Hatena::Groupqueeringme

Ry0TAの日記

2009-05-11

欲望の表象に対する批判への反応、について、メモ

| 欲望の表象に対する批判への反応、について、メモ - Ry0TAの日記 を含むブックマーク はてなブックマーク - 欲望の表象に対する批判への反応、について、メモ - Ry0TAの日記

マサキチトセさんのエントリに対するブックマーク

http://b.hatena.ne.jp/entry/http://d.hatena.ne.jp/cmasak/20090510/1241885465

  

最近、国外で販売禁止になったアダルトゲームについて、規制や禁止には異議を唱えつつも、問題のゲームの「レイプ→妊娠→中絶」というプロットが、女性のリプロダクティブ・ライツを蹂躙するパターンをなぞっていること、プロットに見られる欲望が現実社会の性差別構造を如実に反映していることを批判したものだ。

  

エントリも、エントリをさまざまに批判・反論するブックマークコメントも、注目を集めているらしいが。

  

しかし、僕が気になったのは、拒否的なブックマークコメントが示している、リアクションのある「型」だ。欲望の表象に対する批判は、かなり決まりきった型の反応を呼んでいる。

(もちろん、すべてのコメントがそうだというのではないが)

  

このパターン化されたリアクションが、僕は気になる。

悪いというのではない。むしろ、もし僕が自分の好きな、自分の欲望を満たしてくれる表象を批判されたとしたら、やはり同じようなリアクションに走るのではなかろうか。だから気になる。これは一種の「陥穽」のようなものだ。

そうしたリアクションの陥穽に陥らずに、批判に応答する道を見つける、それをどうすればいいのか。

思いつく答えは今のところなく、陥穽から抜け出したとして、そこで可能になる応答の方法も、具体的に思いつけずにいる。

のだが、とりあえず考えるために、いくつかの「陥穽的リアクションのパターン」と思ったものを、メモだけしておく。

(ザクザクと書いたのでたぶん不完全、あとで加筆するかもしれない)

  

リアクション1:「規制」「禁止」する気か?それは表現の自由の侵害だ

元エントリはハッキリ規制に疑問を呈しているのだが、「批判→規制」と飛躍した受け止めかたが少なからず見られたのは、一つにはゲーム販売禁止のニュースの直後で、このエントリを規制賛成や規制賛成に「利する」内容だと取られたということもあるのかもしれない (しかしそれは「読み間違え」であって、読み間違えた人は、その点反省して読み直すべきだと思うが)。

  

でも、それだけだろうか?

「批判」を「糾弾」「存在の否定」と受け取り、提起された議論を共有することを拒んでしまっていないか ?

  

リアクション2:みんなやっているじゃん、別に○○だけじゃないじゃん

  • バリエーション「○○の消費者には女性もいる」「少女漫画の方が(類似のプロットは)多い」→その表象の背景にある社会構造で差別されている集団にも、その表象を歓迎する人がいることを強調する
  • バリエーション「××も△△もあるのに、なぜ○○『だけ/ばかり』を」→自己の欲望『のみ』が批判されているとして、その不当性に抗議する
  • バリエーション「○○消費者に対する偏見・差別・抑圧」
  • バリエーション「『レイプ』より『殺人』のほうが問題だろう」→「もっと酷いものがある」と批判をかわす
  • 別のバリエーション「誰かを傷つけない表象などない」「差別的でない作品などない」…→「普遍」的議論に飛躍、「諦め」「シニシズム」で批判を無化(「男の欲望ってのは所詮…」なども、このバリエーションか)

  

これははっきりいって、話をそらしているだけだ。

ひとつのタイプの表象(この場合は、アダルトゲームにおけるレイプ→妊娠→中絶というプロット)と社会構造との関係が問われているとき、別のものを持ち出すのは誤魔化しでしかない。

別のものも、もちろん、重要だ。それは、また別の機会を設けて問えばいい。

「皆やっている」は、「皆がやっているからいい」ではなく、「やっている皆が、それぞれに問題なのだ」。

  

リアクション3:「不快」に思うのは自由/誰かにとって「不快」でないものはない

  • バリエーション「「不快」なら見なければ良いだけ」
  • 別のバリエーション「誰かを「不快」にさせないよう、隠れて楽しもう」

  

リアクション2と分けたのは、この種のリアクションはさらに、「ある社会構造がある暴力的な欲望の表象に反映する」という問いを、「個々の不快感」の問題に均してしまい、問われた社会構造(この場合は、女性のリプロダクティブ・ライツをめぐる性差別的構造)を無視させるという問題を持つからだ。単に「これは○○にとって不快だ」「○○が傷つく」という「配慮」を示すことは、「なぜ○○はそのような可傷性(ヴァルネラビリティ)を持たざるを得ないのか」という問題を知っている、考えているということとイコールにはならない。

  

「どんな表現だって誰かには不快だ」という主張の問題は:

  • (リアクション2と同様に)問われた問題のシンギュラリティを無視する。
  • 「快不快=人がどう感じるか」が判断基準になると、性差別的社会構造への思考へ発展しない。(別のバリエーションのように)過剰に恥じて引っ込むか、開き直るかという道しかない。

  

リアクション4:現実と虚構の区別ぐらいつけるのが当然

  • バリエーション「現実に不可能な欲望を虚構で満たしている」「虚構の消費のお陰で現実の差別・暴力が起こらない」→…

  

実際の行動の領域では、これがいちばん「現実的」な立場表明なのだろう。だが…

元エントリは、欲望の表象差別的な社会構造からそのプロットをくみ上げる「欲望の灌漑路」についての議論を求めているのだ(前日のエントリと併せて論者の考えを踏まえれば)。「いや、現実と虚構の区別冴えすればよいのだ」というのは、「欲望の灌漑路などない」「考える必要はない」と言ってしまっているに等しくないか。

  

虚構と現実は違う、現実ではそのような欲望は決して表出しないしましてや実践などしない…それはまったく正しいだろう。

が、それさえ前提にすれば、女性の尊厳を著しく蹂躙するようなプロットを、(もし現実に起これば女性の尊厳を著しく蹂躙する、というところからその禁忌的な刺激を吸い上げているのであろうプロットを、)思う存分楽しんでよい、という話になるのだろうか?

これは想像だが、そこまで徹底して吹っ切れているプレイヤーは、滅多にいないのではないか(もちろん、そういう人も、いるのだと思うが)。

これは、社会によってどうこうできる話ではない。ほぼ人間の内面の話だ。

僕は、妄想は、一度現実とつき合わせてみるべきではないか、と思う。

性暴力というものがどういうものなのか、少しでも現実に接し、苦痛や、怒りを知り、それでもそこに快感を得られるものなのか、確かめてみるべきではないか。

現実を知ってなお、その欲望の表象が自分に必要であれば、そういう欲望をもつ自分と、他者の現実の齟齬に向き合えばいい。そうしたら、もしかしたら、そこに何かが生じるのではないか。

だが、虚構の中で満たす自分の快楽を維持するために、敢えて現実を無視するために、「現実と虚構は違う」と言いつのるのなら、そこにはなにか誤摩化しがないだろうか。…

  

リアクション5:じゃあ、どうしろっていうの?

それを考えたい、話し合いたいのだということだ…

「ホモフォビア」概念の問題点(Wikipedia)

| 「ホモフォビア」概念の問題点(Wikipedia) - Ry0TAの日記 を含むブックマーク はてなブックマーク - 「ホモフォビア」概念の問題点(Wikipedia) - Ry0TAの日記

  

Criticism of the term - Homophobia - en.Wikipediaより、英米での議論。

http://en.wikipedia.org/wiki/Homophobia#Criticism_of_the_term

あとから翻訳する。

  

ホモフォビアという語に対する批判

Criticism of the term

  

ホモフォビアという語はしばしば、偏見に根ざした憎悪や差別を意味する他の用語とひとまとめにして用いられる。1998年の演説で、Coretta Scott Kingは、「ホモフォビアは、人種主義や反ユダヤ主義など、多くの人びとを非人間化し、その人たちの人間性、尊厳、個性を拒否する、偏見に根ざした憎悪と同じようなものだ」と強く主張した[10]。同様に、George Yanceyは、Christian Ethics Todayの中で、「セクシズム、レイシズム、階級差別、またはホモフォビア」を互いに関連づけ、それらすべてを「様々な差別」と看做している。とはいえ、彼はそれらがあらゆる点で等しいものではないとも論じている[11]。

The term homophobia is often used collectively with other terms denoting bigotry and discrimination. In a 1998 address, Coretta Scott King asserted that, "Homophobia is like racism and anti-Semitism and other forms of bigotry in that it seeks to dehumanize a large group of people, to deny their humanity, their dignity and personhood."[10] Likewise, George Yancey, writing in Christian Ethics Today associates "sexism, racism, class distinctions, or homophobia" with one another and views them all as "varieties of discrimination," although he argues that they are not identical.[11]

  

1993年、行動学者のWilliam O'DonohueとChristine Casellesは、この用語が話者が認めない価値観や立場を擁護する人に対する人格攻撃的な議論で用いられていると論じ、この用語の使用は「通常の使われ方では、ある開かれた、議論の余地のある価値観を擁する立場に対し、語の正しい用法を外れた軽蔑的な評価を与えるものだ、かつて同性愛に付与されていた病的な複合概念と同じようなものである」と結論づけた。男らしさの社会的概念は、単に女性に惹きつけられることによって定義されるのではなく、男性に男性に否定的に惹きつけられることによっても、定義される。科学的な語源の用語をもって、何か男らしくないものへの恐怖をつけ加えることは、意見を異にする人間を男らしくないと仄めかすために、本来の用法を外れて用いられるだろう。[12]<←この箇所、意味が取れない>

In 1993, behavioral scientists William O'Donohue and Christine Caselles concluded that the usage of the term "as it is usually used, makes an illegitimately pejorative evaluation of certain open and debatable value positions, much like the former disease construct of homosexuality" itself, arguing that the term may be used as an ad hominem argument against those who advocate values or positions of which the speaker does not approve. The social construct of masculinity is not defined by attraction to females alone but also by negative attraction to males. The addition of a fear of something unmasculine, given the terms scientific etymology, may be used illegitimately to imply that anyone with a different opinion is unmasculine.[12]

  

エックス・ゲイ運動とかかわりのあるThe National Association for Research & Therapy of Homosexualityは、ホモフォビアの語を「しばしば、同性愛行為に反対する人を、道徳的なだけでなく、心理学的、医学的な背景に基づいて描写するために、不正確に用いられる」と表現する。かれらは、「厳密に言えば、しかし、その用語は実際には同性愛に対するフォビア-あるいは、非理性的な恐怖-を持つ人を意味している。はっきりとした主義に基づく[同性愛への]異議は、ゆえに、『ホモフォビア』と呼ばれることは出来ない」。[13]

The National Association for Research & Therapy of Homosexuality, an organization affiliated with the ex-gay movement, describes the term homophobia as being "often used inaccurately to describe any person who objects to homosexual behavior on either moral, psychological or medical grounds." They claim that, "Technically, however, the terms actually denotes a person who has a phobia — or irrational fear — of homosexuality. Principled disagreement, therefore, cannot be labeled 'homophobia.'"[13]

  

Some researchers within the field have preferred other terms to "homophobia." For example, Gregory M. Herek, a researcher at the University of California, Davis, compared several related terms: "homophobia", "heterosexism", and "sexual prejudice". In preferring the latter term, he noted that "homophobia" was "probably more widely used and more often criticized", and observed that "Its critics note that homophobia implicitly suggests that antigay attitudes are best understood as an irrational fear and that they represent a form of individual psychopathology rather than a socially reinforced prejudice." He preferred "sexual prejudice" as being descriptive and free of presumptions about motivations, and lacking in value judgments as to the irrationality or immorality of those so labeled.[14][15]

  

In 1980 Hudson and Ricketts proposed the term "homonegativity," arguing that "homophobia" was unscientific in its presumption of motivation.[16]

Some recent psychological literature suggested the term homonegativity, reflecting the perspective that behaviors and thoughts that are frequently considered homophobic are not fear-based but instead reflect a disapproval of homosexuality.[17][18]

  

Similar terms, such as heterosexism, have been proposed as alternatives that are more morphologically parallel, and which do not have the association with phobia. Heterosexism refers to the presumption that all people are heterosexual and/or to the privileging of heterosexuality over homosexuality.

Religious critics have also criticized the definition of the term as an attempt by individuals in the gay community to marginalize those who disagree with them, stating that because Weinberg framed his definition in the context of a religious fear, he created a stereotype, and they refute the idea that fear always leads to brutality.[19] Many mainstream religions advocate kindness towards homosexuals, despite the fact that they disagree with homosexuality in principle. This is typified by the following statement: "The Church’s opposition to same-sex marriage neither constitutes nor condones any kind of hostility towards homosexual men and women. Protecting marriage between a man and a woman does not affect Church members’ Christian obligations of love, kindness and humanity toward all people."[20]

  

Note

[10]Chicago Defender, April 1, 1998, front page

[11]Is Homophobia The Same As Racism/Sexism? By George Yancey, Assistant Professor

http://www.christianethicstoday.com/Issue/040/Is%20Homophobia%20The%20Same%20As%20Racism-Sexism%20By%20George%20Yancey_040__.htm

[12]O'Donohue, William and Christine Caselles (September 1993). Homophobia: Conceptual, definitional, and value issues. Journal of Psychopathology and Behavioral Assessment, 15 no. 3.

http://www.springerlink.com/content/n0264m864t146585/

[13]NARTH Position Statements, National Association for Research & Therapy of Homosexuality, 27 February 2008 (accessed November 13, 2008)

http://www.narth.com/menus/positionstatements.html

[14]Herek, Gregory M. (2000). The psychology of sexual prejudice. Current Directions in Psychological Science, 9 (PDF)

[15]Herek, G. M. (1990). The context of anti-gay violence: Notes on cultural and psychological heterosexism. Journal of Interpersonal Violence, 5, 316-333

[16]Hudson, W. and Ricketts, W. (1980) A strategy for the measure of homophobia. Journal of Homosexuality, 5, 357–372.

[17]Homophobia | TEACH Project[dead link]

{18}Homophobia is a misnomer, according to a group of U.S. psychologists.

http://web.archive.org/web/20071224153144/http://www.planetout.com/news/article-print.html?2002/06/13/3

[19]Same-Gender Attraction - LDS Newsroom

http://newsroom.lds.org/ldsnewsroom/eng/public-issues/same-gender-attraction

[20]The Divine Institution of Marriage - LDS Newsroom

http://newsroom.lds.org/ldsnewsroom/eng/commentary/the-divine-institution-of-marriage