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Ry0TAの日記

2009-06-29

「受容する者」と「受容される者」の非対称性(堀江有里)

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このエントリで触れた、

この

本に収録された、

  

堀江有里「排除/抵抗のレトリック : 「差別事件」に向き合う「主体」の問題をめぐって」 pp. 157-187.

  

いま、「差別」という言葉を使用することは「<政治的正しさ>を強調し過ぎる振る舞いとして嫌悪される」。しかし一方で「<差別事件>と呼ばれる現象が頻発」し、「ある現象が<差別事件>として名指しされ、社会問題化されるプロセスがこの瞬間にも継続している」。そういう社会に私たちは生きている。

このような状況において、「反差別論」は構築しうるか、そのために踏まえねばならない作業はなにか、という、なんというか"根性のいる"(この著者らしい、と僕が勝手に感じる)問題提起を持つ論文で、ちゃんとノートを取りたいと思うのだが。

  

今は取りあえず、本論の最後にあたる第3節「抵抗運動のポリティクス」(2)「抵抗運動の陥穽」の一部を、書き写しておきたい。

キリスト教会の同性愛差別問題に留まらず、「<差別問題>への抵抗運動」にしばしば呈される、「受け入れられないようなことは言う/するものではない」「穏やかに受け入れられるようにすべき」という主張に、ある返答をしていると思う。

 

著者は、「同性愛者の信者や聖職者を教会は受け入れるか」という議論を進めてきたカナダの教会の事例を紹介する。

1988年、カナダ合同教会は「壮絶な議論の末」、同性愛者を排除せず「すべての人々を受け入れる」決議を出した。

そして、その総会会場で、同性愛者の聖職者に絶対反対していたある女性が、同性愛者と支援者の団体「アファーム」のコーナーを見、「ロビーで最も親切なグループ」と感じられるメンバーの様子に、その認識を改めた—つまり、その女性の中で、「同性愛者は「排除されるべきもの」という漠然としたイメージから、受容可能な具体的な存在というイメージへ」と変わった、というエピソードを取り上げる。 

  

 このようなエピソードは、一見、「良い」話のようにとらえられる。しかし、一歩、踏みとどまって考えてみたい。これら双方—受容する側と受容される側—にある関係性は、果たして「対等」であり得るのだろうか。ここで次のように仮定してみよう。もし「アファーム」のメンバーである同性愛者たちが、ロビーで議員たちにレモネードを配るのではなく、周囲に不愉快と解釈されるような態度を示していたらどうだったのであろうか。もし、彼ら/彼女らが、総会の議論の行方を案じ、終始、笑顔を振りまくこともなく、不機嫌にただ座っているだけであったら、どうなっていたのであろうか。「アファーム」のメンバーたちは、当然、議場で議論されている事柄を意識していたであろう。であれば、多くの人びとに対して、とりわけ同性愛者を排除する人々に対して、受容可能な印象操作を行っていたと思われる。たとえば、受付の女性が受容可能なイメージへと認識を変化させたのは、そのような印象操作の結果であるとも考えられる。そして、ロビーという場で起こった相互作用は、印象操作を行うことによって、「正しい」もしくは「普通の」—少なくとも異性愛者と何ら変わりのない—同性愛者のイメージを創出し、再生産するものであったとも考えられる。それは一方で、「正しい」、「普通の」という規範から外れた同性愛者への排除は継続することをも意味する。すなわち、そのような相互作用は、受容可能な存在と受容不可能な存在を峻別する装置を発動させるものでもあるのだ。ここで注意しておかなければならないのは、受容する側が、その立ち位置を移動することはなく、イメージの変遷を辿っていることである。受容する側の立ち位置、アイデンティティは揺るがされることなく、「正しい」、「普通の」同性愛者が受容されることは、排除される同性愛者のみが烙印を付され、排除する側の異性愛主義については不問のまま、維持されるということでもある。ここには「対等」ではない関係性—非対称性—が存在する

  

前掲論文, pp. 177-178.(強調、引用者)

  

著者は、日本基督教団の「同性愛差別事件」への抵抗運動が、表に出ることができない当事者(同性愛者)ではなく、非当事者だが差別に同化することを拒否した「共働者」によって担われたことを重視し、そこに「従来の<差別>をめぐる問題規制[「差別者」と「被差別者」のあいだの権力関係]を脱構築する可能性」を模索する。

  

たしかに、「共働者」(いわゆる「アライ」だ)が<差別問題>を戦うことは、差別する側、マジョリティが自ら「立ち位置を移動」する、マジョリティの在りかたを問うことであり、そこには「被差別者」当事者が「受け入れ」られるために相手の土俵(価値観)に上がることを強いられるのとは決定的に違う、パラダイム・シフトの可能性がある。「共働者」、アライにしかできないことは、もの凄く大きいと僕は思っている。

  

でも、著者は、それにも疑義を投げかける。なぜなら、「被差別者」と「共働者」のあいだにも、権力関係、非対称性が存在するからだ。「共働者」は「被差別者」の側に立って「排除されていることを告発する者」だが、同時に「被差別者」を「受け入れる存在」でもある。そして「共働者」も、<差別問題>を生み出す社会構造から自由ではない。

  

これは、ほかの「<差別問題>への抵抗運動」にも(それぞれの状況は大きく複雑に異なるが)共通する問題だろう。

僕らが非・当事者として<差別>を告発するとき、そこには「可能性」もあり、「ねじれ」もある。

パラダイム・シフトを引き起こす「可能性」を守りたいなら、僕らは(それを「内ゲバ」とか「コップの中の嵐」と言われることがあっても、)「ねじれ」と真剣に向き合うことを止めてはいけないのだろう。

  

「アライ」や非当事者の共働者の持つ危うさ、自戒すべき問題については、マサキチトセさんが書いていることが参考になるかもしれない。

「アライ」が生み出す三重構造—C plus M

http://d.hatena.ne.jp/cmasak/20081226/1236954044

お前は去れるじゃん—C plus M

http://d.hatena.ne.jp/cmasak/20090612/1244742141

非トランス特権チェックリストThe Non-Trans Privilege Checklist

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もうひとつのシスジェンダー特権チェックリスト

http://www.amptoons.com/blog/archives/2006/09/22/the-non-trans-privilege-checklist/

より拝借。

時間があるときに少しずつ日本語化してみる。

  

23) People do not use me as a scapegoat for their own unresolved gender issues.

23)未だ解決しないジェンダー問題のために世間は私をスケープゴートとして利用したりしない。

  

というのは、厳しい批判だ。

[I was following links to different "privilege knapsacks"(*1) (via Shrub.com's sidebar, and also via this post at New Game Plus), but the link to the "non-trans privilege checklist" had died. I found the text in the google cache, but since that might not persist, I decided to reprint it on "Alas" to keep it available.

違う「特権ナップサック」(Shrub.comのサイドバーから、そしてNew Game Plusのこのポストから)のリンクを張っていたのですが、「非トランス特権チェックリスト」のリンクは切れてしまっていました。私はグーグルキャッシュでそのテキストを見つけたのですが、キャッシュも残るとは限らないので、いつでも入手可能なよう「Alas」でリプリントすることに決めました。


I also considered renaming this "The Cisgendered Privilege Knapsack," because I like the word "cisgendered" and would like to propagate it, but the original author (whoever it is) called it the non-trans privilege checklist, and who am I to change that?

また、このリストの名前を「シスジェンダー特権ナップサック」に変えようかと思いました。私は「シスジェンダー化した(cisgendered)」という言葉がいいと思うし、この言葉を広めたいと思っているので。しかし、もとの作者が(それが誰であれ)このリストを「非トランス特権チェックリスト」と名づけたのですから、私がそれを変えるというのは変です。


Author unknown. If you happen to know who wrote this, please let me know in comments. Like all the "privilege checklists," this owes a debt to Peggy McIntosh's White Privilege: Unpacking the Invisible Knapsack. --Amp]

作者は不明です。もしこのリストを誰が書いたのか分かったら、コメント欄で知らせてください。あらゆる「特権チェックリスト」と同様、このリストもペギー・マッキントッシュの「白人特権(White Privilege: Unpacking the Invisible Knapsack)」を参考にして作られています。


(*1)Which are universally referred to as "privilege checklists," and that's pretty much my fault, I fear. But McIntosh, who started it all, called it "unpacking the privilege knapsack."

(注1)一般的には「特権チェックリスト」と呼ばれるもので、これは私の大きな間違いだったんじゃないかと思います。しかし、これらの特権リストを始めたマッキントッシュは、これを「特権ナップサックを開ける」と呼んでいます。


The Non-Trans Privilege Checklist


1) Strangers don’t assume they can ask me what my genitals look like and how I have sex.

1)赤の他人が、私の性器がどんな格好をしてるかとか、私がどうやってセックスをするのか、私に訊いてもいいと思うわけがない。


2) My validity as a man/woman/human is not based upon how much surgery I’ve had or how well I “pass” as a non-Trans person.

2)私の男/女/人間としてどうか、という問題は、私がどのぐらい整形外科手術を受けたかとか、非トランスのようにどれだけ上手に「パス」しているかということとは、関係ない。


3) When initiating sex with someone, I do not have to worry that they won’t be able to deal with my parts or that having sex with me will cause my partner to question his or her own sexual orientation.

3)誰かとセックスするとき、相手が私の体を扱いかねるんじゃないかとか、私とのセックスで相手が自分の性的指向を疑い出すんじゃないかという心配はしない。


4) I am not excluded from events which are either explicitely or de facto* men-born-men or women-born-women only. (*basically anything involving nudity)

4)明らかに、あるいは事実(要するに裸になることを含むなにか)として、男に生まれた男、女に生まれた女だけを対象にしたイベントから閉め出されることはない。


5) My politics are not questioned based on the choices I make with regard to my body.

5)自分の体のことでどういう選択をするかで、政治的見解を疑われたりしない。


6) I don’t have to hear “so have you had THE surgery?” or “oh, so you’re REALLY a [incorrect sex or gender]?” each time I come out to someone.

6)誰かにカミングアウトしたとき、「では、あなたは"アノ"手術をしたんですね?」「まあ、ではあなたは"ホントウ"は(違う性別、ジェンダーなんですね)?」という言葉を聞かなければいけないということはない。


7) I am not expected to constantly defend my medical decisions.

7)常に自分の医療上の決定を守ることを求められてはいない。


8) Strangers do not ask me what my “real name” [birth name] is and then assume that they have a right to call me by that name.

8)赤の他人から私の「本名」(生まれたときの名前)を訊かれたり、その名前で呼んでいいかどうか確かめられたりしない。


9) People do not disrespect me by using incorrect pronouns even after they’ve been corrected.

9)人々が間違っていると指摘されてもなお違う代名詞を用いて私を侮辱してくることはない。


10) I do not have to worry that someone wants to be my friend or have sex with me in order to prove his or her “hipness” or good politics.

10)人が私と友人になりたがったり、体の関係を持とうとしたがるのは、その人が自分の「カッコよさ」や政治的な正しさを示したいからじゃないかと心配しなくてもいい。


11) I do not have to worry about whether I will be able to find a bathroom to use or whether I will be safe changing in a locker room.

11)自分が使えるバスルームがあるかどうか、更衣室で安全に着替えが出来るかどうか、心配しなくてもいい。


12) When engaging in political action, I do not have to worry about the *gendered* repurcussions of being arrested. (i.e. what will happen to me if the cops find out that my genitals do not match my gendered appearance? Will I end up in a cell with people of my own gender?)

12)政治的な活動に加わるとき、逮捕されたときの性別に関する影響(もし警察が私の性器が外見的性別と一致しないと気づいたら?同じ性別の人と一緒に房に入れられることになるのか?)を心配する必要はない。


13) I do not have to defend my right to be a part of “Queer” and gays and lesbians will not try to exclude me from OUR movement in order to gain political legitimacy for themselves.

13)自分が「クィア」の一部だという自分の権利を守らねばならない必要はないし、ゲイレズビアンが自分たちの政治的な正当性を獲得するために「わたしたちの」運動から私を排除することはない。


14) My experience of gender (or gendered spaces) is not viewed as “baggage” by others of the gender in which I live.


15) I do not have to choose between either invisibility (”passing”) or being consistently “othered” and/or tokenized based on my gender.


16) I am not told that my sexual orientation and gender identity are mutually exclusive.


17) When I go to the gym or a public pool, I can use the showers.


18) If I end up in the emergency room, I do not have to worry that my gender will keep me from receiving appropriate treatment nor will all of my medical issues be seen as a product of my gender. (”Your nose is running and your throat hurts? Must be due to the hormones!”)


19) My health insurance provider (or public health system) does not specifically exclude me from receiving benefits or treatments available to others because of my gender.


20) When I express my internal identities in my daily life, I am not considered “mentally ill” by the medical establishment.


21) I am not required to undergo extensive psychological evaluation in order to receive basic medical care.


22) The medical establishment does not serve as a “gatekeeper” which disallows self-determination of what happens to my body.


23) People do not use me as a scapegoat for their own unresolved gender issues.

赤枝香奈子「女同士の親密な関係と二つの<同性愛>──明治末から大正期における女性のセクシュアリティの問題化」/その他の研究

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赤枝香奈子

京都大学大学院文学研究科社会学教室研修員

http://www.socio.kyoto-u.ac.jp/index.php?%C0%D6%BB%DE%B9%E1%C6%E0%BB%D2

  

近代日本における女性のジェンダーセクシュアリティ規範の問題を、とくに「女同士の親密な関係」という視点から研究している。

  

論文

「『青鞜』における「女」カテゴリーの生成──日本フェミニズムの歴史社会学的考察に向けて」

『ソシオロジ』第144号、2002年

  

「近代日本の女同士の親密な関係をめぐる一考察──『番紅花』をいとぐちに」

京都社会学年報』10(2002), pp. 83-100.

http://ci.nii.ac.jp/Detail/detail.do?LOCALID=ART0007494792&lang=ja

↑PDFでダウンロード

  

「女同士の親密な関係と二つの<同性愛>──明治末から大正期における女性のセクシュアリティの問題化」

仲正昌樹編『差異化する正義』御茶の水書房、2004年

  

「女同士の親密な関係にみるロマンティック・ラブの実践――「女の友情」の歴史社会学に向けて」

社会学評論』第56巻1号(2005)、p.129-146.

http://sociodb.jp/search/details.php?ID=105000189

  

「女同士の親密な関係と二つの<同性愛>──明治末から大正期における女性のセクシュアリティの問題化」仲正昌樹編『差異化する正義』御茶の水書房、2004年 pp.117-156.

収録

http://bookweb.kinokuniya.co.jp/guest/cgi-bin/wshoseaohb.cgi?W-NIPS=9978560971&AREA=05&LANG=E

  

目次

仲正昌樹「共同体と「心」」

権安理「コモンの現前と間隔化 : 共同体におけるパロールの功罪」

小森謙一郎「父権制脱構築 : エンゲルスデリダコーネル

村田泰子「抵抗する母性 : 子ども一時預かり施設「ばぁばサービスピノキオ」の実践から」

高原幸子「森崎和江の言論の喚起するもの : 詩的言語と媒介者」

赤枝香奈子「女同士の親密な関係と二つの「同性愛」 : 明治末から大正期における女性のセクシュアリティの問題化」

堀江有里「排除/抵抗のレトリック : 「差別事件」に向き合う「主体」の問題をめぐって」

菊地夏野「沈黙と女性 : G・C・スピヴァクの視座」

レイ・チョウ(周蕾)/仲正昌樹訳「ポストコロニアルな差異 : 文化的正当化における教訓」

稲葉奈々子「フランスにおける都市底辺層の生き抜き戦略 : 「対抗」 -- 労働市場からの離脱」

ヨアヒム・ボルン, ビルギート・ハーゼ, ヴァルター・シュルツ著/仲正昌樹訳「カギとしての言語 : 文化・アイデンティティ・空間」

  

ややいいかげんにまとめると、明治末期~大正期の日本で、女同士の「親密な関係」が、当事者の女性たちの実践、「女性」のセクシュアリティを管理しようとする社会のまなざし、西洋性科学の「変態性欲」としての「同性愛」概念の流入などの中で、どのように問題化され、定義づけられていったのか、近代日本における女性のセクシュアリティの問題を、「女性同性愛」概念の形成という視点から追った論文

  

構成

はじめに

1.女同士の親密な関係の問題化

若い女性同士の親密な関係

1910年代という時代

「同性情死」と女性のセクシュアリティ

  

2.女同士の親密な関係の分類

「通常の友愛/病的友愛/病的肉欲」

お目とオメ

  

3.女同士の親密な関係と性科学的知

女同士の心中の問題化

性科学における女性の<同性愛>とその日本的受容

同性愛>の温床としての女学校

  

4.女性作家の描いた女同士の親密な関係

「友愛」と「肉欲」の線引き

「姉妹」というメタファーの両義性

  

5.「真の同性愛」の不可視化

  

おわりに

  

時間ができたらきちんとノートを取りたいが、とりあえず、第5節「「真の同性愛」の不可視化」から一部引用。

現在の日本のレズビアニズムに対するまなざしが、どのように形成されてきたかを、見て取ることが出来るかもしれない。

  

近代日本の女性同士の<同性愛>をめぐる言説は、ヨーロッパの性科学を通し女同士の親密な関係に「一時的で比較的安全なもの」「永続的で危険なもの」という2種類のカテゴリを設定し、ロマンティックな友情(のように見えるもの)と「変態性欲」としての<同性愛>が概念上、同時期に存在し続けていた(p.124)。

  

 「真の同性愛」(病的肉欲)は「仮の同性愛」(病的友愛)の対立概念として持ち出され、こちらの方が重度の<同性愛>であったにもかかわらず、論議の俎上にあげられたのは後者の方であった。一方が男性化して男女カップルのように暮らす例はすでに、新潟の心中事件を巡って登場していたにもかかわらず、注意を払われたのは女学生同士の親密な関係の方だった。性科学的知が導入された当初は、「獲得性の者に対しては、社会衛生を健全にして、大に其の習染を困難ならしめるといふ方法もあるが、先天性の者に対しては全く手の着けやうがない」(桑谷1911:41)というように、「先天性」の最たる者に分類される「男性化した」女性は、もはや矯正できない人間と見なされていた。そのため、彼女たちはすでに「女」という範疇を超えてしまった存在、つまり、女性がこなすべき妻・母親役割を果たせない存在として認識されていたと考えられる。女性の<同性愛>が、「女らしさ」というジェンダー規範化と密接につながっている以上、そのような女性たちはもはやこの規範を当てはめることのできない存在として等閑視されたのであろう。そして関心は矯正可能な女学校における「仮の同性愛」の方に向けられた。

  

 だが後に安田徳太郎が、女学生間の同性愛という「思春期における一つの恋愛遊戯、将来の異性恋愛への前段階的現象」には、「いつも男形と女形が成立し、この男形を演ずる女性には変態的な性特徴があるといはれる」が、「どこまでが状態であり、どこ迄が変態であるかは、科学的にもむづかしい問題である」(安田1935:150)と述べたように、男性化した女性でも「先天性」とは呼べないという事態も起こってくる。

  

 この時点ではもはや、カップルのうち一方しか「変態」扱いされていないのだが、この「変態」のレッテルすら、「結婚」という既成事実によっていとも簡単に剥がされるのである。このことは多くの女性を「正常」の側に位置付けもするが、その反面、「変態」の側にカテゴライズされ続けた女性たちを、より不可視な存在にすることにもなる。彼女たちはその存在が明るみに出されることはなくとも、「いる」ことにされている存在である。それは多くの女性同士の親密な関係を「異常」として認識させつつも、それを限りなく「正常」に近づけるために、それとは差異化される「絶対的異常」として構築されたカテゴリーなのである。

  

前掲論文, pp. 148-149.

  

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2009-06-25

「ポエトリー・リーディング〜Think about AIDS」

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TOKYO FM 6月25日(木)20:00−21:00放送

TOKYO FM×Living Together ポエトリー・リーディング Think About AIDS

  

http://www.tfm.co.jp/lt/index.html

http://www.barks.jp/news/?id=1000050266

<ポエトリー・リーディング〜Think about AIDS

6月13日(土)@TOKYO FMホール

司会:堀内貴之(「あ、安部礼司〜beyond the average〜」企画・原案)

柴田幸子(「クロノスパーソナリティ

ゲスト:松本素生GOING UNDER GROUND)、エリオット・ヤミン木山裕策(朗読)、しりあがり寿(朗読)ほか

撮影:竹之内祐幸

2009-06-23

終わらない隠喩

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ざっと書くメモ。

  

このところ、「異性愛者男性がゲイを嫌う自由の主張」にネットで連続で遭遇している。

ゲイを嫌う自由」について考えて書いたのは、もう2年前のことだ。

最近また噴き上がるように登場している「ホモが嫌いで何が悪い」ということさらに声高な主張のありようについては、考えるところはあるのだが、今は別のことが気になっている。

  

ホモ」(ゲイではなく、感覚的にはこちら)に対する「自由な嫌悪」を開き直り的に露出することや、ホモネタを弄ぶことを正当化する理由として、当然のように「HIV」が持ち出されることだ。

  

ぼくがげいのひとをきらいなりゆう

同性に恋愛対象として見られているかと思うと気持ち悪い。掘りも掘られもしたくない。

男同士が愛し合っているのを見るのがイヤ。キモイ。よそでやって欲しい。

肛門性交のためかHIV感染者が多い。レイプされたらと思うと、、、気持ち悪いのとあわせて最悪。

http://anond.hatelabo.jp/20090521165955

冗談じゃない!僕は清く正しいバイヘテロセクシャルだ。*2三度の飯より女の子のシリを追いかけるほうが好きだ*3。エイズまみれの変態ホモ野郎なんて身の毛もよだつ。 

http://d.hatena.ne.jp/napsucks/20090616/1245089228

  

少し状況は異なるが、

[言い訳がましく言わせて貰う]

……

ただね、HIVとかそっち方向にどうしても結びついてしまって怖い訳だ。

HIVは薬はあれど結局は完治しない訳だ。ウイルスの性質上、薬をサボりやすい自分のような人間が感染したらアウトだ。

アナルセックスの感染率は高いとは言うが、それを含めると、余計男性同性愛者間の感染状況が酷く思える訳だ。

http://h.hatena.ne.jp/Terara_kirara/9234087900407506264

  

実際のところ、ノンケ男が僕らを毛嫌いするのは自由だし、「気持ち悪いホモ」の凝り固まったイメージに取り憑かれて右往左往しようが、知ったことではない。だがその多数派の嫌悪は明らかに暴力たりえるので、「個人的な自由な内面の嫌悪」を周囲に流出させないコントロールを社会的礼儀として身につけてもらえるか、そこにかかっている。

(現在の声高な「ホモを嫌いネタとして弄ぶ自由」は、あきらかに「市民権」を持っていて、「ホモを嫌いで何が悪い」と叫ぶ人は、明らかにそのコンセンサスを当て込んで—世間は自分に味方するー言っているのだ。本当に周囲の圧力を押してまで自分の自由を叫んでいるわけではない。)

  

だが、その正当化HIVを持ち出すこと、これはどうなのか。

ホモ嫌い」は勝手だ。いくらでも嫌えばいい。だが、「ホモ嫌い」を正当化する言葉が、当然のようにHIVを持つ人を「感染源」としか看做さないような嫌悪と偏見を前提としている。

こちらのほうが、遥かに深刻だし、「ホモ嫌い」のノンケ男たちであれ現在の社会で当然持つことを求められている社会的義務と抵触しているのではないか。それに大勢の人が気づいていないように見えることが、僕には大きな問題に思われる。

  

またあとから続きを書く。

ゆんゆんゆんゆん2009/06/27 10:41血友病患者のこともあり、HIV流行当初に比べれば男性同性愛とHIVが結びついているというイメージは薄くなっていると思います。それでもなお、男性同性愛者が有意にHIV感染率が高いというのであれば、偏見をなくすためにはなぜそうなるのかを明らかにする必要があるかと。
また、「ホモネタ好き」と「ヘイトスピーチ好き」は違うと思います。後者が本当に市民権を得てしまえば、前者の肩身は狭くなると思います。厳密には、「ホモネタ好き」の人に弄ばれているのは「男性同性愛者表象」というよりは、「過剰な男らしさ」の方がしっくりくる気がしますが……。

Ry0TARy0TA2009/06/29 19:34>ゆんゆんさん
このエントリで考えたかったのは、HIVに対するステレオタイプな偏見です。
HIVエイズを本当に恐れているなら、必要なことは
自分の健康を責任を持って守ること
HIV陽性者・エイズ患者が安心して治療に専念できる環境ができるよう、手を貸すこと
であると、繰り返し言われています。
ストレスの下で体を労わってゆかなければならないHIV陽性者に対して、陰性者はしばしば非常に危険な加害者になりえるのに、それを自覚せず、陽性者の加害性ばかりを言い立てる言葉が絶えないのはなぜか、ということです。

ゆんゆんゆんゆん2009/06/29 23:50今までのヘイトスピーチについてのお話は前振りに過ぎなかったわけですね。先走り気味で申し訳ありませんでした。「なぜ」が解明される「続き」を楽しみにお待ちしております。

napsucksnapsucks2010/03/14 17:02久しぶりに見直してみたらこんなエントリが。

HIVへの偏見をもたらしたのはほかでもないあなたがた肛門性交者たちではないでしょうか?
単に致死性感染症というだけがHIVへの偏見の理由だとお考えですか?

自分たちを正当化するために血友病患者を隠れ蓑にしているように思います。
いわれのない汚名を着せられる血友病患者たちはむしろあなた方の被害者ではないでしょうか?

2009-06-22

排除のためにその名が使われるなら

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かなり恥ずかしい話かもしれないが、僕が同和という言葉を初めて聞いたのは、大学1年、19歳のときだ。

差別部落問題のことは漠然とした知識としては知っていたが(たとえば島崎藤村を読んで)、現代の被差別部落問題について考える機会もなければ、問題関心を抱くような感性もなく、じつに成人近くになるまで同和という言葉を知らずにきた。もちろんどこかで触れていたかもしれないが、意識したことがなかった。僕の認識はその程度のものだった。

  

僕が初めて、まともにその言葉を聞いたのは、なにかというと、母のおしゃべりを通してだった。

  

話の細部は、それほど詳しく憶えているわけじゃない。母は、その頃参加していた工芸教室で聞いた噂話を、僕に再現して聞かせていた。

ある家に大学生の息子がいて、まあ、勉強もせずチャラチャラ遊んでいるとかいう、ろくでもない奴らしかった(母は僕のことを考えていたのかもしれないが)。

ある朝、その家のお祖母さんが孫の部屋の前を通りかかると、畳の上に(日本家屋らしかった)女性のパンツが落ちている。

驚いたお祖母さんが、孫が寝ている部屋の襖を開けると、

  

「布団の中に、頭が2つあったんだって!」

  

母は笑った。

ようするに、息子は自室で女の子と一緒に寝ていたところを、お祖母さんに見つかってしまったのであった。

お祖母さんのショックは並大抵じゃなかっただろうし、孫らの所業は極めつけに「ふしだら」な行為に映ったことは、想像に難くない。

と、母は、友人から聞いた話を続けた。

  

「でね、その女は、『どうわ』なんじゃないか、って言うのよ」

  

これが、僕が「同和」という言葉に接した、最初の経験だ。

  

  

  

いろいろな偏見や嫌悪が複雑に重なり、絡み合った話だ。

  

セックスに対する偏見と嫌悪。

女性に対する偏見と嫌悪。

そして、被差別部落出身の人に対する偏見と嫌悪。

  

そのお祖母さんや親御さんには悪いが、自宅で親と同居している息子が、親に内緒でコッソリ彼女を部屋に連れ込むなんてことは、決して珍しいことではないんだろう。

1,2年後、僕は大学の先輩の似たような体験談を(他の先輩から)聞かされた。

自宅通学の先輩は、彼女をときどきコッソリ自室に連れ込んで(、まあたぶん、いちゃいちゃして)いたそうだ。がある日、彼女がそうやって部屋で先輩を待っていたとき、家族が部屋のドアを開けてしまった。

見知らぬ若い女性がベッドに腰掛けていたのだから、まあ、ご家族は驚いただろう。しかし彼女が礼儀正しく振舞ったこともあり、その場は切り抜けたそうだ。いまでは2人は結婚して2児の親である。

  

母が語った話は、

「息子が親としては認めがたいセックス行為をやっていた」

というだけの話でしかない。親としては不愉快だろうが、それ以上でも以下でもない。

だが、その話は、その「ふしだら」行為の「理由」を求めた。

息子の親の視点で、そういう「ふしだら」行為は、まず当然のように女性の方のせいにされた。

そして、そういう行動をとる女性は、当然のように「普通の」女性ではないとされた。

そんな常軌を逸した(教室にいた母と同世代の人たちには、たぶんそう思えたのだろう)行動をするだけの、納得のいく説明のつく事情をその女性は持っているはずだ。

それを説明するものとして、「どうわ」という言葉、名前が、人にスティグマを与える道具として使われた。

(同和は部落差別をなくし部落出身者と非部落出身者の差異を融和するという言葉だが、この話のなかでは、被差別部落出身者を指す名前として使われていた)

  

  

この話が持つ残酷さのそういう仕組みが理解できたのは、ずいぶん時間が経ってからだ。

それから被差別部落問題、同和問題について真面目に考える、知ろうとする努力もろくにしてこなかったが(その当時よりは、さすがに少しは知るようになったが)、この話のことは、心にこびりついたように、忘れられなかった。絶えず思い出していた。

  

たとえ住居の改善や就業差別の撤廃を保障する制度があっても、こんな言葉を発するような意識があるかぎり、たとえばそこに被差別部落出身の人や友人がいるかもしれないとは想像もせずに、その人たちのことを「われわれとは違う人間」として「われわれ」の外へ押しやる、そんな意識を当然のように受け容れる場が生まれうるかぎり、そしてそのときの僕のように、その排除の構造に気づくことすらできない人間がいるかぎり、「もう差別はない」とは決して考えられないのだろうと思った。

  

差別の問題は、さまざまな制度や救済措置を整えるだけでは済まないこと、どこかで「差別心を抱いていると意識せずにすむほどの人間の差別心」を問題にしなければ、その危険は消えないのだと、僕に初めて考えさせたのは、被差別部落問題と本当に直接関係があるわけではない、こんな下ネタまがいの噂話だったのである。

  

  

最近、母もあのとき、自分が聞いた噂話にしこりを感じていたのかもしれない、と思うようになった。

母も、その息子と寝ていた女性の行為を非難するのに「差別」のレッテルが利用されることに、抵抗を感じていたのかもしれない。それを伝えたくて、僕にあの話をしたのかもしれない。

しかし、肝心の息子はポカーンとしていて、下ネタじみた逸話がはらむ差別意識を、感知することもできなかったわけだ。

  

週末、実家に行ったおり、13年ぶりに僕は母にその話をした。

  

結論を言うと、母は自分がした話を忘れていた。思い出そうとしてくれたが、思い出せないという。

母は憶えていなかったが、とりあえず僕は、ずっと言いたかったことを言った。僕がずっとその話を忘れられなかったこと、その話が、僕が真面目に考えることがなかった差別について初めて考えるきっかけを与えたこと。母は頷いていたが、伝わっただろうか。

  

13年たって、僕はやっと返事をした。

けれど、まだこれからも、思い出し続け、考え続けなければならないのだろうと思う。

2009-06-19

2008年新規発見HIV陽性者・エイズ患者数、6年連続最多更新、男性間性的接触779人(69%)

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2008年の新規発見HIV陽性者・エイズ患者数が、6月17日発表された。

HIV感染者1126人 6年連続で最多更新—MSM産経ニュース

http://sankei.jp.msn.com/life/body/090617/bdy0906171950010-n1.htm

厚生労働省エイズ動向委員会は17日、平成20年に新たに報告された国内のエイズウイルスHIV感染者が1126人で、平成15年以来、6年連続で過去最高を更新したと発表した。新たに発症したエイズ患者も431人と過去最高となった。

  

 感染者の内訳は男性が1059人と全体の約94%。感染経路別では同性間の性的接触が最も多く779人(約69%)、次いで異性間の性的接触が220人(約20%)と、性的接触が大部分を占めている。年代別では10代19人、20代333人、30代428人、40代202人、50代以上143人、年齢不明1人だった。

  

 昨年12〜3月の四半期の報告数では、HIV感染者は249人と前回よりも43人減少したが、エイズ患者は124人と過去2番目に高い値だった。

  

http://api-net.jfap.or.jp/

世界の動向・日本の動向→日本の動向→エイズ動向委員会報告

委員長報告から

  

2007年は、新規HIV感染者1,082件、新規AIDS患者418件、合計1,500件(過去最高)

2008年は、新規HIV感染者は1,126件、新規AIDS患者は431件、合計1,557件(過去最高)

 最近5年間のHIV感染者報告数 は4772件で累計の45.2%

  

新規患者報告数に占めるAIDS患者報告数の割合は27.7 %で低下傾向

 →「いきなりエイズ」が減少し、発症前に検査で判明する(発症を抑制する治療が可能)傾向に

  

同性間接触感染の傾向

  

「まとめ」引用

1.平成20(2008)年におけるHIV感染者とAIDS患者の報告数はそれぞれ過去最高となった。

2.日本国籍男性を中心に国内でのHIV感染の拡大が続いており、特に同性間性的接触による感染 は顕著な増加が続いている。

3.全年代で新規HIV感染者報告数は増加傾向であり、50代以上の年齢層では、AIDS患者報 告数も増加している。

4.前年に比べて、HIV感染者では、北海道・東北ブロックと東海ブロックを除く各ブロックで、 AIDS患者では、北海道・東北ブロックを除く各ブロックで増加している。

5.地方自治体等の関係者の努力によりHIV抗体検査件数は過去最高となり、感染者・患者報告数 に占めるAIDS患者報告数の割合は低下傾向である。

  

検査件数が過去最高を記録したこと、エイズ患者数報告の数が減っていることは、予防の成果が出ていることのあらわれで、感染者報告数の増大も、検査普及の成果という側面もあるだろう。

しかし、6年も新規発見報告数の最多更新が続くというのは、ゲイのあいだで感染が広まりつづけていることだという事実を直視しないといけない。

増加傾向が抑えられる時がいつになったら来るんだろうか。

2009-06-15

はてなハイクのエントリを一括削除するには?(方法は見つからなかった)→タスク終了

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はてなハイクのログをいい加減削除したいと思っているが・・・アレは、はてなを退会しない限り全部手動で消さなきゃならないのか?

データエクスポートができないと知った時点で、データ管理機能はないんだと分からなきゃならなかったわけだが。どうしたもんか。

  

  

とりあえず。Followingのリンクを解除した。(これまでありがとうございました。)

「お気に入りアンテナ」からサクサク解除できるのかと思ったら、お気に入りアンテナでフォローを外してもはてなハイクに反映されないのであった。

お気に入りアンテナでフォローを外すと、はてなハイクで解除ができなくなるので、お気に入りアンテナを再フォローしなおし、はてなハイクのフォローを解除。なんという壮大な二度手間。

もし再フォローがその人にいちいちメールされていたら、えらいメイワクな話になる。ごめんなさい、とここで謝っても仕方がないのだった。

  

フォローを外しても、それまでフォローしていたログは消えないことを知る。

結局、僕がはてなを退会するまで、はいくアンテナに2009-06-15までのフォローのログが残るってことか。

  

エントリの削除をどうするか、思案中。

「このハイクに新規ポストはありません」というエントリを入れておくのがいいのだろうか。遅ればせ過ぎてマヌケだが。

アンテナもログが残るなら、あとをきれいにして止める、ということは最初から不可能なのかもしれない。

  

で、ごあいさつエントリをポストした

ほんとうにありがとうございました。

  

この先システムが変わって一括削除が可能になり、ログを削除しても構わない、というようになったら、削除しよう。

堀江有里「キリスト教における「性的指向」概念援用の陥穽―「承認」を求める運動戦略への批判的考察―」(学会発表)

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宗教と社会」学会第17回学術大会(2009年6月6日(土)、7日(日)@創価大学)で、堀江有里さんが発表されたと、「群青 Blog版」で知る。

堀江有里「キリスト教における「性的指向」概念援用の陥穽―「承認」を求める運動戦略への批判的考察―」

  

学会大会のブログダウンロードできる要旨集で、要旨を読むことができる。

大会プログラム配布-「宗教と社会」学会第17回学術大会

http://jasrs.seesaa.net/article/118794581.html

  

興味深い部分を、一部引用させていただく(いいのか分からないが)。

とくに1980年代以降、キリスト教においては、一方では北米を中心に同性愛者排除の言説が強くなるとともに、他方では、同性愛者たちによる対抗手段として「承認」や「受容」を生み出すための当事者運動が広がってきた。後者は、同性愛者当事者のみならず、同性愛者の子どもをもつ親や友人たちなど、いわゆる「支援者」たちを巻き込んでの運動を展開している。

  

ここで注目したいのは、対抗手段として用いられる「承認」や「受容」を生み出すための振る舞いとその言説である。一例を挙げれば、「性的指向(sexual orientation)」という概念の使用がある。同性愛者は、性的な「趣味・嗜好」や「選好」(sexual preference)として認識されることによって、スティグマが付与され、「治療」の対象とされた時期があった。そのような認識に対し、「同性愛者であること」を変更不可能もしくは困難なものであると主張するために、「性的指向」という概念が援用されることとなった。たとえば、いわゆる一般社会におけるゲイ解放運動では、「性的指向」概念は、同性愛異性愛とも社会構築的な要素を強調するために「発明」された概念であったが、それがキリスト教において援用されるときに、“神に与えられたもの”として解釈され、変更不可能性もしくは困難が強調されていく傾向を生み出すこととなった。

  

言葉やその定義は、文脈によって変化しうるものである。しかし、このような変化が生み出されたがために、「アイデンティティ」を軸とした政治/運動は、さらに限界を露呈することとなったとも解釈することができる。このような事例の文脈を丁寧に読み解くことにより、あらたな「アイデンティティ」を軸とした政治/運動の可能性を模索したい。

「ねたみ差別」とは

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差別部落解放問題の用語だが、金石範『「在日」の思想』で知った。

  

同和対策事業などの中で生じた具体的問題を説明する言葉だが、例の「在日特権」説やフェミニズムに対する男性側からの嫌悪など、あるマイノリティ・グループの状況改善が真面目に取り上げられることに対し、「過度な優遇がされている」「かれらのほうが強者である」と反発するマジョリティ・グループの類型的感情も、このような視点から説明できるところがあるかもしれない。

  

ねたみ差別意識-部落問題・人権事典

http://wiki.blhrri.org/jiten/index.php?%A1%F6%A4%CD%A4%BF%A4%DF%BA%B9%CA%CC%B0%D5%BC%B1

差別集団(*マイノリティ・グループ)は自分たちより下位であって当然だ,という*差別意識に基づいて,被差別集団が自分たちより生活条件が上にあるとみなすことで,反感をもつマジョリティ・グループ側の態度。ねたみ差別意識は古く、金銭的に成功した部落民を<○○の分際で、けしからん>と非難する事例は近世にも散見される。しかし近年、同和対策事業により部落の改善が進行するに伴って顕在化し、今日の部落差別意識の主要な発現形態となっている。たとえば、<部落にだけ、立派な住宅が建てられ、安い家賃で入居している><部落の学校の施設は至れり尽くせりのものだ、われわれの学校はみすぼらしいのに>といった声がそうである。これは、社会福祉政策・教育政策・住宅政策など社会政策の貧困により、同和事業と一般政策のアンバランスにより生じた側面があるとともに、部落差別の現実や同和事業の歴史的経過についての無知・無理解と、部落に対する差別意識とが結合した結果生まれた意識である。

  

<羨望差別>という言い方もあるが、羨望・うらやみはその性質上、差別意識とはならない。すなわち、<ねたみ>と<うらやみ>とは、次の点で区別される。両者はともに他者の充足した状態と自己の状態とを比較したときに生まれる感情であるが、<うらやみ>は他者がその充足した状態にあるのを自然に受けとめ、自己もそうなりたいという感情の動きがあるのに対して、<ねたみ>は、本来、他者はその充足した状態にふさわしくないという判断があり、<私の方が、充足した状態にふさわしい>とか、あるいは<その者は、本来の劣った状態がふさわしい>という感情の動きが含まれている。

逆差別http://wiki.blhrri.org/jiten/index.php?%A1%F6%B5%D5%BA%B9%CA%CC

(野口道彦)

  

「日本における部落差別:「職業と世系に基づく差別」に関する特別報告者の NGO に対する質問状への回答より」

作成 反差別国際運動日本委員会(IMADR-JC)/部落解放同盟中央本部/部落解放・人権研究所(2006年2月)pp. 9-10.

http://74.125.153.132/search?q=cache:ySAA6nWIOyQJ:blhrri.org/kokusai/un/un_0037.pdf+%E3%81%AD%E3%81%9F%E3%81%BF%E5%B7%AE%E5%88%A5&cd=5&hl=ja&ct=clnk

これまで、部落と部落民がおかれている劣悪な実態が、部落差別の原因と考えられてきた。しかしながら、「特別措置法」を活用した取り組みによって部落差別の実態が一定改善されてきても、差別がなくなるどころか「なぜ部落ばかり良くなるのだ。われわれの方が逆に差別されているではないか」という「ねたみ差別」(「逆差別」)意識が生じてきたのである。このことは、部落は、劣悪な状況にあればあれで差別され、良くなれば良くなったで差別されるという部落の人々と部落外の人々とがおかれている関係性の中に部落差別の原因が存在していることを教えている。このことをふまえて、「ねたみ差別」が生じてきた原因を分析すれば、一つの原因は、なぜ「特別の施策」を実施してきたかについての教育・啓発が決定的に弱かったことにある。もう一つの原因は、部落の周りに、部落とさほど変わらない困難な状況におかれている人々が存在していたことによる。このことをふまえるならば、「ねたみ差別」を克服するためには、教育・啓発を強化するとともに、部落が良くなるとともに部落とさほど変わらない状況に置かれている周辺地区の人々の状況も改善するための取り組み=「人権尊重のまちづくり」が必要であることが分かる。

2009-06-13

君はいくらでも生まれた場所から自由になれる

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朝6時には家を出なきゃならないのに、眠れん(ちなみに今は14日の午前3時だ)。

  

今日は(って、これは13日の夜のことね)、妹から電話があった。2歳の姪の誕生日プレゼント(って、現金を送っただけだが)の礼だ。

すぐに役に立たなくなる下らんモノで貴重な空間を塞がれるより、キャッシュのほうがいいよね。こんなことが言えるのも兄妹ならではで、ありがたい。

姪の誕生日やお年玉として兄や僕が送った些少の金を、妹は教育資金に積み立てているという。それは賢い。でもさ、分かる年齢になったら、やっぱりモノがいいんじゃないかと思うのね。誕生日プレゼントを貰ったって思い出が、大切だと思うから。なるほどね、そうかもね。その時になったら、言ってよ。

  

今日(って、これは14日のことだ、ああめんどくさい)の予定、実家の様子を見に行く話になる。

これは言ってはいけないと思っていたのだが、愚痴が溢れる。

親父がさ、相変わらずなのよ。ちょっと対応が遅れただけで、母さんのことをバカだ、ダメ女だ…

年明けに倒れた親父の予後は悪くないが、歩行のリハビリがはかばかしくない。

母は父の世話に全生活を縛られている。

短気な父の怒声は、なんだか前より酷くなった。僕は月2回母の手伝いに行くが、些細なことで部屋中に響き渡る罵声を聞かない回はない。

約10年前、祖母を介護していたとき、父は弱った祖母に苛立って散々に怒鳴り散らしていた。いま自分が弱って介護を受けるようになったが、今度は介護する母のことを怒鳴り散らしている。どうなっても勝ち組になる人間である。

  

が、妹は言う。

いいじゃない、別に。自分で選んでるんだから。

母のことだ。

そういうもんか?

自分で選んで、ずっと一緒に暮らしてきた相手なんだから。子どもは親を選べないけど。見えてるものが違うんだよ。

…そういうもんか?

  

なにかあったら、今度は絶対に通報する。父が療養生活に入ったとき、かつての祖母を見ていた僕は、兄と妹相手に息巻いた。

怒鳴り散らされるようなそんな生活を、母が自分で選んでいるんだ、と言われても、割り切れない。

  

父親の強権の下でミニ全体主義国家のようだった実家で、たった1人の女の子の妹は辛い思いをした。決して仲のいい兄妹ではなかったのだが、妹が言った言葉で、ひとつだけ忘れられない言葉がある。

子どもを持ったら、ぜったい殴るから、持たない。

  

だが、妹は子どもを持った。特に最初の数ヶ月の育児は辛かったようだが、彼女がかつて恐れていたような、姪っ子を殴るなどという発想は思いもよらないらしい。

そういえば兄もそうだ。内幕は知らないが、怒声も暴力もない家庭を築いているらしい。

兄の家庭も、妹の家庭も、僕が知っている唯一の家庭(ようするに、両親の家)とはまったく別物のようだ。もちろん色々問題は抱えているだろうけれど、いくら話を聞いても信じられないほど平穏で、どこの雑誌に載っている家族?と思うこともある。

考えてみたら僕も、相棒に怒声を上げたことなんて一度もないが。

  

家族を作るということは、べつに家族を反復することではない。だが僕らは長いこと呪いかなにかのようにそれを恐れていた。

少なくとも今の僕ら—って、僕に家族を作れるあてはないが—は、自由になっているようだ。

レズビアン・マザーズに優しい保育園

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QTさんとサーさんのレズビアン・カップル子育て日記「こどもがほしいから」が好きである。

お子さんはいま保育園に通っているのだけれど、その保護者会についての最近のエントリに、舞い上がるほど嬉しくなってしまった。

あと親同士の自己紹介の時間があったんだけど、「モトの母のQTです」なんていう当たり前のセリフが妙に照れくさかったなあ。私って保護者なのね、と再確認。

ちなみにわざわざ片親であることには触れる必要もなく、そもそも旦那の話など一切出ず。精神的にとても楽です。

  

とはいえもうすぐ父の日。先月の母の日には、お母さんへのプレゼントを製作して持って帰ってきたので、当然父の日にも何かあるんだろうとは覚悟していた。

そしたら先日お迎えの時に担任の先生がちょっぴり神妙な顔で父の日のプレゼントについて話してきた。

父の日のプレゼントなんですが、サーさん宛てに製作するので構いませんか?」と。

先生いい気配り!もしかして二人の関係に気づいてる?まあとにかくこれでサーも大喜び間違いなし

  

な ん て す て き な ん だ !

  

僕は、「子育て」の現場について、あたりまえだが何も分かっていない。

シングルペアレントの人たちのブログをいくつか拝読すると、母の日父の日をやらない方針をとっている保育園もあるようだ。

けれど、幼稚園以上は違うらしい。幼稚園,小学校と子どもがどんな経験をしてゆくのか、不安を綴っているシングルペアレントのお母さんもおられた。

たしかに、感情的にもさらに成長してゆく子どもに、教育の場で「異性カップルの両親が揃った家族」という規範が与えられることによる影響に対する不安は、シングルペアレントの人たちにとって、心の負担になるのではないか…そしてそれは、レズビアンマザー、(まだあまり数は多くないと思われるが)ゲイファーザーも同じだ。

  

でも、保育園や幼稚園の先生たちの対応は、きめ細かい。そうした現場でダイバーシティを実現しているプロの人たちを、信じることができる。こういう「現実」のことを、もっと知りたい、と思う。

2009-06-12

開いている「闇」と閉じた「光」(梁石日)

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梁石日祭り、続行中。1995年と2000年の、ふっるい対談を引っ張り出して読み比べると、梁石日が考えていることの一貫性を感じる。

  

1995年の、梁石日鵜飼哲の対談。

  

梁 ヨーロッパ的な闇というのがあるんですよ。日本の闇というか文学にしろ詩にしろいろんなものにそういうものが出てくるんですけど、これまた日本的な闇だと思いますね。ただそれがヨーロッパ的な闇みたいなものと日本的な闇みたいなものがどこかで交歓しているような気がするんです。日本の戦後文学でも、花田清輝とか、澁澤龍彦なんかの作品を読んでいると、そういうヨーロッパ的な闇みたいなのがしきりに出てくるわけです。そういう影響がかなりある。闇というのはなんか怪奇なものとか、そういうものを感じるわけです。だけど本来闇というのはそんなものじゃない。闇というのは例えば、「不法就労者」、この言葉自体も僕はいやなんですけど、フィリピンとかバングラディシュとかから来るわけですね。とくに一時期フィリピンから来て夜の商売に入っていく。そしていわば闇の世界に生きていくわけですけど。闇というか影にいると光にいる人間がすごくよく見える。ところが光の中にいる人間には闇のなかの人間は見えないんです。そういう関係だと思うんです。つまり光の中の人間は闇の中の人間が見えないから、また見ようともしない。だけどこっちにいる人間はいやおうなく光のなかの人間が見えてしまう。そういう関係がずっと続いてきたと思うんです。本来闇のなかの人間を見なきゃならなかったのにね、つまり本来持っていた闇の中に生きている人間を、日本の作家は思想的な次元でもそこに生きている人間を見ようとしなかったんですよ。つまり闇の世界というのはもっと別のもの、一種の異界性みたいなもの、別の怪奇なものとか、そういう感じですね。そういうふうに闇というものをとらえると、本当に闇の中に生きている人間の実態が絶対わからない。だから結局のところ描けなかったんですよ。本当のところ闇の世界に生きている人間を描いていると、それこそ世界のあらゆるところで紛争が起こっていて、難民が流出していて飢餓が蔓延していて、人が日常的にどんどん亡くなっていく,死体が腐っていく。そういうイメージを当然持たなきゃならないと思うんです。ところが日本の小説家はそういうイメージを内に抱えていない。

  

鵜飼 内に抱えていないから外に探しに行くという形になるわけですね。

  

梁 もう一つは日本文学の中に抱えているものは、そういう闇じゃないんです。もっと別のものです。それは別の闇もありますよ。例えば男女の闇、人間関係の闇もあるでしょ。だけどそういうところへどんどん集約されてしまう。

  

鵜飼 日本の闇というのは自閉的な感じがするんですね。

  

梁 外へ開いていかない。

  

  

梁 そうですか。光のなかにいる人間も自分の内部に闇を抱えているんですよね。自分が抱えている闇みたいなものを、どういう闇であったかミクロな次元だけじゃなくってマクロな次元へ持って行かないと具合が悪いと思うんです。それはなにか自分の個人的な闇じゃなくって,大きな一つの闇の中に関係しているんだという観点を持たないと非常に個人的悩みに終わってしまう。

  

梁石日鵜飼哲「この闇を見つめざるもの未来を語るなかれ」『インパクション』「特集・在日「外国人」の半世紀」92 (1995), pp. 13-14.

  

2000年の『ユリイカ梁石日特集、梁石日と金石範の対談。

梁 [純文学は]私小説が主流ですから。私小説というのは、何か井戸を掘るような感じがあるんですよね。自我というものをどんどん掘り下げていくところがあって、それはある有効性を持っていることは間違いないんですが、純文学私小説を読んでいると、秘奥に些末な日常雑記のような文章も多くて、自分と「世界」が向き合う関係性がどこかでなくなっていく。日本文学そのもののパイが狭くなっている。そうするとどうなるか。「文学」というのは、何も文学だけが別に成立しているわけではなくて、それこそ日本という全体の一部であるわけだから、日本の全体的な自我を端的に表しているのではないか。つまり,ある意味で排他的なところがある。

  

金 うむ。

  

梁 他者とあまり向き合おうとしない。世界とあまり向き合おうとしない、というところがある。

  

金 それは昔からそうだね。今でも直っていないのか(苦笑)。

  

ユリイカ』2000年12号「特集・梁石日梁石日・金石範「『血と骨』の超越性をめぐって」p. 68.

  

たぶん、梁石日が考える「闇」は、日本社会の表面的な秩序から外れたアウトローの世界だ。が、それはさまざまな「外国人」たちが生きる場所でもあり、そこを通して日本がアジアへ,世界へ連動している場でさえある。不法とはいえ法のさまざまな操作によって、「闇」の利益は日本社会の中に吸い上げられる。しかし、そのような日本とアジアの関係を、日本人は「異界」「なにか怪奇なもの」「内にはないもの」としか見てこれなかった。

  

なんだかこれは、坂本順治監督の映画『闇の子供たち』と梁石日の原作を見比べたときの違和感に通じるかもしれない。

  

坂本順治の映画は日本人の南部を主人公にし、タイの児童人身売買・臓器売買を追求してゆく彼自身がゲイ小児性愛者でタイの少年を買った経験があったこと、その罪の意識から自殺するというオリジナルの設定と結末を付け加えた。そうすることで、日本人の意識にショックを与え、リアルにタイの人身売買問題にリンクさせようとしていたのだと思う。

しかしそうまでしなければ日本人がタイの児童人身売買の問題にコミット(行動にいたらなくとも、問題意識の上だけでも)を想像できないということが、問題だったのではないか。

梁石日の原作では、南部浩行の「衝撃の素顔」は、まったく別のところにあった。

まるで命令調だったが、「この国の子供たちのことは、この国の人間が解決するしかない。君は所詮、この国では外国人なんだ」という南部浩行の言葉に音羽恵子は愕然とした。無意識に出た言葉とはいえ、その言葉の中に南部浩行の本音が隠されていた。

  

豪放磊落な男だと思っていた南部浩行の顔が急にエゴイズムの塊のように見えた。「君は所詮,この国では外国人なんだ」という言葉を裏返せば、日本にいる外国人は所詮,日本人とはちがうのだという排他的な感情にほかならなかった。南部浩行にとって、この国のことは無関係だったのだ。取材をして日本へ帰り、記事を書いてしまえば、すべては一過性の出来事として無化されるだろう。心強い先輩としてひそかに憧れていた南部浩行だったが、音羽恵子は失望した。これが一流新聞社のエリート記者だろうか。

  

梁石日闇の子供たち』(幻冬社文庫), p.469.

"The Role of National Human Rights Institutions in the Promotion and Implementation of the Yogyakarta Principles"

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5月5-7日にAsia Pacific Forumとインドネシア人権委員会により共催されたワークショップ、「The Role of National Human Rights Institutions in the Promotion and Implementation of the Yogyakarta Principles」

http://www.asiapacificforum.net/news/nhris-and-the-yogyakarta-principles.html

最近のジョグジャカルタ原則関連の動きのなかでは、一番関心があったものだが。

アジアアフリカのLGBT問題や難民問題に、どれほどYyPが役に立てるのかが、気になるのだ。ほかのことには大して関心がなくなってきている。

  

APFのサイトに、全ペーパーのDocファイルがアップされていた。すごい。

http://www.asiapacificforum.net/issues/sexual_orientation/

  

エントリにしたいけど、できるかな…?

  

とりあえず以下はオープニング・ステートメントのコピペワークショップの目的と参加者についての詳細が分かる。

www.asiapacificforum.net/issues/sexual_orientation/downloads/apf-regional-workshop-may-2009/Opening_Statement_APF.doc

  

The Role of National Human Rights Institutions in the Promotion and Implementation of the Yogyakarta Principles

  

Opening Statement by Pip Dargan, Deputy Director, APF

  

Tuesday 5 May 2009

  

The APF is very pleased to warmly welcome you to this regional workshop on the role of NHRIs in promoting and implementing the Yogyakarta Principles.

  

We are particularly excited to be holding this workshop in the very town where the Principles were originally developed in 2006 - and to also have so many of the experts involved in that process here with us this week.

  

I would like to thank the National Commission on Human Rights (Komnas HAM) for hosting this historic meeting. It is historic because it is the first time that any regional or international group of NHRIs have come together to discuss the application of international human rights law in relation to sexual orientation and gender identity which have been so clearly set out in the Yogyakarta Principles

  

This morning I would like to set out a brief background on why we are meeting and what we hope to achieve.

  

Under the umbrella of the Asia Pacific Forum this workshop brings together 9 NHRIs from our wide region including the NHRIs of:

  

Indonesia

Australia

Jordan

Malaysia

Nepal

New Zealand

Palestine

South Korea and

Thailand.

  

These institutions reflect the various sub-regions of the greater Asia Pacific as well as the diverse cultural, religious and social composition of our membership.

  

Why are we meeting?

  

Many of the member institutions of the Asia Pacific Forum have individually taken up issues relating to the human rights of persons of diverse sexual orientations and gender identities.

  

Some institutions have acted on complaints of discrimination and human rights violations on the basis of sexual orientation.

  

Others have advocated for changes to law and practice to promote and protect the human rights of these persons.

  

Some have identified persons of diverse sexual orientations and gender identities as priority or vulnerable groups in need of human rights protection.

  

At the regional level issues relating to human rights and sexual orientation and gender identity were raised at the APF’s 11th Annual Meeting held in Suva, Fiji in August 2006.

  

In 2008 at its 13th annual meeting APF Forum Councillors agreed to include sexual orientation and gender identity into its workplan beginning with a regional workshop.

  

The APF also noted that the Yogyakarta Principles made a specific recommendation to NHRIs which called upon them to integrate the Principles into their human rights work.

  

  

What do we hope to achieve from this meeting?

  

By coming together this week we hope to learn and document how national human rights commissions are using their mandates and powers to address discrimination and human rights violations based on sexual orientation and gender identity.

  

We will also have an opportunity to learn about the political and social challenges and tensions inherent in our work on these issues.

  

We want to build a detailed understanding of the Yogyakarta Principles, their relevance to NHRIs and how these Principles and existing international human rights law can be utilised by NHRIs.

  

This week we will also have the opportunity to develop a better comprehension around what is sometimes regarded as confusing or complex terminology - for example ‘sexual orientation’ ‘sexual expression’, ‘transgender’, ‘intersex’ as well develop an understanding around other country-specific terms that refer to sexual minorities.

  

These few days will also provide national institutions with the opportunity to assess what actions member institutions and the APF can take to promote and implement the Yogyakarta Principles, nationally, regionally and internationally.

  

And finally an important outcome to this workshop will be the development of a consensus document from this meeting as the basis for further work on these issues. This morning Chris Sidoti will be speaking in more detail on this concluding document and its process.

  

  

Welcome to Experts

  

As mentioned earlier we are very appreciative to have with us some of the key international human rights experts that helped develop the Yogyakarta Principles. We also have with us highly regarded experts from Indonesia who will discuss political and religious perspectives as well as other experts on sexual orientation and gender expression.

  

I would like to acknowledge and welcome:

  

Professor Vitit Muntarbhorn from Thailand. Vitit was the Co-chair of the Yogyakarta Experts Group and a long-term friend of the APF and is a jurist on the APFs Advisory Council of Jurists. Vitit is also a Professor of Law and has extensive UN experience and was the UN Special Rapporteur on the sale of children, child prostitution and child pornography from 1990-1994, and from 2005 has been the Special Rapporteur on the Situation of Human Rights in North Korea.

  

Ms Sonia Correa from Brazil, who was the other co-chair of the Yogyakarta experts’ group is also with us. Sonia is also a Research Associate at the Brazilian Interdisciplinary AIDS Association and co-chair of Sexuality Policy Watch.

  

Professor Michael O’Flaherty was the Rapporteur of the Yogykarta Experts Group. Michael is Professor of Applied Human Rights and Co-Director of the Human Rights Law Centre at the University of Nottingham. Michael is currently serving as a member of the UN Human Rights Committee.

  

John Fisher who is based in Geneva is co-founder and co-director of ARC International and along with Chris Sidoti was at the forefront of initiating and organising the process that developed the Yogyakarta Principles. ARC International is a prominent organisation working to promote human rights concerning sexual orientation and gender identity and is active in pursuing these rights in the UN HRC.

  

We (will) also have with us Bapak Marzuki Darusman, former Attorney-General of Indonesia, former Chair of the Indonesian Human Rights Commission, current parliamentarian and co-chair of the Working Group for an ASEAN Human rights mechanism. In his term as Vice Chair and Chair of the Indonesian Commission his support was instrumental in the establishment of the Asia Pacific Forum.

  

Ibu Musdah Mulia is a recognised expert in Islam and human rights and is Chairperson of the Indonesian Conference on Religion and Peace.

  

I’m also glad that we have Grace Poore with us this week and Grace is the Regional Coordinator for Asia and Pacific Islands for the International Gay and Lesbian Human Rights Commission.

  

We are looking forward to your various contributions this week.

  

  

International

  

National human rights institutions have a unique role in the promotion and protection of human rights.

  

They are unique because they have official powers to monitor state obligations in relation to international human rights law as well investigate complaints, conduct research, make recommendations to government, undertake human rights education and awareness campaigns.

  

A key role of a NHRI is to address community attitudes that have the effect of discriminating against or violating people’s human rights. This also extends to raising visibility and awareness within the international community and NHRIs have a recognised role to engage within the international human rights system.

  

I remember my first trip in 2003 to the then Commission on Human Rights in Geneva (now the Human Rights Council) . I was bright-eyed and bushy tailed and excited to be the international hub of human rights.

  

That year the Government of Brazil had introduced a draft resolution titled ‘Human Rights and Sexual Orientation’ – it was of course - as you all know - very controversial. Walking through the corridors of the UN I came across a whiteboard. It stopped me in my tracks because I would never have anticipated that I would find scrawled across it the words ‘homosexuals are sick’.

  

I stood frozen in front of that board for a number of minutes realising, perhaps very naively that even within the UN strong negative attitudes towards people of same sex orientation existed and these were obviously being vented in reaction to the Brazilian draft resolution.

  

I also realised how that graffiti sent a very clear message that would have the effect of making some people feel very unsettled or excluded in a place where they would not expect to experience such feelings. It may have seemed like an insignificant issue to some but the impact of that message was not insignificant and the fact that it was in the UN added another dimension.

  

NHRIs have a role in engaging the international UN HR system and raising human rights issues in relation to sexual orientation and gender identity. They can do so though the Human Rights Council, treaty bodies, special procedures and the Universal Periodic Review – as well as in regional human rights mechanisms where they exist.

  

The promotion of non-discrimination and equality in law must go hand in hand with community education and raising awareness and this clearly is where NHRIs can play a leadership role in promoting universal human rights and dignity of the person at the national and international levels.

  

This week the APF, through its membership, is helping to contribute to that process and we are looking forward to mapping out a better understanding of what we are doing as individual institutions and what we can possible do collectively. Finally, in conclusion again I want to sincerely thank our hosts, Komnas HAM, particularly its Chairperson Ifdhal Kasim and Vice Chairperson Ibu Hesti Armiwulan for their support and enthusiasm in organising this workshop in partnership with the APF.

『解放社会学研究』レズビアン・スタディーズ特集(2004)

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http://sociology.r1.shudo-u.ac.jp/liberty/books/books.html

『解放社会学研究』18(2004)

  

[特集] レズビアン・スタディーズの現在:歴史・運動・表象

河口和也「特集にあたって」

亘明志レズビアンスタディーズと社会学--差異の抹消と解読」

風間孝「つながっていくことと差異を主張すること」

飯野由里子「日本のレズビアンフェミニストのストーリーを読み直す

堀江有里「レズビアンの不可視性--日本基督教団を事例として」

WesleycewWesleycew2018/08/10 06:59здесь на официальном портале <a href=http://da-hostel.ru/>http://da-hostel.ru/</a> собран большой выбор уникальных новостей о туризме.

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2009-06-10

スウェーデン教会の女性聖職者按手・女性同性愛者聖職者按手

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みやきちさんのLGBTニュースから。

  

カムアウト済みのレズビアンスウェーデン教会監督に選出さる-みやきち日記

http://d.hatena.ne.jp/miyakichi/20090609/1244522164

  

スウェーデン教会ストックホルム教区監督に5月26日、公然同性愛者のエヴァ・ブルンネ氏(55)が選出された。

  

彼女は世界最初のカムアウトしたレズビアンのbishopとなる。

Church of Sweden Elects World's First Lesbian Bishop

http://www.shewired.com/Article.cfm?ID=22990

  

ルーテル派最大の教会であるスウェーデン教会は、ルーテル派のなかでも最も早く、1958年に女性牧師を按手した。

2008年には、女性聖職者按手50周年を祝っている。

Church of Sweden Celebrates 50 Years of Women’s Ordination - The Lutheran World Federation

http://www.lutheranworld.org/News/LWI/EN/2343.EN.html

  

女性聖職者按手は1960年から増加し、2000年の時点で31%の聖職者が女性である。

  

が、Wikipediaによると、女性聖職者の正当性については未だ議論があるという。

http://en.wikipedia.org/wiki/Ordination_of_women#Examples_within_specific_churches

However, while the Church of Sweden was the first Lutheran church to ordain female pastors in 1958, there is still considerable debate in this church as to the legitimacy of the ordination of women into the pastoral office. In fact, in 2003 the Missionsprovinsen (Mission Province) was formed within the Church of Sweden to support those who oppose the ordination of women and other developments seen as theologically problematic.

  

最初の女性監督(bishop)の按手は1996年。Lund教区のChristina Odenberg師(2007年引退)。

http://en.wikipedia.org/wiki/Christina_Odenberg

  

誰もしていない朝鮮人差別・部落差別(金時鐘)

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最近、梁石日の本をやたらに読み返している。といっても僕は梁石日の作品をごく一部しか読んでいないし、彼の作品に一貫する「在日」というテーマを、どこまで理解できているか分からない。「光」の中にいると「闇」の中が見えず、「闇」の中からは「光」の中にいる人間たちがよく見える、日本の在日問題を例えて彼は語っているが、まさに「闇」の中も見えなければ「闇」の中の人たちには見えている自分自身の姿も分からず戸惑っているのが日本人の僕だ。が、ときどき、闇の中から見える僕自身の姿、「在日」の問題を生み出す「日本人」のありようについてのイメージを、具体的に掌に置いて握らされるような表現に出会い、ハッとする。

(とはいえ、そういうイメージを与えてくれる著書はべつに梁石日に限らず数多くあるはずで、僕が真剣に学ぼうとしていないだけだ。)

  

これは梁石日ではなく、彼の数十年に及ぶ師であり畏友である詩人金時鐘の言葉だが。日本人が「朝鮮人差別しているのか?」と問われて戸惑うとき、その目に見えていない差別のありようのことを、鋭く語っている。

『闇の想像力』の対談から引用しておく(pp. 205-6.)。

  

金 差別がひどいというのは、日常不断にくり返されていることで、日本の広い市民感覚の中では,自分が差別をしているという意識を持つ人はほとんどいない。現実に自分が悪口を言うこともないだろうし。朝鮮人とつき合うこともないのだから、身近にそういう人たちと接してないから、したがって悪口も出るわけもないんだな。そういう感覚の中では,自分がいけないことをしているとか、人の道にもとるようなことをしているとは、少しも思っていないわけでね。それでいて、差別される人たちは厳然と存在するわけです。それは、図式的には特定の誰かがする差別ではない、そういう差別をしたことはないと思っている人たちは、部落とか朝鮮の人とつき合うかというとつき合わずに、いつも遠巻きにしているんだよ。遠くから見て、遠巻きに、接することなく、そこには歴然とへだたっている空間があるわけだ。遠巻きにすることによって、部落とか朝鮮は市民生活の中で非常に押し込められてしまう。どんなに自分たちの生活の余力がつこうと、市民の中に塀みたいに掘りめぐらされた市民意識があるんです。それで、特定の誰かが差別するのではないのに、現実には、差別を被る人は依然としてあるし、差別に晒される。虐げを被る側は具体的に醜くなる。容姿、言辞、振る舞いー全部、市民感覚が眉を顰めるようなことなんだ。そういうことを意に介するようでは、生活をやっていけないから、他人の顰蹙を買うことを気にかけなくなってくる。そんなの構っていられないわけだ。その分、より醜く見えて、より遠巻きにされるという、こういう構造が、今,生活できるようになっているとはいえ、基本的に改まってないんだ。関わりを持たない人たちの意識によって,私たちはいつも区切られているわけだな。

  

もうひとつ、『闇の想像力』「否定の同時性と言葉」のなかに、金時鐘の『「在日」のはざまで』から引用された文章(PP. 41-44.)があまりに圧倒的だったので、孫引きする。なにが、なぜ圧倒的なのか、まだ理解できていないのだが、とりあえず書き留めておいて、反芻したい。

  

梁石日による説明。

彼は40歳を過ぎてから兵庫県の「湊川高校」夜学の専任教師となった。「湊川高校」は在日朝鮮人子弟や部落の子弟や各高校のいわゆる落ちこぼれ子弟たちが多く、その子弟たちに「朝鮮語」を教えるために教師になったのだ。これは差別をなくすための学校の方針であったが、講堂で就任挨拶に立ったとき、金時鐘は部落の子弟たちあKら「チョーセン帰れ」と面罵され、椅子を振り上げるもの、壇上に詰めよるもの、胸倉を掴まえて引きずり下ろそうとするもの、それらの部落の子弟たちに金時鐘はなす術もなく立ちつくしたのだった。それから一年半にわたって、そうした子弟たちとの葛藤が続いたのである。

  

 その彼らが、「朝鮮語」開講一年有余を経て、なお山羊のような目で問い返してきている。「なんでせんならんね?」

 やはり答えねばならぬのだろうか。

  

・・・・・・・

  

 君らの問いには直接の答えにならないかもしれないが、これから話すことも含めて、「朝鮮語」が持ち込まれていることは知ってほしいのだ。

  

 あの騒ぎのあと、密室のような朝問研の部屋で一人泣きじゃくっていた、朝鮮の友達がいたことを君は知るまい。ましてや、君から認められた「金[時鐘]の根性」のささえが何であったのかは、知るよしもないことだ。正直に言おう。私に勇気があって、その場を耐えたのではない。しいたげられてきた者のひとりとして、本当におこったときの怒りが何であるかを、私は知っていただけなのだ。

  

 君たちのあれは怒りではない。虚勢だ。その程度の虚勢で「朝鮮語」が追いたてられてたまるか!

 

 ましてや部落の君たちと朝鮮人の私とでは、怒りあう仲ではさらさらないのだ。私のがんばった理由は一つだ。再度「朝鮮語」をはずかしめる側の「日本人」に、君達を入れてはならなかったのだ。

  

 帰りみち、くぐもった声がしたので朝問研の扉をあけた。当時四年生だったK君が肩をふるわせて泣いていた。彼は私を見るや、狂ったようにとびかかり、

「なんでさらしものになんのや!」

といって、私の胸を叩きつづけた。子供のような泣きじゃくりであった。いわれのない涙が流れるときだって、人にはあるものだ。Kを抱いたまま私は何も言わなかった。とめどもなく溢れるものを拭きもしなかった。さらしものになっているのではない。さらさねばならないことをさらしあっているのだ。

ゆんゆんゆんゆん2009/06/11 11:40こんにちは。
蛇足ですが、ルター派の教会で最初の女性bishopはドイツ北エルベ教区のMaria Jepsenさんだそうです(1992年就任)。
http://en.wikipedia.org/wiki/Maria_Jepsen
英語の記事なので少々情報量が少ないですが。
ルター派教会はカトリックより地域色が強く、教区ごとに微妙に方針が違ったりするそうです。
また、歴史的な成り立ちからして、アングリカンとルター派は全く別物として考えたほうがいいと思います(むしろカトリックに近いかもしれない)。

Ry0TARy0TA2009/06/12 18:05>ゆんゆんさん
ご教示ありがとうございます。スウェーデン教会は女性聖職者按手は早かったといえ、高位聖職の差別撤廃は遅かったということですね。
アングリカン・コミュニオンはカトリックのような教導権と統一の教会法がないため管区単位の自立性が高く、だからこそ女性聖職の実現も可能だったわけですが、メンバー管区には(ヘテロ)セクシズム的社会の伝統が強い管区が少なくないため、近年のコミュニオン分裂問題が起きているようです。あまり詳しく分かりませんが。

2009-06-08

リリー・フランキーさんの言葉

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少し前のことになるが、Walkerplusのニュースにリリー・フランキーさんのトーク・イベントのニュースが載った。

  

リリーが激白「“同性”で結婚できるようになればいいのに」-Walkerplus

リリー・フランキー最高! 全国の映画館スタッフが選ぶ「映画館大賞」のトークイベントで、第2位選出作『ぐるりのこと。』(08)に出演したリリーが登壇。彼の小ネタ満載のトークで、満員御礼となった会場が大いに沸いた。

  

まずは、映画大賞の栄えある第1位に選ばれたのは『ダークナイト』(08)について。同作は、リリーにとっても2008年のナンバー1で、ジョーカーがお気に入りのキャラらしい。「1日中ジョーカーの真似をしてました。(ジョーカーが着ていたような)紫のスーツを久々に着ましたね。(ジョーカーのように)女の口の中にナイフを入れてみたくなってしょうがなかったです」 いや、それ、危ないから(笑)。

  

お次は『ぐるりのこと。』の話題へ。精神的に病んだ妻を支えていく夫を熱演したリリー。役作りについては「結構しました。お話をいただいてから、アバラを抜いたり、歯も3本くらい抜きましたけど。そして、やはり歯を戻したりしました」とコメント。おいおい、そんなわけないでしょ。

  

また、“独身”芸能人であるリリーとして結婚観をたずねられたリリー。「いつかはしたいですね。東京が早く“同性”で結婚できるようになればいいんですけど」と、ここでも真顔でギャグをかまし、会場は大爆笑。

  

爆笑に次ぐ爆笑だったらしいトークのなかで、リリーさんは「東京が早く“同性”で結婚できるようになればいいんですけど」と「真顔で」語った。

Walkerplusは、なんだか当たり前のようにこれを「ギャグ」ととって、「真顔でギャグをかました」と書いている。

  

リリー・フランキーさんは、同性婚をギャグにしたんだろうか?笑いを取るために「東京が早く“同性”で結婚できるようになればいい」と言ったんだろうか。

  

リリー・フランキーさんは、5月23日に東京・代々木公園で開催された第1回東京プライド・フェスティバルに、メッセージを寄せている。そのメッセージは、6月2日(火)に放送されたNHK教育『ハートをつなごう』「LGBT3」でも放送された。

  

セクシュアルマイノリティの方に会ったことがないっていうほうがおかしい。知らされてないのかな。狭い価値観の中にいるほうが恥ずかしい。人間って、最終的には同じことで傷ついたり、同じことを感じている。分かち合える」

  

ハートをつなごう』がつないだもの:もう1つの東京プライドフェスティバル - Gay Life Japan

http://gaylife.co.jp/support/804/1295/1296.html

  

異性愛中心主義社会に疑問を持ち、性的少数者に対する差別や偏見に異を唱える異性愛者は決して少なくない。

リリー・フランキーさんは、そういう異性愛者のひとりであり、そのロール・モデルに相応しい発言をしたのだと僕は思う。

  

だが、Walkerplusの記事は、それを「ギャグをかました」で片づけた。

  

異性愛者が、同性愛者が置かれた境遇に関心を持つ。

たとえば同性愛者が結婚できないことを異性愛者が不当に感じ、その考えを公にする。

  

Walkerplusの記事を書いた記者には、そんなことが想像もできなかったのだろうか?

  

異性愛者の、とくに男性が同性愛について発言したとき、それは「ギャグ」ととるのが好意的だ、そんなふうに考えたのだろうか?同性愛に関心を持っているように見られることは、ノンケのセレブにとっては「マイナス」なのだから、とでも思ったんだろうか?

彼の発言をリスペクタブルだと思うような発想は、微塵もなかったんだろうか?

  

「恥ずかしい」というリリーさんの言葉は、Walkerplusの記者に贈りたいところだ。

  

  

注)

もちろん、リリー・フランキーさんのトークでの発言は、壮大なギャグだったと考えられるふしもある。

「"東京"が早く同性で結婚できるようになればいいんですけど」という言葉は、まちがいなく

  

 石 原 慎 太 郎 現 東 京 都 知 事

  

への呼びかけだからだ。

会場の客とWalkerplusの記者が、あの石原慎太郎知事のホモフォーブっぷりをくさして爆笑したんだったら、僕も一緒に笑いたいところなんだが。

  

  

TOKYO FM × Living Together × ぐるりのこと。ポエトリー・リーディング  Think About AIDS」-NOV'S BLOG

http://novkun.jugem.jp/?eid=430

赤杉康伸さんのブログから。2008年6月6日に行われたTOKYO FMとLiving Together計画の第2回コラボ企画のレポート。http://www.tfm.co.jp/diary/bible/

ぐるりのこと。』公開ともタイアップして、リリー・フランキーさんがPWAと家族・友人たちの書簡を読むポエトリー・リーディングをやった。

  

  

Cinema Cafe.netも

と、Cinema Cafe.netの記事も、同じ発言を報道していて、似たようなものだった。

  

リリー・フランキーにも結婚願望あり? 映画館大賞トークに登場、過激な役作りも…

http://www.cinemacafe.net/news/cgi/report/2009/05/6051/

リリーさん自身は独身だが、結婚観について尋ねると「いいもんだな、と思います。(劇中で)夫婦で一緒に立ち食いそばを食っているときは、苦しいものを乗り越えた感が自分にもあって、そのときに翔子(木村多江)が200円くらいの蕎麦を食べてて…。周りはサラリーマンが独りで食べている中で、なんか俺は誇らしげな気持ちになったんですよね。こういう食事だけど、2人で食べているっていうことに。ああいう、一緒にいる感じが憧れます。結婚っていいな、と。いつかはしたいですね。東京が早く同性で結婚できるようになればいいんですけど」と珍しくまじめに答えたかと思えば、最後にあらぬ願望も…。会場からは大きな拍手がわき起こった。

  

「最後にあらぬ願望も…」

って、なんですか。「あらぬ願望」って。Cinema Cafe.netは同性婚反対派ですか。もちろん、それでもいいけれど、せめて真面目に語れよ。

同性愛者が異性愛者と同じような人生の選択肢の権利を持つべきだと、異性愛者が考えを述べる。それはそんなに「真面目に捉えたくない」「笑って流したい」ことなんだろうか、と、こういう記事を読むと感じる。

  

日本ってなんぞや、と思うが、こういうのはまさに「日本的」なのかもしれない。

性的少数者のことを、「差別していない」。厳格なキリスト教徒イスラム教徒のように。なにしろ日本人は「寛容だから」。

だが、「真面目に考える」ことは避けたい。

  

同性婚が実現するまで結婚はしないと宣言したアンジェリーナ・ジョリーとブラット・ピット、メキシコ・シティのシビル・ユニオン法支持に署名したディエゴ・ルナとガエル・ガルシア・ベルナル。

異性愛者のセレブが同性愛者の権利を支持することを、リベラルメディアは、リスペクタブルな行為として報道する(保守派メディアは、もちろんそうじゃないだろうが)。

性的少数者のアライ(同盟者)であることは、セレブにもそれなりのうまみをもたらす。

  

だが、日本のメディアには、そういう発想がないのではないかと思う。

リリー・フランキーさんの同性婚についての発言を、楽しい冗談で処理したがっているメディアの姿勢は、案外日本の同性愛をめぐる表象と隠蔽の政治を露呈しているのかもしれない。印象に過ぎないといわれればそれまでだけど、もう少し考えてみたいことだ。

  

CINEMA TOPICS ONLINE|2008年にスクリーンで最も輝いた映画、リリー・フランキー、映画館大賞イベントで結婚への憧れを語る!

http://www.cinematopics.com/cinema/news/output.php?news_seq=8491

映画館大賞上映トークイベントにリリー・フランキーさん、登場!-映画 音楽 最新リリース情報 etc 総合エンタメ情報発信サイト「Felista」

http://movie.felista.jp/e723.html

最後に大物独身のリリーさんに、結婚について尋ねると「いいもんだなあ、と思います。・・・(略)・・・いつかはしたいですね。東京が早く同性で結婚できるようになればいいんですけど。」あらぬ願望を口にして会場を更に沸かせてくれました。

2009-06-05

その言葉の意味を

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信号待ちをしていたら、背後からいきなり聞こえてきた声に驚いた。

「……はドーセーアイだ!」

  

小学校の下校時刻だったらしい。横断歩道前には、小学生の大群が雲霞のごとく渦巻いていた。

「……はドーセーアイだ!」は、そのなかの某少年Aが、別の某少年Bを指して叫んだ言葉だった。

  

一瞬,呆気にとられて、振り返って声の主を捜してしまった。

ホモ!」「オカマ!」ではなく、「同性愛」という言葉が小学生の口から出てきたのが,意外だったからかもしれない。

  

が、振り返ったはいいが、何が起こっているのかは、よく分からなかった。よく聞き取れない少年Aの発言から推測するに、少年Bがかつて行った発言ないし行動が、少年Aの判断によれば「ドーセーアイ」であったらしい。

「おい、ドーセイアイ!」

これといったリアクションを返さない少年Bに、少年Aは苛立ったように近づき、ランドセルを乱暴に小突いた。声にこれみよがしなぐらいネガティヴなニュアンスをにじませて。

  

少年Bがどんな表情をしていたのか、なにか言ったのかは見えなかったし,聞こえなかった。すでに信号は変わっていて、小学生大隊は少年ABを巻き込んであっという間に横断歩道を走り抜けていった。可愛いい少女が2人、僕と同じ方向を見ておもしろそうに笑い、冷やかすように何かを叫んで通り過ぎた。

それで、「ドーセーアイ」事件は終わりであった。

  

・・・・・

  

要するに何かというと、僕はまた自分のヘタレぶりを噛み締めているのだ。

あそこで僕は、あの少年をつかまえなければならなかった。おじさんが「ドーセーアイ」だと言わなければならなかった。B君が「ドーセーアイ」だろうとなかろうと、「ドーセーアイ」のなにか悪いのかと、訊かなければならなかった。

  

けれど僕は、「ドーセーアイ」が"また"スティグマのように、否定の言葉として使われるのを見逃してしまった。

僕が何もできないまま、「ドーセーアイ」という言葉は僕を通り過ぎて、少年Aと少年Bと2人の少女とともに遠ざかってしまった。傷つけられたままで。人を傷つけるための言葉のままで。

  

その言葉の意味を,変えたかった、変えなければならなかったのに。