Hatena::Groupqueeringme

Ry0TAの日記

2009-04-11

米聖公会のオープンリー・レズビアン/ゲイの聖職者と、Carter Heyward師(フェミニスト神学者、オープンリー・レズビアン聖職者)について

| 21:48 | 米聖公会のオープンリー・レズビアン/ゲイの聖職者と、Carter Heyward師(フェミニスト神学者、オープンリー・レズビアン聖職者)について - Ry0TAの日記 を含むブックマーク はてなブックマーク - 米聖公会のオープンリー・レズビアン/ゲイの聖職者と、Carter Heyward師(フェミニスト神学者、オープンリー・レズビアン聖職者)について - Ry0TAの日記

  

米聖公会のニューヨーク市主教Paul Moore師は、1977年、同派のLGBT組織・Integrityの副会長でありレズビアンであることを公言していたEllen Barrett師を司祭に按手した。→参照

これが米聖公会の最初のカムアウトした同性愛者の聖職者按手であり、Barrett師の任命は、1980年代にカムアウトしたレズビアン・ゲイの聖職者の登場につながったという。

  

しかし、2003年のGene Robinson主教任命が「問題化」されるまで、同性愛者聖職者按手に対する聖公会の姿勢は、はっきりしていなかったらしい。

Anglicanism / Episcopal Church - glbtq

  

In 1996, a church trial was held of the Right Reverend Walter Righter for having ordained an openly gay man while Righter was an assistant bishop in the Diocese of New Jersey. The court dismissed the charges, finding that the Episcopal Church had no clear doctrine on this issue. The contentious issue came to a head with the consecration of Bishop Robinson in 2003, a move that exposed the deep rift in the denomination over glbtq issues.

  

glbtqは、カムアウトした上で按手された聖職者の事例を挙げていない。

が、現職としてカムアウトした2人の聖職者の事例を紹介している。

  

the Reverend Malcolm Boyd

1986年、著作『Gay Priest』の中で自分をゲイとして自認していったことを語る。

1996年から、ロサンジェルスのCathedral Centerに所属する作家・詩人。

  

the Reverend Carter Heyward

かの「The Philadelphia 11」の1人。

フェミニスト神学者。

1975年からthe faculty of the Episcopal Divinity School in Cambridge, Massachusettsに所属。

1979年、Barrett師を支持するために、レズビアンであることをカムアウト。

Carter Heyward - Feminist Theory Website

Feminist Theory Website - Center for Digital Discourse and Cultureの、Carter Heyward師のバイオグラフィと著作一覧。

Rev. Dr. Carter Heyward - LGBTRAN

LGBTRAN: Lesbian, Gay, Bisexual and Transgender Religious Archive Network収録のバイオグラフィー。

A Conversation with Carter Heyward, Pioneer Episcopal Priest - Birgit's Place

米聖公会女性聖職者任命25周年記念のときのインタビュー。女性聖職者のための活動や、カムアウトについて語っている。

  

1人あしかをはじめてみる

| 15:30 | 1人あしかをはじめてみる - Ry0TAの日記 を含むブックマーク はてなブックマーク - 1人あしかをはじめてみる - Ry0TAの日記

  

先の日記ではてなグループの使いかたがよく分からん、ということを書いたが、ほんとうに1人あしか(タスクツール)を使いはじめてみる。

  

ファースト・タスクは

IDAHOに向けて、「ホモフォビア」をクィアする

「ホモフォビア」という概念がどのように成立し,用いられてきたか、その有効性についてどんな批評があるか、基本的な知識をまとめておこう、というもの。

5月17日の「国際反ホモフォビアの日」のための今年のマイ課題。

  

タスク遂行のための具体的な課題を思いつくままにサブタスクとして追加してゆける。

サブタスクの遂行は、ダイアリーのコメント機能とまあ同じだ。

メモやコピーを単純なテキスト形式でどんどん突っ込んでいける。

長文で情報量の多いブログエントリをまとめたいときにも、使える機能かもしれない。

使っていくうちに「やっぱダメだ」的な欠点も見えて来るかもしれないけれど。

さっそく出てきた問題は、タスク遂行入力画面が、ダイアリーのコメント欄同様、狭くて入力し辛いこと。設定を変えることができないかな?

まあ、もう少しやってみよう。


よく分からないはてなグループの使いかた

| 13:26 | よく分からないはてなグループの使いかた - Ry0TAの日記 を含むブックマーク はてなブックマーク - よく分からないはてなグループの使いかた - Ry0TAの日記

  

グループを作ったはいいが、はてなグループの使いかたがよく分かっていない。

ダイアリーのエントリにまとまらないメモや覚書きを書く場所が欲しくて、ほとんどなにも考えずにグループを作ってしまったが、ローカルなはてなの中でもさらにローカルっぽいグループに手を出してしまったことに、一抹不安がある。まさかはてなサービスしか使えない体になってしまったのか…!

  

なにかのテーマや目的で人が集まるためには、そこそこ悪くないマルチサービスじゃないかと思う。

それぞれ勝手に日記を書ける。他のメンバーがなにやってるか、覗きたければ覗けば良いし、興味なければ放っときゃいい。

なにか共同で作業をするならあしかを使えばいいし(イベントの準備をしたり,同人誌を作ったりする人たちには、いいかもしれない)、皆で話し合いたいことは掲示板に投稿すればいい。

キーワードは、まだ使いかたがよく分からないんだが、なにかいいことあるんだろう、たぶん。

  

しかし、そういうことがしたくてグループを開いたわけじゃないので、みごとムダになっている。

カレンダーは使えるので、使い始めてみた。

いまにあしかで1人タスクとか掲示板で1人会話とか始めるかもしれない。

まあ、どうなるか分からない。

ともあれ、このグループは誰でも入れる設定になってるので、自分をクィアするために何かを書く場所があったら便利だと思っているひと、自由にお使いください。


変化を拒む論理

| 11:40 | 変化を拒む論理 - Ry0TAの日記 を含むブックマーク はてなブックマーク - 変化を拒む論理 - Ry0TAの日記

  

みやきちさんが、アメリカの反同性婚運動組織が作ったLGBT嫌悪的なTVCMの暴論っぷりにつっこむエントリを書いておられた。

このCMを作製したNational Organization for Marriage(2007年設立)は、当人の主張によれば「結婚を守る」ためにSSM(same sex marriage)に反対する組織なのだが、人工授精によるレズビアン・ファミリー作りや、家族の多様性を教える教育にも反対しているようだ。

  

カリフォルニアで同性婚を禁じるプロポジション8批准のキャンペーンを張っていたProtect Marriageという組織も、たいがい電波としか言えないCMを作って流していたが、これを「電波」で片づけるわけにもいかない。こうした主張を「電波」だと思っていない人たちが、現にいるのだから。

  

きちんと調べているわけではないので、漠然とした印象としてしか語れないが、保守的な価値観に基づく「家族」のありようを自明のものとして、その保護・維持を目指そうという動きは、特定の宗教・伝統社会ごとのものではなく、グローバルな運動になっている。

World Congress of Families

  

たとえばこのWorld Congress of Familiesは、全体として見ると極端に保守的な活動や主張を行っているわけではない。だが、WCFが定義する自然な家族(natural family)は、「結婚による両親が揃った子どものいる『健全』な異性愛家族」の枠を出ていない。その枠が引き起こす問題、「健全な家族」の機能不全、その枠からこぼれ落ちる人びとが被る不利益や害の問題は、「家族」をかれらが「自明」としているあるべき枠に引き戻し続けることで解決されるのだろうか?そこにはむしろ、現実を見ない判断停止が生じるような気がする。

  

以前ブログのエントリにも書いたことがあるが、「家族」が「信仰」化している。世界が、社会が流動化するなかで、「家族」の紐帯を自然・所与・自明のものとして強烈に肯定し、家族を基盤とする社会システムの維持を肯定しようとする。そうした論理は、むろんいまある家族関係を積極的に評価したりサポートするという役割を果たしてもいるだろうが、おなじ論理が同性婚やクィア家族や性教育を排除しようとする動きやディスコースにつながり、「家族防衛法」「婚姻防衛法」といった法制化へつながっている。

  

そしてこのような動きに、日本も連動している。

WCF(世界家族会議)関連ニュースー家族の絆を守る会

  

ともあれ、National Organization for Marriageが、結婚に関する自分たちの主張を語る、そのディスコースを見てみよう。

興味深いのは、かれらが「同性愛は"異常"だ」とか「異性愛が"正常"なのだ」とか「だから同性婚は許せない」とは言っていない、ということだ。

サイト全部を読んだわけじゃないのだが(読む気にもなれないのだが)、あのヘンテコCMを作った組織が看板として掲げるこのディスコースに僕は、

「ああ、この手の主張は、こういうところまで来たか」

と、思わされた。

「こういうところまで」というのは、うまく言葉にできないのだけれど、「ここまで自分自身をむき出しにするところまで」という意味だ。

  

Marriage Talking Point - National Organization for Marriage

同性婚

その最も強情な問いに答える

大多数のアメリカ人は、同性婚に反対している。そのため、同性婚の支持者は、なんでもいいからテーマを変えようと試みている。差別、利益、同性愛、ゲイライツ、連邦主義、我らの神聖な憲法などと。我々の目的は単純だ。話をすみやかに結婚に戻せ、脇道に逸れるな。結婚が問題だ。我々が気にしているのは結婚だ。結婚は本当に重要だ。これはただの常識だ。

SAME-SEX MARRIAGE:

Answering the Toughest Questions

Strong majorities of Americans oppose gay marriage. Supporters of SSM therefore seek to change the subject to just about anything: discrimination, benefits, homosexuality, gay rights, federalism, our sacred constitution. Our goal is simple: Shift the conversation rapidly back to marriage. Don’t get sidetracked. Marriage is the issue. Marriage is what we care about. Marriage really matters. It’s just common sense.

  

ただひとつのもっとも効果的な一文  

I. THE MOST EFFECTIVE SINGLE SENTENCE:

  

広範に、繰り返し行われた投票は、次の言葉がただひとつのもっとも効果的なメッセージだということに同意している:

「ゲイとレズビアンは、自分が選んだように暮らす権利を持っているが、

我々すべての人間にとっての結婚の定義を変える権利は持っていない」

Extensive and repeated polling agrees that the single most effective message is:

"Gays and Lesbians have a right to live as they choose,

they don’t have the right to redefine marriage for all of us."

  

この一文によって、人びとは、寛容への支持を表明しながら、同時にゲイの結婚に反対することができる。ある人は、それを修正して、「人間は自分が選んだように暮らす権利を持っているが、我々すべての人間にとっての結婚の定義を帰る権利は持っていない」と言っている。

This allows people to express support for tolerance while opposing gay marriage. Some modify it to “People have a right to live as they choose, they don’t have the right to redefine marriage for all of us.”

  

是が非でも避けねばならない言葉は、「同性婚撲滅(Ban same-sex marriage)」だ。我々の土台(?)(base)この言葉を非常に好んでいる。だから同性婚支持者もこの言葉が好きだ。彼らは、この言葉のせいで、我々が約10%票を失うと分かっている。この言葉を使うのはよそう。我々は「結婚の再定義」に反対しているのだと、「結婚は夫婦の結合である」と言おう。決して「同性婚を撲滅する」と言ってはならない。

Language to avoid at all costs: "Ban same-sex marriage." Our base loves this wording. So do supporters of SSM. They know it causes us to lose about ten percentage points in polls. Don’t use it. Say we’re against “redefining marriage” or in favor or “marriage as the union of husband and wife” NEVER “banning same-sex marriage.”

  

つっこみどころはたくさんあるような気がする。

「我々皆」とは一体誰を指しているつもりなのか。「我々」「皆」のなかからは、はじめから性的少数者は排除されているのか。

しかし、見逃せないのは、このディスコースを強烈に支配しているある傾向だ。

「いまあるシステムが変えられる」ことへの反発と、その反発は当然認められる、正当なはずだという、どこに根拠があるのか(少なくとも僕には)分からない確信である。

  

 マイノリティがマイノリティであることを表明し,マジョリティに「受容」を求めているうちは許容される。しかし、双方が乗っている規範そのものを問い始めた途端、「良心的な」マジョリティは,自分の利害を照らし合わせ、その行為に「過激だ」とレッテルを貼る。様々な課題に、そのような図式があるような気がする。

  

堀江有里『「レズビアン」という生き方ーキリスト教の異性愛主義を問う』p. 131.