比較したときに生まれる感情であるが、<うらやみ>は他者がその充足した状態にあるのを自然に受けとめ、自己もそうなりたいという感情の動きがあるのに対して、<ねたみ>は、本来、他者はその充足した状態にふさわしくないという判断があり、<私の方が、充足した状態にふさわしい>とか、あるいは<その者は、本来の劣った状態がふさわしい>という感情の動きが含まれている。

逆差別http://wiki.blhrri.org/jiten/index.php?%A1%F6%B5%D5%BA%B9%CA%CC

(野口道彦)

  

「日本における部落差別:「職業と世系に基づく差別」に関する特別報告者の NGO に対する質問状への回答より」

作成 反差別国際運動日本委員会(IMADR-JC)/部落解放同盟中央本部/部落解放・人権研究所(2006年2月)pp. 9-10.

http://74.125.153.132/search?q=cache:ySAA6nWIOyQJ:blhrri.org/kokusai/un/un_0037.pdf+%E3%81%AD%E3%81%9F%E3%81%BF%E5%B7%AE%E5%88%A5&cd=5&hl=ja&ct=clnk

これまで、部落と部落民がおかれている劣悪な実態が、部落差別の原因と考えられてきた。しかしながら、「特別措置法」を活用した取り組みによって部落差別の実態が一定改善されてきても、差別がなくなるどころか「なぜ部落ばかり良くなるのだ。われわれの方が逆に差別されているではないか」という「ねたみ差別」(「逆差別」)意識が生じてきたのである。このことは、部落は、劣悪な状況にあればあれで差別され、良くなれば良くなったで差別されるという部落の人々と部落外の人々とがおかれている関係性の中に部落差別の原因が存在していることを教えている。このことをふまえて、「ねたみ差別」が生じてきた原因を分析すれば、一つの原因は、なぜ「特別の施策」を実施してきたかについての教育・啓発が決定的に弱かったことにある。もう一つの原因は、部落の周りに、部落とさほど変わらない困難な状況におかれている人々が存在していたことによる。このことをふまえるならば、「ねたみ差別」を克服するためには、教育・啓発を強化するとともに、部落が良くなるとともに部落とさほど変わらない状況に置かれている周辺地区の人々の状況も改善するための取り組み=「人権尊重のまちづくり」が必要であることが分かる。