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Ry0TAの日記

2009-04-30

立てるだろうか?

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イチカワユウさんのブログで、こんなゲイ・ジョークを教えて貰う。

  

Are You Gay? ー押して,押して、押し倒されろ!

  

僕がまっさきに思い出したのは、『イン&アウト』のラスト・シーンだった。

イン&アウト [DVD]

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地方の小さな町から出た若手俳優が、ゲイを演じた主演映画のアカデミー賞授賞式で、高校時代の恩師がゲイだと全世界にアウティングする(『フィラデルフィア』のアカデミー賞授賞式でのトム・ハンクスがモデルになっている)。呑気な町は、ゲイの高校教師をめぐり大騒ぎ(イン&アウト)に。

騒動は、教師の生活を激変させただけには留まらなかった。保守的な校長と教頭は、次第に彼を疎んじ始め、彼の地位は危うくなる。

卒業式の日、最優秀教師賞を授与されるはずだった彼に、校長は「ふさわしくない」と、表彰を止めようとする。恩師のカミングアウトに動揺していた生徒たちは、この差別に憤激し、式場で「私もゲイです!」と叫んで立ち上がる。

すると、教師の家族が、町の郵便屋さんが、消防団の人たちが、式場に集まった町の住民たちすべてが、「私はゲイです!」「俺らはゲイだ!」と立ち上がり、そこにいる全員が(校長と教頭以外)ゲイになる…。

ベタだが、ベタなだけに、僕はベタに感動してしまった。とても好きなシーンだ。

  

しかし、感動はしたが、考えかたによっては、異性愛者がアライ(共感し連帯する非当事者)として「ゲイだ」とカミングアウトしてみせるのは、それほど難しくはないのではとも思う。そのあとですぐに、「私はああいう差別が許せなかったから、抗議のつもりで『ゲイだ』と言ったのだ」と撤回できるのだから。その人が義侠心のある人だということを示すだけである。

  

しかし、『イン&アウト』の舞台の町には、主人公の教師以外にも、レズビアンゲイバイセクシュアルがいたはずだ。その人も、あの式場で「ゲイだ!」と叫んだだろう。だがそれはあくまで異性愛者のアライの(ふりをした)パフォーマンスと看做されるだけで、教師がゲイとして住民に受け入れられたのちも、その人はクローゼットの中で暮らし続けたのかもしれない。

  

そんなことをつらつらと考えてしまうのは、「ゲイだ」と立ち上がるのは、僕にとっては簡単なことに思われないからである。

飛行機の中に、僕を知っている人が誰もいないか、すでにカミングアウトしている友人や同僚だったら、立てるかもしれない。

でも、そうじゃなかったら、例えば隣に座っているのが、僕をゲイだとは知らない、ヘテロセクシストの同僚や上司や家族だったら、はっきり言って、立てないだろう。もし目の前で本当の不正が行われていても、「私もゲイだ」と叫んで立つ勇気は出ないだろう。

「義憤のためにゲイのふりをする異性愛者のアライのふり」をして立つということも可能かもしれない。が、そんな二重のクローゼットのような細工をしてまで、僕の膝が動いてくれるか自信がない。

情けないことだが、そういうことを考えたうえでなければ、僕は「私はゲイだ」と立ち上がれないだろう。

言い訳は恥ずかしいかもしれない。でも、ジョークの中のゲイ氏にとっては、「ゲイは私です!」と叫んでも、さしたる問題もないし、何も変わらなかったはずだ。単に彼の名前が「ゲイ」なのだから。だが立ち上がった他の乗客たちは、自分を賭けたのかもしれないのだ。

  

ジョークの中で立ち上がったゲイの乗客たちは、ぜんぜんそんなつもりはなかったゲイ氏に、勇気をもらったのだろう。とても素敵なケミストリーだ。それがこのジョークのキモなのだと思う。

  

だが、現実には、そんなケミストリーは、そう簡単に起こってくれるだろうか。

起こってくれたとしても、そのとき、僕は立てるだろうか?目の前で不正のようなことが行われていても?

  

考え始めると、とてもジョークではすまされなくなって、考え込んでしまった。

ここのところ、カミングアウトについて、ヘタレたことばかり書いているな…。