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Ry0TAの日記

2009-05-12

「歴史」を描き、伝える〜『MILK』

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ブライアン・シンガーの『X-MEN 1』を観たときの衝撃は、忘れられない。

すでに仕込んでいた評判に期待して観始めたのではあった。オープンリー・ゲイのシンガー監督が、アメコミSFの設定に、現代の現実のセクシュアル・マイノリティの境遇をダブル・ミーニングで織り込んだ作品だと。

だが、衝撃は、予測を上回った。

映画は、ミュータントへの対処法に紛糾する議会のような場で始まる。ミュータントへの嫌悪と警戒を煽る政治家が、興奮したように叫ぶ。「ミュータントの教師に子どもを預けられるのか!」

ーーアメリカのLGBT史をほんの少し知っている人間なら、叩きつけられるようなフラッシュバックに襲われる。のっけから襟首を掴んで映画の裏の意味ーーアメリカのセクシュアル・マイノリティの格闘の歴史の奔流の中に投げ込まれ、一気に連れ去られる。差別迫害の視線に抗いながら生き延びようとするミュータントたちは、もはやセクシュアル・マイノリティにしか見えない。

  

「ミュータント」を「ホモセクシュアル」に置き換えるといい。1978年のプロポジション6。ブライアン・シンガーは、『X-MEN』をセクシュアル・マイノリティの物語として紡ぐために、まず観客をハーヴィー・ミルクの時代に連れてゆく。

  

たぶん、恐らく、そういう存在なのだ、アメリカにおいて、「ミルク」は。

  

21世紀のいま、ガス・ヴァン・サントがハーヴィー・ミルクの映画を撮った理由を、誰もが考えるのではないか。

決してメジャーではないが、エプスタインによる優れたドキュメンタリー映画がある。いまあらためて、フィクションとしてハーヴィー・ミルクの映画を作った動機は、なんだったのか。

  

そんなもの、ガス・ヴァン・サントと、もの凄い情熱で脚本を書いたダスティン・ランス・ブラックに訊いてみなければ分からないし、(訊くことはできなから)どんな答えが返ってくるかも分からないが、結果として、この映画が「いま」果たしたことは、1970年代の同性愛権利運動の「歴史」を描き、伝えることだったのではないか。

  

ここでの「歴史」は、歴史学でいう「歴史」ではなく、いわゆる「大文字のヒストリー」、集合的記憶に近い。

歴史的事実を実証的に再構築するというより、のちの人間がその遺産を未来へと引き継いでゆくための歴史の語り。

ショーン・ペンというリスペクタブルな俳優が敬意をこめて演じたハーヴィー・ミルクは、ペンの圧倒的な演技力で僕を猛烈に惹き付けたが、ペンというアメリカを代表する名優が演じているというのだという印象が最後まで消えなかった。「ショーンはハーヴィーそのもの、演技だなんて思えなかった。息を飲むほど驚いた」撮影現場にいたアン・クローネンバーグの言葉は、真実なんだと思う*1。だが(あたりまえだが)ミルクを知らない僕には、ショーン・ペンのハーヴィー・ミルクは、生身の人間というより、現代の僕らの理想を投影するイコンに見えた。

  

こういうかたちで「歴史」を描き、伝えるということは、「歴史」を「編集」することだ。多面的に、何通りにも解釈し評価できる複雑な事実の相当部分を敢えて切り捨て、伝えるべきストーリーを切り出す。

ミルクの演説に救われ、自腹を切ってミルクの生涯について調べ、クリーヴ・ジョーンズをはじめとするミルクの同胞たちにインタビューして作り上げたブラックの脚本は、とても美しく、音楽みたいに演出されている。たとえばあの、誕生日のクリーム・パイのエピソード。ミルクが誕生日にクリーム・パイを顔にぶつける悪ふざけが好きだったことは、「歴史的事実」らしい。映画ではこのエピソードが、ミルクの生涯の変化、ミルクとスコットの関係の変化を示す小道具として、ストーリーの中に定期的に蘇るテーマのように演出されている。「歴史的事実」と違う点は、あっちこっちに見つかる。だが嘘があるわけではなくて、とても巧みに編集されているのだ。

  

このように編集された「歴史」は、どんな効果を持つだろう。

この映画を観て、ハーヴィー・ミルクの時代、1970年代の同性愛者権利運動の転換期(そのスタイルは、現代まで続いている)の歴史に関心を持った人は、さらに自分で本を読んだり、調べることで、その時代のもっと複雑な様相を知ることができる。が、そこまでしない人には、「これ」が「歴史」として記憶に刻まれるだろう。それは同時に、ほかの解釈が消去されることを意味する。ショーン・ペンという名優が演じたことで、アカデミー賞を取ったことで、この「歴史」は「正史」にもなるだろう。映画という「フィクション」は、そのぐらいのインパクトを持つのではないか。

  

それが悪い、というのではない。「歴史」を分かり易く伝えるということは、敢えてその「編集」をやることかもしれない。ガス・ヴァン・サントやダスティン・ランス・ブラックは、「編集者」としては信頼できる、誠意のある作り手だろう。ではそこでどんな編集がなされたのか、編集のやりかたをどう感じたか、なにか感想を述べるとしたら、そこだろう。

(まだ途中)

*1:『写真で見るハーヴィー・ミルクの生涯』p. 113.